琴稲妻佳弘

琴稲妻 佳弘(こといなずま よしひろ、1962年(昭和37年)4月26日 - )は、群馬県利根郡みなかみ町(旧利根郡新治村)出身(のちに協会発表の出身地を沼田市に変更[1])で佐渡ヶ嶽部屋に所属した元大相撲力士。本名は田村 昌浩(たむら よしひろ)。現在は年寄粂川。最高位は東小結1995年(平成7年)11月場所)。現役時代の体格は181cm、137kg。得意手は突き、押し、右四つ、寄り、上手投げ肩透かし。地味ながら、巧さの光る相撲で長く活躍した。通称は「ピヨ」[2]

琴稲妻 佳弘
基礎情報
四股名 田村 昌浩 → 琴稲妻 佳弘
本名 田村 昌浩
生年月日 (1962-04-26) 1962年4月26日(62歳)
出身 群馬県利根郡みなかみ町(旧利根郡新治村[1]
身長 181cm
体重 137kg
BMI 41.82
所属部屋 佐渡ヶ嶽部屋
得意技 突き[2]、押し[2]、右四つ[2]、寄り[2]上手投げ肩透かし
成績
現在の番付 引退
最高位小結
生涯戦歴 752勝802敗30休(128場所)
幕内戦歴 405勝480敗15休(60場所)
殊勲賞1回
敢闘賞1回
データ
初土俵 1978年3月場所[2]
入幕 1987年11月場所[2]
引退 1999年7月場所[2]
引退後 年寄粂川
他の活動 日本相撲協会 副理事(2期)
2022年3月 -
備考
2024年3月25日現在
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来歴

新治村立新治中学校時代、当時活躍していた同郷の関脇栃赤城に憧れ「あのようになりたい」と言っていたところ、佐渡ヶ嶽(元横綱琴櫻)に誘われて卒業後に佐渡ヶ嶽部屋に入門し、1978年(昭和53年)3月場所、初土俵を踏んだ。四股名は第7代横綱稲妻雷五郎に因んだものである。

素質にはあまり恵まれていなかったが稽古熱心でそれを補い、1985年(昭和60年)5月場所で十両昇進、1987年(昭和62年)11月場所で新入幕を果たす[2]。稽古場では厳しく後輩達を鍛え上げ、鬼軍曹と恐れられた。

入幕後しばらくは幕内中位で相撲を取ることが多かったが、1993年(平成5年)頃から攻めに巧さが加わるようになった。そして1994年(平成6年)9月場所では、優勝争いをしていた大関貴ノ浪と同・若ノ花を連破して8勝7敗と勝ち越し、初の三賞となる殊勲賞を受賞[3]。さらに1995年(平成7年)9月場所では、西前頭筆頭で大関・若乃花を破るなどして9勝6敗と勝ち越して敢闘賞を受賞[2]し、翌11月場所、番付発表時点で33歳6ヶ月にして初めて小結に昇進した[2]序ノ口から所要106場所でつかんだ[2]新小結の座だったが、これは、同107場所の玉龍に次いで大相撲史上2位のスロー三役昇進記録であった。同場所初日、全盛期を迎えていた横綱・貴乃花を上手投げで投げ飛ばして周囲を大いに驚かせた。しかし6勝9敗と負け越して、三役経験はこの1場所だけで終わっている。また横綱戦での勝利もこの一度のみであり、金星を獲得できなかった。

同学年の水戸泉栃乃和歌三杉里寺尾とともに長く現役を務めたが、1999年(平成11年)7月場所、西十両5枚目の地位で3勝12敗と大きく負け越したことを機に37歳で引退。現役生活は21年の長きに及んだ。引退当時のインタビューでは、思い出の一番として、前述の貴乃花戦を挙げた。その後は年寄・粂川を襲名し、佐渡ヶ嶽部屋付きの親方として後進の指導に当たり、勝負審判も任務した。

歴代の幕内昇進力士の中で、取的時代に2度7戦全敗を経験したことがある数少ない力士である。横綱北の湖序二段時代に全勝を記録し三段目に上がった翌場所は全敗を記録しているが、琴稲妻も下記の成績のように三段目で全勝を記録して幕下に上がった場所は全敗を記録している。

