藁科満治
概要
神奈川県出身。浅野中学校・高等学校を経て1958年、明治学院大学経済学部を卒業し、早稲田大学大学院政治経済学研究科修了。富士通に入社し、労働組合の活動に携わる。1990年には電機労連会長に就任。
1992年の第16回参議院議員通常選挙において、日本社会党の比例名簿第1位に搭載され、初当選。1996年10月には、前任者の辞任に伴い第1次橋本内閣内閣官房副長官に就任するが、同月に行われた衆議院総選挙において敗れた社会民主党が、橋本内閣に閣僚を送らず、閣外協力とすることを決めたため、藁科は就任からわずか一月で官房副長官を退任した。
1997年1月には社会民主党を離党。民主党に入党し、参議院議員会長や神奈川県連代表を務めた。2004年の参院選には立候補せず、政界から引退した。
政策・主張
- 1999年、国旗及び国歌に関する法律案の参議院本会議における採決で反対。
著作
- 『連合築城―労働戦線統一はなぜ成功したか』(日本評論社、1992年6月)
- 『民主リベラルの政権構想』(日本評論社、1997年8月)
- 『「出会い」こそ人生の分岐点』(日本評論社、2003年10月)
- 『囲碁文化の魅力と効用』(日本評論社、2008年12月)
- 『浮世絵に映える囲碁文化』(日本評論社、2012年10月)
脚注
- 「2002年秋の叙勲 勲三等以上と在外邦人、外国人叙勲の受章者一覧」『読売新聞』2002年11月3日朝刊
| 公職 | ||
|---|---|---|
| 先代 渡辺嘉蔵 |
1996年 |
次代 与謝野馨 |
| 議会 | ||
| 先代 角田義一 |
第6代:2004年 |
次代 北澤俊美 |
| 先代 新設 |
1998年 |
次代 小山峰男 |
| 先代 峰崎直樹 |
1997年 |
次代 廃止 |
| 党職 | ||
| 先代 角田義一 |
民主党参院議員会長 第5代:2003年 - 2004年 |
次代 江田五月 |
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