武隈部屋
歴史
2020年(令和2年)1月場所限りで現役を引退した元大関・豪栄道は、14代武隈を襲名して境川部屋付きとして後進の指導に当たってきたが、2022年(令和4年)2月1日付で力士3人を連れて独立し、武隈部屋を創設した[1]。
師匠
- 14代:武隈豪太郎(たけくま ごうたろう、大関・豪栄道、大阪)
力士
現役の関取経験力士
- 豪ノ山登輝(前2・大阪)14代弟子※境川部屋から移籍
旧・武隈部屋
沿革
住ノ井甚助が部屋経営を始めたが、死去により所属力士は粂川部屋(後雷部屋に名称変更)に移籍した。その後移籍組の元十両常盤嵜礒吉が部屋を再興し、第6代横綱阿武松緑之助を育てる。が、師匠の死去により所属力士は雷部屋へ移籍することになった。その後、阿武松緑之助(当時親方)が独立して阿武松部屋を興したのでそちらへ移った。その中には大関手柄山繁右エ門や大関小柳常吉らがいた。
沿革
続いて、天保14年(1843年)10月に阿武松部屋の大関手柄山繁右エ門が二枚鑑札で襲名。部屋を興し幕内鬼面山谷五郎(後の第13代横綱)を育てるが安政5年(1858年)6月に死去。所属力士は鬼面山が引き取った。
沿革
明治に入り、1885年(明治18年)5月より境川部屋の関脇手柄山勝司が二枚鑑札で襲名し部屋を興した。その後幕内芳ノ山夛治郎、黒雲雷五郎ら(後に脱走し、大阪相撲に加入)が育つが大成するのを見ることなく1889年(明治22年)5月に死去。その跡を元十両龍門鯉之介が継ぎ幕内不知火光右エ門(立川部屋へ移籍)を育てるが1922年(大正11年)5月に廃業した。
脚注
- 「元豪栄道の武隈親方が独立「武隈部屋」新設を承認 今月29日に断髪式」『日刊スポーツ』、2022年1月27日。2022年1月27日閲覧。
- 「令和4年度版 最新部屋別 全相撲人写真名鑑」『相撲』2022年5月号別冊付録、ベースボール・マガジン社、29頁。
外部リンク
- 武隈部屋オフィシャルサイト
- 武隈部屋 - 日本相撲協会公式サイト
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