引退後は佐渡ヶ嶽部屋付きの親方として後進の指導をしており、相撲協会では指導普及部で職務を行っている。

2021年1月場所は、新型コロナウイルス感染者が確認された部屋の師匠に代わって審判を務めている[4]

2022年3月11日、協会は1月27日の役員候補選挙で副理事候補に当選した新任の粂川を選任した[5]。2022年3月30日の職務分掌により、副理事として審判部副部長に就任した[6]

頭髪の薄さに関するエピソード

琴稲妻は若手時代に痛風を患い、その治療の為に服用していた内服薬の副作用により髪の毛が抜け、額が広がってしまったが、それが後年、琴稲妻のトレードマークとされた。

そのことは琴稲妻自身も自覚していると見られ、相撲に対する厳しさとは対照的に、ファンやマスコミとのやり取りにおいては頭髪の事に触れられても「立ち合い頭で当たっている証拠です」と冗談で返答するなど、積極的に“自虐ネタ”として利用していた。

  • 九州へ行くと、鹿児島県出身の薩洲洋とよく間違えられたと言うが、薩洲洋も髪が薄く、逆に群馬に行くと琴稲妻と間違われる事があったと言う[7]
  • 新小結の記者会見で、当時の師匠が琴稲妻の小さな髷を指して「これが本当の小結だ」と発言して記者の笑いを誘った。
  • 「月刊相撲」における、支度部屋でのコメントを題材にした記事によると、自身の髷結いを担当する床山には、髷結いの最中に頭髪が抜けたら1本あたり1000円の罰金を科していたとされる。しかし、実際にこれを徴収した事実は確認されていない。
  • 1999年2月8日に東京体育館で行われた「力士会大運動会」の二人三脚に夫人と共に参加した際、ゲストの松村邦洋に競技前のインタビューで断髪式ではなくて、植毛式にしてみませんか。」との“提案”を受け、夫人共々失笑する様子が「月刊相撲」で掲載された。
  • 引退直後の取材陣に長く現役を務める事ができた秘訣を尋ねられた折には、照れくさそうに自身の頭をなでながら「怪我(毛が)無かったことですかねえ」と嬉しそうに答え、周囲を爆笑させたこともあった。
  • 断髪式では髷に鋏を入れずにチョンと鳴らすだけという参列者が多かったとされる。一門年寄代表として参列した間垣親方(元横綱・2代若乃花)には「おい、切る髪がないぞ」と言われて苦笑する一幕もあったという。

主な成績

  • 通算成績:752勝802敗30休 勝率.484
  • 幕内成績:405勝480敗15休 勝率.458
  • 現役在位:128場所
  • 幕内在位:60場所
  • 三役在位:1場所 (小結1場所)
  • 三賞:2回
    • 殊勲賞:1回(1994年9月場所)
    • 敢闘賞:1回(1995年9月場所)
  • 金星:なし

