広島平野
地理
太田川放水路と旧太田川(本川)の分岐点を境に、北部と南部に分かれる。北部は、新興住宅地と農地が混在しており、地元の伝統野菜・広島菜の産地である。南部は、三角州の典型として知られ、広島市の中心市街地となっている。
デルタ
治水

太田川放水路(図は2013年時点)
南部の三角州地帯、特に広島城[注釈 1]より南の部分は、江戸時代以降の埋立地であるため標高が低く、度々洪水に見舞われていたが、1967年に太田川放水路が整備された後は、市街全域が冠水するような洪水は起きていない[注釈 2]。
ただし、海岸に近い上に標高がとりわけ低い、南区の宇品地区、および中区の舟入南・江波地区は、今日でも大雨や高潮時に道路の冠水が起こることがある。
交通
ギャラリー
1644年 正保城絵図『安芸国広島城所絵図』。
寛永年間(1624年-1645年)広島城下絵図。
1880年(明治13年)の広島市地図。
1945年の広島市地図。米軍作成。
脚注
出典
- 新修広島市史 第1巻、p.367
- “水都広島の水辺デザイン① 太田川デルタ地帯のオープンスペース|ミズベリング|MIZBERING”. ミズベリング|MIZBERING. 2019年3月18日閲覧。
- 熊原康博「水害対策から造られた太田川放水路」『ひろしま地歴ウォーク』pp.10-11
- 『概観広島市史』(3)新開の発達pp.78-82
- 本田美和子「広島デルタ成長の痕跡を探す」『地歴ウォーク」pp.14-15
注釈
- 広島城は三角州の中では周囲と比較して高めで一番広い島(中洲)を選んで築かれた。(新修広島市史 第1巻 pp.39-59・熊原康博「広島デルタの成り立ちと広島城」『地歴ウォーク』p.13)
- 太田川放水路は1932年(昭和7年)の太田川改修計画により1934年着工、第二次大戦中及び戦後の工事中断を経て1967年竣工
参考文献
外部リンク
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