谷中 (台東区)

谷中(やなか)は、東京都台東区地名で、旧下谷区に当たる下谷地域内である。現行行政地名は谷中一丁目から谷中七丁目。郵便番号は110-0001[2]

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谷中
夕暮れの谷中銀座商店街入口
夕暮れの谷中銀座商店街入口
谷中の位置(東京23区内)
谷中
谷中
谷中の位置
北緯35度43分37.94秒 東経139度45分57.35秒
日本の旗 日本
都道府県 東京都
特別区 台東区
地域 下谷地域
人口
2020年(令和2年)12月1日現在)[1]
  合計 8,318人
等時帯 UTC+9 (日本標準時)
郵便番号
110-0001[2]
市外局番 03[3]
ナンバープレート 足立

概要

谷中は「寺町」と呼ばれるように、仏教寺院が集中している古い下町である。上野戦争で罹災したものの、関東大震災第二次世界大戦では被害が少なく、旧来の古い町並みがあり仏教関係の建造物が多数残されている。

早口言葉「なかなか鳴かない谷中のかなかな」に関しても有名。

地理

下谷地域の北西に位置し、文京区千駄木根津)・荒川区西日暮里東日暮里)との区境に当たる。

地価

住宅地の地価は、2017年平成29年)の公示地価によれば、谷中2-8-14の地点で70万2000円/m2となっている[4]

歴史

旧:武蔵国豊島郡谷中村

  • 元来は山林地で、百姓地が点在する場所であった。
  • 江戸時代、上野に寛永寺が建てられると谷中にもその子院が次々と建てられる。また、幕府政策により慶安年間(1648年 - 1651年)に神田付近から多くの寺院が移転し、明暦の大火1657年)の後に焼失した寺院が移転してくる。寺の増加に伴い参詣客も増えると徐々に町屋も形成され、江戸の庶民の行楽地として発展する。
  • 元禄期に崖下の百姓地(主に谷中生姜を生産)を谷中本村(現在の荒川区東日暮里五・六丁目と西日暮里二丁目の各一部)として分離。崖上の寺町が谷中村となるが次第に市街地化され、一部は町地化されて谷中町、谷中三崎町(読みは「やなかさんさきちょう」)となる。この名残として、現在も荒川区西日暮里二丁目に所在する諏方神社の氏子地域となっている。
  • 政府軍と彰義隊による上野戦争1868年)で多くの寺院が焼失する。1869年明治2年)から1872年(明治5年)にかけて谷中清水町・谷中坂町・谷中初音町一~四丁目・谷中茶屋町・谷中真島町・谷中上三崎南町・谷中上三崎北町の各町が起立。1878年(明治11年)11月2日、これら谷中各町は上野とともに下谷区に編入される。この時点ではまだ谷中村も残存していたが、1889年(明治22年)5月1日東京市誕生と共に下谷区に編入され(この時点でも下谷区内に「谷中村」が残存)、1891年(明治24年)に谷中村を谷中各町に編入し、このとき谷中天王寺町も成立した。
  • 1947年昭和22年)に23区制に伴い台東区となる。1966年(昭和41年)、住居表示実施に伴い谷中各町が整理統合されて現行の谷中となる(谷中清水町は池之端三・四丁目に、谷中天王寺町の南端一部が上野桜木二丁目にそれぞれ編入)。

地名の由来

名前の由来は、本郷台と上野台の谷間に位置することから、名付けられたといわれる。

世帯数と人口

2020年(令和2年)12月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである[1]

丁目世帯数人口
谷中一丁目 447世帯 801
谷中二丁目 989世帯 1,708
谷中三丁目 1,710世帯 3,087
谷中四丁目 284世帯 530
谷中五丁目 485世帯 833
谷中六丁目 175世帯 355
谷中七丁目 563世帯 1,004
4,653世帯 8,318

小・中学校の学区

区立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[5]

丁目番地小学校中学校
谷中一丁目1〜5番
6番1〜11号
6番29〜33号
7番1〜31号
7番41号
台東区立忍岡小学校台東区立上野中学校
その他台東区立谷中小学校
谷中二丁目全域
谷中三丁目全域
谷中四丁目全域
谷中五丁目全域
谷中六丁目全域
谷中七丁目全域

施設

教育
  • 台東区立谷中小学校
  • 台東区立台桜幼稚園
墓地

観光

谷中のヒマラヤ杉(2023年)
名所史跡

交通

鉄道
道路

画像一覧

関連項目

脚注

  1. 町丁名別世帯・人口数”. 台東区 (2020年12月8日). 2021年1月2日閲覧。
  2. 郵便番号”. 日本郵便. 2019年8月30日閲覧。
  3. 市外局番の一覧”. 総務省. 2017年12月29日閲覧。
  4. 国土交通省地価公示・都道府県地価調査
  5. 区立小学校・中学校の通学区域”. 台東区 (2016年9月5日). 2017年12月29日閲覧。

関連文献

外部リンク

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