場所別成績

琴稲妻 佳弘
一月場所
初場所(東京
三月場所
春場所(大阪
五月場所
夏場所(東京)
七月場所
名古屋場所(愛知
九月場所
秋場所(東京)
十一月場所
九州場所(福岡
1978年
(昭和53年)
x (前相撲) 西序ノ口19枚目
52 
西序二段58枚目
52 
東序二段20枚目
16 
東序二段60枚目
43 
1979年
(昭和54年)
西序二段43枚目
43 
東序二段21枚目
52 
東三段目84枚目
43 
西三段目67枚目
34 
東三段目80枚目
70 
東幕下60枚目
07 
1980年
(昭和55年)
東三段目30枚目
34 
西三段目43枚目
25 
西三段目71枚目
43 
西三段目58枚目
52 
西三段目26枚目
25 
西三段目49枚目
43 
1981年
(昭和56年)
西三段目32枚目
52 
東三段目8枚目
52 
西幕下47枚目
43 
東幕下34枚目
43 
東幕下25枚目
07 
東幕下55枚目
61 
1982年
(昭和57年)
東幕下26枚目
52 
西幕下14枚目
34 
西幕下22枚目
25 
東幕下49枚目
43 
東幕下36枚目
43 
西幕下27枚目
43 
1983年
(昭和58年)
西幕下19枚目
25 
西幕下38枚目
52 
西幕下21枚目
43 
西幕下14枚目
25 
東幕下29枚目
52 
西幕下17枚目
25 
1984年
(昭和59年)
西幕下32枚目
34 
東幕下42枚目
43 
東幕下32枚目
43 
東幕下22枚目
43 
西幕下15枚目
34 
西幕下23枚目
61 
1985年
(昭和60年)
東幕下8枚目
43 
東幕下4枚目
52 
西十両13枚目
87 
東十両8枚目
87 
西十両6枚目
510 
東十両12枚目
96 
1986年
(昭和61年)
西十両7枚目
69 
西十両11枚目
78 
東十両13枚目
96 
東十両8枚目
69 
東十両11枚目
96 
東十両7枚目
87 
1987年
(昭和62年)
東十両4枚目
87 
西十両筆頭
87 
東十両筆頭
510 
西十両6枚目
96 
西十両2枚目
105 
東前頭12枚目
87 
1988年
(昭和63年)
西前頭11枚目
69 
西十両2枚目
87 
西十両筆頭
96 
東前頭14枚目
87 
東前頭10枚目
87 
西前頭5枚目
510 
1989年
(平成元年)
西前頭9枚目
96 
西前頭3枚目
69 
西前頭6枚目
69 
東前頭10枚目
87 
東前頭8枚目
78 
西前頭9枚目
87 
1990年
(平成2年)
西前頭3枚目
510 
東前頭9枚目
87 
東前頭3枚目
411 
東前頭12枚目
87 
東前頭10枚目
87 
東前頭5枚目
69 
1991年
(平成3年)
東前頭9枚目
357[8] 
東十両3枚目
休場
0015
東十両3枚目
105 
東前頭15枚目
87 
東前頭12枚目
78 
西前頭14枚目
78 
1992年
(平成4年)
東前頭16枚目
87 
西前頭12枚目
348[9] 
西十両4枚目
69 
東十両6枚目
114 
西前頭15枚目
87 
西前頭10枚目
78 
1993年
(平成5年)
東前頭12枚目
96 
東前頭8枚目
69 
西前頭12枚目
87 
西前頭8枚目
510 
西前頭12枚目
96 
東前頭9枚目
69 
1994年
(平成6年)
西前頭12枚目
87 
東前頭8枚目
69 
東前頭13枚目
87 
東前頭10枚目
87 
東前頭5枚目
87
東前頭筆頭
510 
1995年
(平成7年)
東前頭5枚目
510 
西前頭9枚目
69 
東前頭14枚目
96 
西前頭9枚目
87 
西前頭筆頭
96
東小結
69 
1996年
(平成8年)
西前頭2枚目
213 
東前頭13枚目
96 
西前頭6枚目
78 
東前頭7枚目
87 
西前頭2枚目
411 
西前頭6枚目
510 
1997年
(平成9年)
西前頭12枚目
87 
西前頭7枚目
78 
西前頭8枚目
87 
西前頭2枚目
510 
西前頭5枚目
69 
西前頭6枚目
510 
1998年
(平成10年)
西前頭11枚目
87 
東前頭10枚目
69 
西前頭14枚目
87 
西前頭12枚目
78 
東前頭14枚目
411 
西十両3枚目
69 
1999年
(平成11年)
東十両7枚目
510 
西十両12枚目
96 
東十両8枚目
87 
西十両5枚目
引退
3120
x x
各欄の数字は、「勝ち-負け-休場」を示す。    優勝 引退 休場 十両 幕下
三賞=敢闘賞、=殊勲賞、=技能賞     その他:=金星
番付階級幕内 - 十両 - 幕下 - 三段目 - 序二段 - 序ノ口
幕内序列横綱 - 大関 - 関脇 - 小結 - 前頭(「#数字」は各位内の序列)

