永田泰次郎
経歴
永田健助の長男として江戸に生まれる。攻玉社から慶應義塾幼稚舎に移り、大人部に移る。海軍兵学校(15期)に転じ少尉候補生として登用される。その後海軍兵学校教官となり南清各地を視察。1903年(明治36年)、常備艦隊の幕僚となり日露戦争中は東郷平八郎大将の幕僚副官となり参謀部にあり。戦争終結ののち海軍省出仕となり勲三等に叙す。出雲艦、石見艦の副長となり、第一、第二駆逐艦隊司令官として横須賀に滞在。神戸高等商船学校長に在職中に死去。
栄典
- 位階
- 1891年(明治24年)12月14日 - 正八位[1]
- 1898年(明治31年)3月8日 - 正七位[2]
- 1905年(明治38年)2月14日 - 正六位[3]
- 1909年(明治42年)12月20日 - 従五位[4]
- 1915年(大正4年)1月30日 - 正五位[5]
- 勲章等
脚注
- 『官報』第2539号「叙任及辞令」明治24年12月15日
- 『官報』第4402号「叙任及辞令」1898年3月9日。
- 『官報』第6494号「叙任及辞令」1905年2月25日。
- 『官報』第7949号「叙任及辞令」1909年12月21日。
- 『官報』第748号「叙任及辞令」1915年2月1日。
- 『官報』第5525号「叙任及辞令」1901年12月2日。
- 『官報』7005号・付録「叙任及辞令」1906年11月2日。
- 『官報』第2660号「叙任及辞令」1921年6月14日。
参考文献
- 三田商業研究会編 編『慶應義塾出身名流列伝』実業之世界社、1909年(明治42年)6月、427-428頁。(近代デジタルライブラリー)
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