民主改革連合
民主改革連合(みんしゅかいかくれんごう、英語:Democratic Reform Party)は、かつて存在した日本の政党及び院内会派である。略称は民改連(みんかいれん)。
| 民主改革連合 Democratic Reform Party | |
|---|---|
| 成立年月日 | 1989年6月9日[注釈 1] |
| 解散年月日 | 1998年4月27日 |
| 解散理由 | 新党結成のため |
| 後継政党 | 民主党 |
| 本部所在地 | 東京都 |
| 政治的思想・立場 | 社会民主主義、中道主義 |
歴史

連合の会
1987年(昭和62年)に発足した全日本民間労働組合連合会(全民労連、「連合」)は、1989年(平成元年)秋に官公労も加入した新しいナショナルセンター「日本労働組合総連合会」(連合)を発足することが確定し、労働組合の再編は既定路線となった。
労働界の再編に合わせて、非自民・非共産勢力の連携、とくに日本社会党と民社党の「社・民統一」を求める声が高まっていた。
第15回参議院議員通常選挙が迫る中で、連合は社・民両党に公明党と社会民主連合を含めた野党連携を仲介し、4野党の推薦する無所属統一候補の擁立を主導した。結果的に12名の候補を擁立し、確認団体として同年6月9日に連合の会を発足した。代表は情報通信労働組合連合会会長の豊田稔、最高顧問には連合議長の竪山利文と、連合役員が就任した。
参院選では消費税導入やリクルート事件など、国民の自民党への批判の受け皿として、元職の中村鋭一(滋賀県選挙区)と新人10名の計11名が当選した。
連合参議院
参院選での躍進により同年8月1日、非改選の山田耕三郎とともに、会派として連合参議院を結成。代表には山田が就いた。連合の会の議員活動は連合参議院に事実上移行した。
1992年(平成4年)1月、連合参議院代表の山田が次期参院選への不出馬を表明し、星川保松が就任した。前年1991年12月に参議院奈良県選挙区の新坂一雄が死去したが、翌年2月9日に施行された同選挙区の補欠選挙で公認候補の吉田之久が当選し議席の継承に成功した。また同年3月8日に施行された参議院宮城県選挙区補欠選挙では連合の会公認候補の萩野浩基がそれぞれ初当選した。
しかしその後の国際連合平和維持活動等に対する協力に関する法律案(PKO協力法案)を巡る野党間の対立から選挙協力が進まず、6月には星川とともに社会経済国民会議議長で元産経新聞社長の稲葉秀三が連合の会共同代表に就任するも、7月26日に施行された第16回参議院議員通常選挙では、公認候補が全員落選する結果となった。
代表(党首)の一覧
役員一覧
連合の会
| 代表 | 代表世話人 | 最高顧問 |
|---|---|---|
| 豊田稔 | - | 堅山利文 |
| 星川保松 | - | - |
| 星川保松 (代表世話人) | 稲葉秀三 | - |
党勢の推移
衆議院
| 選挙 | 当選/候補者 | 定数 | 備考 |
|---|---|---|---|
| (結成時) | 0/- | 512 | 第41回総選挙前には2 |
| 第41回総選挙 | 1/3 | 500 |
所属議員一覧
| 連合参議院から参加 | ||||
|---|---|---|---|---|
| 第14回参議院議員通常選挙(1986年)当選 | ||||
| 山田耕三郎 滋賀県選挙区[注 1] | ||||
| 第15回参議院議員通常選挙(1989年)当選 | ||||
| 中村鋭一 滋賀県選挙区[注 2] |
星川保松 山形県選挙区[注 3] |
磯村修 山梨県選挙区[注 4] |
粟森喬 石川県選挙区[注 4] |
古川太三郎 福井県選挙区[注 4] |
| 高井和伸 岐阜県選挙区[注 5] |
井上哲夫 三重県選挙区[注 4] |
笹野貞子 京都府選挙区 |
新坂一雄 奈良県選挙区[注 6] |
乾晴美 徳島県選挙区[注 4] |
| 池田治 愛媛県選挙区[注 4] | ||||
| 補欠選挙当選 | ||||
| 吉田之久 奈良県選挙区[注 7] |
萩野浩基 宮城県選挙区[注 8] | |||
| 民主改革連合から参加 | ||||
| 第17回参議院議員通常選挙(1995年)当選 | ||||
| 国井正幸 栃木県選挙区 | ||||
| 他政党・無所属より入党 | ||||
| 衆議院議員 | ||||
| 土肥隆一 旧兵庫1区→兵庫3区 |
吉岡賢治 旧兵庫5区 |
北橋健治 福岡9区 | ||
| 参議院議員 | ||||
| 本岡昭次 兵庫県選挙区 |
久保亘 鹿児島県選挙区 | |||
- 改選期にあたる第16回参議院議員選挙に立候補せず、引退。
- 1994年12月に離脱し新進党結成に参加。
- 日本社会党から立候補した第17回参議院議員選挙で落選。
- 第17回参議院議員選挙で落選。
- 任期途中、1993年の第40回衆議院議員総選挙に日本新党公認で立候補のため辞職(落選)。その後新進党へ入党。
- 任期途中の1991年12月28日、死去。
- 新坂一雄の死去に伴う、1992年2月9日の補欠選挙で当選。その後、同年8月に離脱し民社党へ復党。
- 栗村和夫の死去に伴う、1992年3月8日の補欠選挙で当選。第17回参議院議員選挙で落選し、その後新進党へ入党し第41回衆議院議員総選挙で当選。さらに自由民主党へ入党。
解党後
- 1998年4月の民友連4党が民主党へ移行した際に、現職議員として民主改革連合に残っていたのは、笹野、久保、本岡、土肥、北橋の5人で、国井は民主党に参加せず、自由民主党へ入党している。
- 過去に落選した元議員のうち、古川、吉岡、乾はその後民主党(ただし、古川は民改連が合流する前の旧民主党)へ参加し、各種国政選挙に党公認候補として議員復帰を目指したが、いずれも落選している。
脚注
注釈
- 連合の会として発足。