幕内対戦成績

力士名勝数負数力士名勝数負数力士名勝数負数力士名勝数負数
蒼樹山56 安芸乃島75 安芸ノ州13 14
朝潮10 朝乃翔77 朝乃若95 旭里21
旭富士02 旭豊56 板井55 恵那櫻610(1)
巨砲57 大乃国01 大若松11 小城錦38
小城ノ花76 魁皇18 海鵬21 春日富士1313
巌雄67 北勝鬨1314 騏ノ嵐13 旭豪山30
旭鷲山32 旭天鵬12 旭道山910 鬼雷砲54
霧島76 起利錦43 麒麟児10 金開山01
久島海58(1) 剣晃56 高望山72 五城楼13
小錦86 逆鉾17 薩洲洋45 敷島45
陣岳62 大輝煌01 大至36 太寿山35
大翔鳳85 大翔山47 大善54 大徹32
大飛翔11 貴闘力611 貴ノ浪411 貴乃花29
孝乃富士76 隆三杉1012(1) 多賀竜44 立洸21
玉海力43 玉春日04 玉龍30 千代大海11
千代の富士03 常の山10 出島03 寺尾99
出羽嵐01 出羽の花02 闘牙11 闘竜02
時津海01 時津洋55 土佐ノ海03 栃東12
栃司3(1)5 栃乃和歌710 巴富士52 智乃花13
豊ノ海78 浪之花31 南海龍03 花乃湖10
花ノ国35 濱ノ嶋78 肥後ノ海97 日立龍11
富士乃真34 鳳凰11 北勝海02 舞の海8(1)9
前乃臻10 益荒雄11 三杉里146 水戸泉1314
湊富士104 武蔵丸07 武双山26 大和12
力櫻22 両国45 若翔洋66 若瀬川37
若の里01 若ノ城33 若乃花49 和歌乃山01
※カッコ内は勝数、負数の中に占める不戦勝、不戦敗の数。

改名歴

  • 田村 昌浩(たむら よしひろ)1978年3月場所(※前相撲のみ)
  • 琴稲妻 昌浩(こといなずま -)1978年5月場所-1985年9月場所
  • 琴稲妻 佳弘(同上)1985年11月場所-1999年7月場所

年寄変遷

  • 粂川 佳弘(くめがわ よしひろ)1999年7月-

脚注

  1. 現役時代の場内アナウンスでは新治村(一時期は「村」を省略し「新治」のみ)出身とし、佐渡ヶ嶽部屋の公式ホームページでも新治村出身としている。実際に新治村の出身であるが、現在の日本相撲協会公式サイト上のプロフィールでは沼田市出身としている
  2. ベースボールマガジン社『大相撲名門列伝シリーズ(2) 二所ノ関部屋』p27
  3. 好角家漫画家やくみつるは当場所の三賞初受賞について、2度目の大関陥落後の現役末期に敢闘賞を受賞した名寄岩が主人公となった映画「涙の敢闘賞」を引き合いに出し、琴稲妻の敢闘賞受賞を題材にした映画が作られたとする一コマ漫画を執筆した。
  4. 粂川親方ら代役審判 部屋に陽性者の九重親方ら全休 - 大相撲 : 日刊スポーツ”. nikkansports.com(2021年1月10). 2021年1月17日閲覧。
  5. 藤島親方ら副理事候補3人を選任 相撲協会理事会 産経新聞 2022/3/11 18:04 (2022年3月12日閲覧)
  6. 伊勢ノ海親方は大阪場所担当部長、佐渡ケ嶽親方は審判部長 日本相撲協会が新職務分掌を発表」『日刊スポーツ』、2022年3月30日。2022年3月30日閲覧。
  7. やくみつるも自身執筆の「おチャンコクラブ」の連載初期、両者の対戦で呼出及び行司が両者の酷似っぷりに困惑するネタを描いた。
  8. 右足首関節靱帯断裂により8日目から途中休場
  9. 右大腿部負傷および左腓腹筋挫傷により5日目から途中休場、12日目から再出場、13日目から再度途中休場

関連項目

外部リンク

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