畢
建国
文王の十五男の畢公高が武王によって畢(現在の陝西省咸陽市渭城区と西安市長安区の一帯)に封じられた。畢公高で畢の始祖である。畢公高の長男の楷伯は楷に封じられたため、次男の畢仲が畢を継承した[1][2]。
滅亡後
畢公高の後裔の畢万は亡国後、晋に趣き、献公により大夫となった。畢万は献公につき従い出征し、軍功が卓著であったため、魏に封じられ、魏氏を名乗った。文侯の代に趙・韓の三国で晋を分割し(三家分晋)、周王の冊封を受け、戦国七雄の一国となった。
脚注
- 劉, 成群 (2012年), “《畢公事跡及畢公世系初探——基于清華簡的研究》”, 《上海交通大学学報(哲学社会科学版)》 (第4期): 92-98
- 陳, 穎飛 (2012年), “《清華簡畢公高、畢桓与西周畢氏》”, 《中国国家博物館館刊》 (第6期): 35-49
- 王, 亜楠 (2016), “《“畢公左御”戈銘文考釋及相関問題研究》”, 《中原文物》 (第6期): 70-75
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