紀元前190年

他の紀年法

できごと

ギリシア

共和政ローマ

セレウコス朝

  • 共和政ローマからの脅威が増し、アンティオコス3世はローマの要求に基づいて交渉をしようとした。ローマ側はトロス山脈の西側を手放すように要求したが、アンティオコス3世が拒否すると、リディアの平原でマグネシアの戦いが勃発した。ローマ側が勝利し、セレウコス朝はギリシアの支配権を失った。
  • アンティオコス3世が敗北すると、アルメニアサトラップであるアルタクセス1世ザリアドレスは、セレウコス朝からの独立を宣言した。ローマの承認を経て、彼らはそれぞれアルメニア王国小アルメニア王国の王になった。アルタクセス1世はセヴァン湖のそばに首都アルタシャトを建設した。
  • ローマ軍に加勢した見返りに、エウメネス2世ソテルは大きな領土を与えられた。エウメネス2世はゲリボル半島とセレウコス朝が支配していたアナトリアの大部分の支配権を得た。

芸術

誕生

死去

脚注

注釈

    出典

    1. MRR1, p. 356.
    2. MRR1, p. 358.
    3. MRR1, p. 357.
    4. リウィウスローマ建国史』37.46
    5. MRR1, p. 359.

    参考文献

    • T. R. S. Broughton (1951). The Magistrates of the Roman Republic Vol.1. American Philological Association

    関連項目

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