志宝屋神社
志宝屋神社(しおやじんじゃ)は、伊勢神宮豊受大神宮(外宮)の末社。外宮の末社8社のうち第8位である[1]。
| 志宝屋神社 | |
|---|---|
![]() | |
| 所在地 | 三重県伊勢市大湊町 |
| 位置 | 北緯34度31分34.4秒 東経136度43分47.1秒 |
| 主祭神 | 鹽土老翁 |
| 社格等 | 豊受大神宮末社 |
| 創建 | 延暦23年(804年)以前 |
| 本殿の様式 | 神明造 |
| 別名 | 明神さん、湊の明神さま、塩屋明神 |
| 主な神事 | 神嘗祭 |
| 地図 |
![]() 志宝屋神社 |

社叢全景。参道口に鳥居が見える。
概要
20世紀までは造船の街であった伊勢市大湊町に鎮座する[3]。大湊町は河口の三角州であり、周囲を堤防で囲まれている[3]。伊勢市御薗町方面から宮川の堤防道路に沿って進むと、志宝屋神社の森が見える[3]。神社の森は「鵜の森」と呼ばれる[2]。神域の面積は2反2畝23歩(約2,257.85m2)[4]。
歴史
伊勢神宮の末社の定義より『延暦儀式帳』成立、すなわち延暦23年(804年)以前に創建された[6]。鎮座地周辺は「大塩屋村」と呼ばれ、伊勢神宮に奉納する御塩を焼く村人が多かったという[5]。櫻井勝之進は、志宝屋神社に関連して、以下のように述べている[7]。
塩屋というのは後世に大湊として繁栄した港町の古名といわれるが、当時はまだその社も末官帳社であったとすれば、塩焼く煙の立つほどの小村にすぎなかったのであろうか。 — 櫻井勝之進『伊勢神宮』93ページ
志宝屋神社の社殿は明応7年8月25日(ユリウス暦:1498年9月11日)に発生した明応地震により、大塩屋村の家々1,000軒とともに流され、失われた[5]。その後、寛永21年(1644年)に再興され、今日に至る[5]。
交通
脚注
- 宇治山田市役所 編(1929):13, 15ページ
- 学研パブリッシング(2013):63ページ
- 伊勢文化舎(2008):46ページ
- 宇治山田市役所 編(1929):15ページ
- “造船の町大湊の歴史散歩その1 - ふるさと三重、再発見の旅”. 観光三重. 三重県観光連盟. 2013年9月29日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年9月29日閲覧。
- 伊勢文化舎(2008):22ページ
- 櫻井(1970):93ページ
参考文献
外部リンク
- 志宝屋神社(しおやじんじゃ) - 財団法人伊勢神宮崇敬会
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