名所江戸百景
概要
広重最晩年の作品であり、その死の直前まで制作が続けられた代表作。最終的には完成せず、二代広重の補筆が加わって、「一立斎広重 一世一代 江戸百景」として刊行された。版元は魚屋栄吉。江戸末期の名所図会の集大成ともいえる内容で、幕末から明治にかけての図案家梅素亭玄魚の目録1枚と、119枚の図絵から成る。二代広重の「赤坂桐畑雨中夕けい」も「名所江戸百景」の題名を掲げているが、同シリーズに含めないのが通例である。なお、12.「上野山した」41.「市ヶ谷八幡」115.「びくにはし雪中」は広重死の1ヶ月後に出版されているため、これらも二代広重の筆が入っているとする説が有力である。
何気ない江戸の風景であるが、近景と遠景の極端な切り取り方や、俯瞰、鳥瞰などを駆使した視点、またズームアップを多岐にわたって取り入れるなど斬新な構図が多く、視覚的な面白さもさることながら、多版刷りの技術も工夫を重ねて風景浮世絵としての完成度は随一ともいわれている。その魅力は江戸の人々を魅了し当時のベストセラーとなり、どの絵も1万から1万5千部の後摺りを要したほどだった。反面、多くの後摺りでは色数を減らし、手間のかかるぼかしを省略したため、本来の作品が持つ味わいを損ねることにもなった。
実際に「大はしあたけの夕立」や「亀戸梅屋舗」を模写したゴッホ、「京橋竹河岸」に触発され『青と金のノクターン-オールド・バターシー・ブリッジ』を描いたホイッスラーをはじめ、日本的な「ジャポニスム」の代表作として西洋の画家に多大な影響を与えたシリーズでもある。
江戸は安政2年(1854年)の安政の大地震で被害を受けており、名所江戸百景は災害からの復興を祈念した世直しの意図もあった点が指摘されている。
全119枚の図絵
名所図会類の画題には複数の地名を羅列しただけのものが多いが、これらは適宜、「の」「より」「と」「望む」などを補って読むとよい[1]。以下に例をあげる。
- 日本橋江戸ばし → 日本橋より江戸橋を望む
- 永代橋佃しま → 永代橋より佃島を望む
- 外桜田弁慶堀糀町 → 外桜田より弁慶堀(桜田濠)・麹町方面を望む
- 鉄砲洲稲荷橋湊神社 → 鉄砲洲より稲荷橋と湊神社を望む
- 高田姿見のはし俤の橋砂利場 → 高田の姿見の橋から俤の橋と砂利場方面を望む
春の部
夏の部
秋の部
冬の部
脚注
- 類似のものに古い道しるべがある。道しるべの多くは「を経て」「および」「に至る」などを適宜補って読む必要がある。こうした表記法が江戸時代以前には一般的であった。
- 浮世写真家 喜千也 (2019年2月26日). “『玉川堤の花』:浮世写真家 喜千也の「名所江戸百景」第31回”. ニッポンドットコム 2019年3月17日閲覧。
- “名所江戸百景 玉川堤の花”. 東京都立図書館. 2018年3月8日閲覧。
参考資料
- メラニー・トレーデ ローレンツ・ビヒラー 『歌川広重 ─名所江戸百景 浮世絵太田記念美術館─』 タッシェン・ジャパン、2010年 ISBN 978-4-887-83392-0
外部リンク
- 名所江戸百景 - JAPAN SEARCH
- 広重-「名所江戸百景」めぐり東京シティガイド江戸百景グループ
ウィキメディア・コモンズには、名所江戸百景に関するメディアがあります。






















































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