海上郡 (上総国)
古代
上海上国造の領域を中心に編成された。養老川下流域の姉崎地区には姉崎古墳群があり、これらの古墳は上海上の首長一族の墳墓とされている。なお、『続日本紀』の神護景雲元年9月22日条によれば、上海上国造の末裔とみられる当郡の人、檜前舎人直建麻呂に上総宿禰の姓が与えられ、また宝亀6年3月2日条には同人を「隼人正と為す」とある[1]。
万葉集は当郡の歌として、巻七に「夏麻引く海上潟の沖つ洲に鳥はすだけど君は音もせず」と、巻十四に「夏麻引く海上潟の沖つ洲に船は留めむさ夜更けにけり」の二首を載せている[2][注 1]。
脚注
注釈
- 巻七の「……君は音もせず」の前の「霰降り鹿島し崎を……」は鹿島郡の歌であり、巻九の高橋連虫麻呂の「鹿島郡の苅野橋にて、大伴卿に別るる歌」にある「海上」は下総国の海上郡をさすので、この二首を下総国の海上郡の歌とする見解もある[2]。
出典
- 『千葉県の地名』 697頁
- 『角川日本地名大辞典 12 千葉県』 154頁
参考文献
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