明石町 (東京都中央区)
明石町(あかしちょう)は、東京都中央区の地名で、旧京橋区に当たる京橋地域内である。「丁目」の設定のない単独町名である。郵便番号は104-0044[2]。
明石町 | |
|---|---|
![]() 聖路加国際病院 | |
![]() 明石町 明石町の位置 | |
| 北緯35度40分4.03秒 東経139度46分37.63秒 | |
| 国 |
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| 都道府県 |
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| 特別区 |
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| 地域 | 京橋地域 |
| 人口 | |
| • 合計 | 3,449人 |
| 等時帯 | UTC+9 (日本標準時) |
| 郵便番号 |
104-0044[2] |
| 市外局番 | 03[3] |
| ナンバープレート | 品川 |
概要
隅田川河口部の西岸に位置し、隣の湊と合わせて鉄砲洲と俗称されるほか、広義の築地に含められることがある。聖路加国際病院の所在地で、区関係施設が数か所存在する。明治に外国人居留地が置かれ、西洋文化と関わりが深い。
歴史

鉄砲洲明石橋。3代広重作
江戸期
当初の明石町は明石橋東端の極狭い地域であり、江戸時代には現在の町域は明石町の他、十軒町、船松町二丁目、そして町人街と武家地の混在地で占められていた。武家地には赤穂事件で有名な赤穂藩浅野家の藩邸も含まれる。
中津藩奥平家の中屋敷で前野良沢らが解体新書を完成させたため、蘭学事始の地とされる。同屋敷は1858年(安政5年)に福澤諭吉が慶應義塾の前身となる蘭学塾を開いた地でもある。
明治期
1869年(明治2年)には築地居留地が設けられ、文明開化の中心地となった。同年、当地の運上所(現:東京税関)に設けられた電信機役所から横浜裁判所(現:横浜地方裁判所)へ日本初の公共電信が敷かれたことから、電信創業の地とされる。
イギリスの宣教師ヘンリー・フォールズは居留地に滞在中、日本の拇印の習慣に着目して指紋の研究を行ったことから、指紋研究発祥の地とされる。
また明石町は前述の慶應義塾の他、立教大学、明治学院など数多くの大学の発祥地でもある。その他隣接する入船は靴業、築地は活字発祥の地とされるなど、当地やその周辺を発祥地とするものは数多い。
施設
- 中央区立明石小学校
- 中央区立明石町幼稚園
- 京橋消防署 築地出張所 - 同町が所在地で、周辺の管轄に当たる。
- KPPグループホールディングス・国際紙パルプ商事 本社
- 片倉工業 本社
- 三機工業 本社
- 千代田インテグレ 本社
- ニッコンホールディングス・日本梱包運輸倉庫 本社
- 東邦化学工業 本社
- J-オイルミルズ 本社
- 日本製薬 本社
画像一覧
脚注
- “町丁目別世帯数男女別人口”. 中央区 (2019年9月3日). 2019年9月23日閲覧。
- “郵便番号”. 日本郵便. 2019年8月30日閲覧。
- “市外局番の一覧”. 総務省. 2017年12月31日閲覧。
- 築地地区 町名の由来 中央区 2019年9月23日閲覧。
- “区立学校一覧”. 中央区 (2017年8月17日). 2019年9月23日閲覧。
- 『人事興信録 第11版 上』イ266 - 267頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年5月23日閲覧。
- 『大衆人事録 第14版 東京篇』112頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年5月23日閲覧。
参考文献
- 人事興信所編『人事興信録 第11版 上』人事興信所、1937 - 1939年。
- 帝国秘密探偵社編『大衆人事録 第14版 東京篇』帝国秘密探偵社、1942年。
外部リンク
- 中央区ホームページ
- 築地地区 町名の由来 - 中央区
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