志免駅

志免駅(しめえき)は、かつて福岡県糟屋郡志免町に所在した日本国有鉄道(国鉄)の廃駅)である。(※地図は旅客ホームのみを示す。)

志免駅
志免駅跡(志免鉄道記念公園) 旅客ホームを示す。
しめ
Shime
所在地 福岡県糟屋郡志免町大字志免
北緯33度35分26.2秒 東経130度29分2.1秒
所属事業者 日本国有鉄道(国鉄)
電報略号 シメ
駅構造 地上駅
ホーム 1面2線
開業年月日 香椎線 : 1909年明治42年)8月1日
勝田線 : 1919年大正8年)5月20日
廃止年月日 香椎線 : 1985年昭和60年)1月1日
勝田線 : 1985年(昭和60年)4月1日
乗入路線 2 路線
所属路線 香椎線(旅石支線
キロ程 1.6 km(酒殿起点)
酒殿 (1.6 km)
(1.5 km) (貨)旅石
所属路線 勝田線
キロ程 7.3 km(吉塚起点)
上亀山 (1.1 km)
(2.8 km) 下宇美

香椎線旅石支線の1985年昭和60年)1月1日廃止により一般駅から旅客駅となり、勝田線廃止と共に1985年(昭和60年)3月31日限りで営業を終えた[1]

歴史

当駅は、海軍炭鉱第五坑の開坑によって石炭運搬用の貨物駅として1909年明治42年)に志免貨物取扱所の名称で開業し、後に初代志免駅となる。その後1919年大正8年)に筑前参宮鉄道(後の勝田線)が旅客駅である新志免駅を開設、1942年昭和17年)の陸上交通事業調整法により両鉄道が九州電気軌道(後の西日本鉄道㈱)に合併され、駅は新たに一般駅(旅客貨物取扱)の(二代目)志免駅として再開業した。

1944年(昭和19年)には戦時買収により国有化され、その後炭鉱の衰退ととも香椎線旅石支線は貨物の取り扱いの消滅で、勝田線特定地方交通線に指定され1985年に廃止。当駅も運命をともにした[2]

年表

駅構造

博多湾鉄道志免貨物取扱所由来の香椎線旅石支線の列車が発着した志免駅東構内は広大[7]で、硬山(ぼたやま)を半周する延長で駅構内は起点側から須恵川橋梁を越えた位置から現在の志免町総合福祉施設シーメートの敷地の南側一杯に拡がり其処の1本が旅石駅ヘ続いて延びて居た。場内信号も橋梁の脇に在り、出発信号は現在のコンクリート工場の北端の位置であった。詳細は下段。 旅客ホームと旅客駅舎は最後の勝田線が廃線された時には島式ホーム1面2線の行き違い可能な配線と側線1本となっていた。此の位置だけ見ると地方の小駅程度に見える小振りな駅舎の本屋であった。志免駅は旅客依り貨物の方の収入が多かったのと炭鉱時代は重要な取り扱いの為、志免駅の駅長室は貨物取扱所の方に在り、志免駅長は貨物取扱所の方に勤務して居たので、旅客駅舎には助役が詰めて居た。本来元の位置から起点寄りに旅客駅本屋は移転して居た。元石炭貨物で賑わった時代の名残で移転前の駅舎はかなり大きめのものとなっていた。駅長が旅客駅舎に勤務したのは、香椎線旅石支線トヨタ自動車㈱の自動車輸送が、車運トラックに切り替えで鉄道輸送を廃止した事で、旅石支線の路線が廃止された時から、勝田線が廃止される迄の3箇月間だけであった。

直前に廃止された香椎線旅石支線の志免駅の方は、石炭の積み出し設備と、更に先に続いていて旅石駅へと至る線路と、閉山後に自動車販売会社(トヨタ自動車㈱)へ貸出をしていた。岡多線北野桝塚駅トヨタ自動車製の新車をク5000形車運車に積み込み、岡崎駅から東海道本線山陽本線鹿児島本線香椎線旅石支線を経由し、志免駅東構内の貨物取扱施設で卸され、旧志免鉱業所の敷地に造られた、駐車場へ自動車を運び込む施設等が残っており、勝田線の志免駅から住宅を挟んだ北側と東側に、先に廃止された広大な志免貨物駅の跡が、勝田線の廃止時にはまだ残っていた。この貨物駅は志免東構内と呼ばれており、勝田線と連絡用の引き込み線で繋がっていて、この連絡線は大亘線と呼ばれていた。大亘線を使うと、香椎 - 志免 - 吉塚のルートでデルタ線となることから列車の方向転換に利用されており、スハ44形が使われていた時代の特急「かもめ」が博多で折り返す際に通っていた[3]

