水野隆
水野 隆(みずの たかし、旧姓:徳弘(とくひろ[2] )、1931年4月28日[2] - 2022年12月30日)は日本の元サッカー選手、サッカー指導者。ポジションはFW。
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| 名前 | ||||||
| カタカナ | ミズノ タカシ | |||||
| ラテン文字 | MIZUNO Takashi | |||||
| 基本情報 | ||||||
| 国籍 |
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| 生年月日 | 1931年4月28日(92歳) | |||||
| 出身地 | 兵庫県 | |||||
| 没年月日 | 2022年12月30日(91歳没) | |||||
| 身長 | 163cm[1] | |||||
| 選手情報 | ||||||
| ポジション | FW | |||||
| ユース | ||||||
| 1950-1954 | 関西学院大学 | |||||
| クラブ1 | ||||||
| 年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
| 湯浅電池 | ||||||
| 全関学/関学クラブ | ||||||
| 代表歴 | ||||||
| 1953-1959 |
| 1 | (0) | |||
| 監督歴 | ||||||
| 1962-1963 |
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1. 国内リーグ戦に限る。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj | ||||||
経歴
甲陽学院中学校在学中よりサッカーを始め、同中学4年修了後の1948年に関西学院高等部へ編入[1]。
1950年に関西学院大学に入学してサッカー部に入部した[1]。在学中の1953年に第33回天皇杯全日本サッカー選手権大会で全関学の一員として優勝に貢献。また、同年にドルトムントで開催された国際大学スポーツ週間(ユニバーシアードの前身)の日本学生選抜として井上健、木村現、平木隆三らと共に選出され、大会に出場した。
1954年に大学卒業後は湯浅電池に入社。なお、大学卒業後もサッカーを続け、1955年の第35回天皇杯全日本サッカー選手権大会で全関学の一員として、1958年の第38回天皇杯全日本サッカー選手権大会で関学クラブの一員としてそれぞれ優勝した。
日本代表としては1953年11月22日に大阪球場で行われたユールゴーデンIF(スウェーデン)戦で初出場[3]し、1954年アジア競技大会の日本代表にも選出され[4]、1955年10月9日に東京・後楽園競輪場で行われたビルマ代表戦で国際Aマッチ出場を果たした[5]。
引退後は指導者の道へ進み、日本ユース代表、日本B代表、中京大学体育会サッカー部などの監督を務めた。また愛知県サッカー協会常任理事としてサッカーの普及にも尽力した。
代表歴
出典
- 甲陽だより(第75号) (PDF) 2007年2月28日、2014年8月22日閲覧
- 『日本代表公式記録集2008』 日本サッカー協会、2008年、571頁。
- “[1953.11.22 大阪・難波球場]”. 日本サッカー協会. 2014年8月22日閲覧。
- “第2回アジア競技大会(マニラ)”. 日本サッカー協会. 2014年8月22日閲覧。
- “[1955.10.09 東京・後楽園競輪場]”. 日本サッカー協会. 2014年8月22日閲覧。
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