ホワイティうめだ
ホワイティうめだは、大阪府大阪市北区の大阪駅南東、Osaka Metro梅田駅・東梅田駅付近に広がる地下街である。ロゴタイプではWhityうめだと表記される。通称はウメチカ(うめちか)。
| ホワイティうめだ WHITY UMEDA | |
|---|---|
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| 店舗概要 | |
| 所在地 | 大阪市北区角田町 |
| 開業日 | 1963年(昭和38年)11月29日 |
| 施設管理者 | 大阪地下街株式会社[1] |
| 延床面積 | 31,336 m² |
| 商業施設面積 | 13,720 m² |
| 店舗数 | 215店 |
| 駐車台数 | 12台 |
| 前身 | ウメダ地下センター |
| 最寄駅 |
大阪梅田駅(阪神) 大阪梅田駅(阪急) 梅田駅 東梅田駅 西梅田駅 大阪駅 |
| 外部リンク | Whityうめだ |
概要
大阪を代表する繁華街である梅田に位置する地下街。阪急三番街やディアモール大阪にも直結しているほか、隣接ビル地下にある商業施設群のほか、曽根崎通以南の四つ橋筋の地下にあるドージマ地下センターとも(他の地下道を介して)結合しており、あわせて日本有数の規模の地下街を形成している[1]。地下街の利用者数は1日60万人で日本最多[1]。
大阪市の第三セクターから2018年(平成30年)4月1日の民間会社化によって大阪市高速電気軌道(Osaka Metro)の子会社となった大阪地下街が運営管理している。2006年度のテナント売上高は217億6900万円。
1963年(昭和38年)11月29日に梅田地下街(ウメダ地下センター)として開業し、1970年(昭和45年)3月20日に自然との共生をテーマにした泉の広場を含む第2期部分を完成した[1]。
1974年(昭和49年)8月28日に若い女性をターゲットにしたブティックストリートのプチ・シャンゼリゼを開業し[2]、1987年(昭和62年)4月24日には白い街をイメージして全面改装して現在の名称に改称した[1]。
住居表示は大阪府大阪市北区茶屋町梅田地下街1-1号から1-6号まで、同区角田町梅田地下街2-1号から2-9号までと5-1号、同区堂山町梅田地下街3-1号から3-6号まで、同区小松原町梅田地下街4-1号から4-7号まで、同区曽根崎2丁目梅田地下街5-2号から5-5号まで。
歴史
脚注
注釈
- 噴水撤去後も広場の名称は「泉の広場」とされた[4]。
出典
- 『屋内測位普及発展に関する調査研究報告書』(pdf)(レポート)財団法人ニューメディア開発協会、2009年3月、106頁。 オリジナルの2017年8月10日時点におけるアーカイブ。
- “SC情報 開店情報”. ショッピングセンター 1974年9月号(日本ショッピングセンター協会)(1974年9月1日).pp7
- “「泉の広場」噴水 3代目で幕…地下街改修で”. YOMIURI ONLINE. 読売新聞社 (2018年4月26日). 2018年4月26日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年4月28日閲覧。
- “新・泉の広場 誕生!!”. ホワイティうめだ. 2020年1月24日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年1月24日閲覧。
- “待ち合わせ場所として半世紀 「泉の広場」噴水、撤去へ 大阪・梅田”. デジタル毎日 (毎日新聞社). (2018年12月22日) 2018年12月24日閲覧。
- 堀祐馬 (2019年5月9日). “さよなら「泉の広場」の噴水 梅田地下街のシンボル撤去”. 毎日新聞社. 2019年5月9日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年5月10日閲覧。
- 坂東慎一郎 (2019年5月9日). “独身時代の待ち合わせ場所…梅田「泉の広場」お別れ”. 朝日新聞デジタル. 2019年5月9日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年5月10日閲覧。
- “ホワイティうめだ 2期エリア リニューアル工事着工”. ホワイティうめだ. 2019年5月6日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年5月10日閲覧。
- “ホワイティうめだ「泉の広場」リニューアル 「食い倒れの新名所に」”. 梅田経済新聞 (2019年12月5日). 2019年12月5日閲覧。
関連項目
外部リンク
- Whityうめだ
- ホワイティうめだ (@whityumeda) - X(旧Twitter)
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