双方の廃止予定日が約3か月差と近かったため、先に廃止された旅石支線の跡も、勝田線の廃止時にまとめて処分するためか、ほぼそのまま手付かずのまま残存していた。貨物駅構内には一般道路が通っていたが、問題の道路が通る構内踏切の踏切警報機には、「此処の踏切には列車は通りません」と記された札が、約3ヶ月間ぶら下げられていた。

輸送量・収入

年度筑前参宮博多湾鉄道汽船
旅客(人)貨物(トン)旅客(円)貨物(円) 貨物(トン)貨物(円)
1921171,195105,82044,68553,068148,582163,254
1924135,821114,16224,04864,012177,498195,070
1928173,53289,64424,02645,158167,768195,390
1931106,805127,80712,67357,060158,414170,717
1935246,508140,05521,03663,243256,564248,706
  • 福岡県統計書各年度版より

昭和35年度の利用者数は3078人だった。鉄道統計年報より。

駅周辺

志免駅の近くは戦後日本国有鉄道志免鉱業所と名付けられた元(戦前)は海軍炭鉱があった。この炭鉱の遺構として1943年(昭和18年)に海軍の建設による国指定重要文化財に指定された、高さ49.5mの志免鉱業所竪坑櫓が現存している[8]

跡地

廃駅後、跡地の貨物ホーム付近はセメント工場やスーパーマーケット及び道路[9]に、旅客ホーム付近のみ志免鉄道記念公園[10]となった。なお、ホームの途中を道路(福岡県道91号志免須恵線)が横切っているためホームは分断されている。志免鉄道記念公園に関する詳細は「志免町の史跡と文化財 志免鉄道記念公園」(志免町公式サイト内)を参照[11]

隣の駅

日本国有鉄道
香椎線旅石支線(貨物)
酒殿駅 - 志免駅 - 旅石駅(貨)
勝田線
上亀山駅 - 志免駅 - 下宇美駅

脚注

  1. 石野哲(編)『停車場変遷大事典 国鉄・JR編 Ⅱ』JTB、1998年、698頁。ISBN 978-4-533-02980-6。
  2. 『日本の産業遺産Ⅱ』「志免炭鉱の技術と歴史」山田大隆,池森寛,大石道義,長渡隆一,産業考古学会編.
  3. 大塚孝「福岡県に存在した短絡線」『鉄道ピクトリアル』第1021号、電気車研究会、2024年2月、38-43頁。
  4. 『産業考古学92』「志免炭鉱が遺した物」斎藤和美,平島勇夫,大石より,徳永博文,長渡隆一,産業考古学会編.
  5. 『須恵町誌』須恵町
  6. 『志免町誌』志免町
  7. 案内地図の列車マークの上の道と硬山の間を須惠川迄と、赤い印の右の東公園台の文字の東の文字の左側付近迄が、元の志免貨物取り扱い所として開業した東構内の敷地跡である。
  8. 『国際鉱山ヒストリー会議2003年赤平大会研究論文集』「海軍志免炭鉱の技術,歴史」山田大隆,大石道義,長渡隆一,2003年赤平大会実行委員会編集部.(英文)
  9. 2023年現在の案内図や地図では、志免鉄道記念公園を中心とする旅客ホーム付近のみ案内されて居るが、志免駅の本体は貨物駅側であり、セメント工場等の在る付近を見てみると、元の石炭積み出しの跡を望む事が出来る。
  10. 鉄道記念公園設置時は、貨物駅を含めて竪坑櫓、斜坑坑口等炭鉱施設は負の遺産であり、速やかに撤去する事が望ましいと、役場と解体業者が述べて居り、貨物駅部分を産業遺産との認識は無かった為、保存も行われて居なかった。
  11. 志免鉄道記念公園”. 志免町の史跡と文化財. 志免町. 2022年9月18日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年12月5日閲覧。

参考文献

  • 『日本国有鉄道 停車場一覧』「1966,1972,1985年発行」
  • 『日本の産業遺産Ⅱ』「志免炭鉱の歴史,技術」産業考古学会
  • 『産業考古学92』「志免炭鉱が遺した物」斎藤和美,平島勇夫,大石道義,徳永博文,長渡隆一.
  • 国際鉱山ヒストリー会議赤平大会論文集2003年.「志免炭鉱の歴史と,技術」山田大隆,大石道義,長渡隆一.
  • 『日本国有鉄道百年誌』日本国有鉄道
  • 産業考古学会論文集,「志免炭鉱の硬山の研究」大石道義,山田大隆,長渡隆一.
  • 『海軍炭鉱五十年史』海軍燃料廠採部海軍炭鉱五十年史編集委員会.第四海軍燃料廠発行,1944年
  • 『須恵町誌』須恵町
  • 『停車場変遷大辞典』JTB
  • 『志免町誌』志免町

関連項目

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