紀元前340年
紀元前340年(きげんぜん340ねん)は、ローマ暦の年である。
| 世紀 | 前5世紀 - 前4世紀 - 前3世紀 |
|---|---|
| 十年紀 |
前350年代 前350年代 前340年代 前350年代 前330年代 |
| 年 |
前343年 前342年 前341年 紀元前340年 前339年 前338年 前337年 |
他の紀年法
できごと
ギリシア
- ピリッポス2世がペリントスとビザンティウムを攻撃し、ペルシャのアルタクセルクセス3世がこれらの都市へ援軍を送った。結果ピリッポス2世はビザンティウムの攻城戦で敗北し、ドナウ川の河口付近にあるスキタイの攻撃に対応せざるを得なくなる。彼の息子、アレクサンドロス3世は、がビザンティウムとスキタイと戦っている間、摂政を務めた。ビザンティウムの攻城戦が失敗した後、アテナイの住民はデモステネスへ感謝の決議をした。
シチリア
共和政ローマ
- ラティウム人の大使が元老院に送られ、共和政ローマとラティウム人で一つの共和国を構成するよう求めた。ラティウム人は、自分たちはローマに匹敵すると考えていたのである。ローマは、ラティウム同盟のリーダーであると考えていたので、ラティウム人が同等の政治力を持つことやローマの元老院に入れることを拒否した。ローマが提案を拒否したため、第二次ラティウム戦争が始まった。ラティウムはカンパニアとともに戦う一方で、ローマはサムニウムに加わりラティウムを攻撃した。ラティウムの中のラウレンテス族とカンパニアの中のエクィテスはローマ側についた。パエリグニ族の支援を受けていたためである。
- ローマはサムニウムへの恐怖を通じてカンパニア軍とラティウム同盟軍の引き離しに成功し、カンパニアに単独講和を促した。結果、カプアとクーマエを含むカンパニアの3つの都市に、ローマ市民権が認められ、ローマ化した。ローマはナポリ湾まで広がった。
誕生
- アッピウス・クラウディウス・カエクス、共和政ローマ期の政治家(+ 紀元前273年)
脚注
注釈
出典
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