豊平橋

豊平橋(とよひらばし)は、北海道札幌市中央区 - 豊平区豊平川に架かる日本百名橋に選定されている。

国道36号標識
国道36号標識
豊平橋
豊平川右岸から見た豊平橋(2004年4月)
基本情報
日本の旗 日本
所在地 北海道札幌市中央区 - 豊平区
交差物件 豊平川
路線名 国道38号
管理者 国土交通省北海道開発局札幌開発建設部
施工者 日本橋梁[1]
建設 1965年 - 1966年
座標 北緯43度3分20.6秒 東経141度21分52.1秒
構造諸元
形式 3径間連続鋼箱桁橋[2]
材料
全長 132 m[2]
28.5 m[2]
最大支間長 49.6 m[3]
地図
豊平橋の位置(札幌市内)
豊平橋
関連項目
橋の一覧 - 各国の橋 - 橋の形式

札幌市の主要幹線道路の1つである国道36号(月寒通)の橋であり、交通量が多い。2002年(平成14年)の24時間平均交通量は63,800台となっている[4]

豊平川の洪水によって幾度も架け替えられている[5]

豊平」の地名はアイヌ語の「トゥイエ・ピラ」(くずれた崖)が由来となっており、豊平橋付近にくずれた崖があったことから名づけられた[6]

主要諸元

旧豊平橋(1924年架設)現在の豊平橋(1966年架設当時)
橋長120.7 m132.2 m
支間割3×39.0 m[7](40.8 m+49.6 m+40.8 m)[3]
幅員18.29 m27 m
型式ブレースト・リブ・タイド・アーチ橋(3径間)3径間連続鋼箱桁橋
車道12.81 m
(車道+軌道:2×3.66 m+5.49 m)
19.14 m
歩道2×2.74 m2×3.93 m
面積2207.6 m23569.4 m2
鋼材重量979 t896 t

歴史

渡船と丸木橋の時代

1872年(明治5年)の豊平橋。川の中には鮭を取る網が張られており、岸辺には吉田茂八の家が見える。

石狩川支流の豊平川は札幌市街地を流れる1本の大きな川であるが、かつては何本も枝分かれして分流合流が激しく大雨や雪解けの度に洪水を起こす川であった[8][9]

1857年(安政4年)、石狩調役として幕府より派遣された荒井金助は、札幌越新道(銭函 - 豊平 - 千歳)を横切る豊平川右岸に志村鐵一、左岸に吉田茂八を渡し守として置いた[10][11]

1871年(明治4年)4月、豊平川に最初の橋が架けられた。ただし渡船場付近の4つの分流のうち、西側の派流に2連の丸木橋が架けられただけで、東の本流と側流は依然として船で渡る必要があった。しかも雪解けで川が増水する時季であったため、1か月足らずで橋は流されてしまった[9]。以後も橋が流失するたびに架け替えることになり、恒久的な橋の架設が望まれるようになった。

1873年(明治6年)には豊平橋から室蘭まで札幌本道(室蘭街道)が開通し[12]、豊平川東側の本流に3連の丸木橋が架けられて渡船の歴史に終止符が打たれた。

木造トラス橋の時代

1875年(明治8年)12月、アメリカ人技師のN・W・ホルト設計による日本国内初の洋式橋梁「木造トラス橋」が、208フィート(約62.4 m)と106フィート(約31.8 m)の大小2連形式で完成した[9]。ホルトが開拓使に提出した報告書 "Report of the Toyohira river brigde of Sapporo Yesso" によると、当初の設計に基づく大橋のトラス長は165フィート(約49.5 m)であり、6月の時点ではその大きさに合わせた木材の切り出しまで終わっていたのだが、工事の視察に訪れた黒田清隆開拓長官が大橋の支間長を広くするように要請した[13]。ホルトは既に進行していた作業を無駄にしないように構想を練り、鉛直部材に錬鉄材を用いた木鉄混合の「ハウ・トラス」形式を導入するとともに、新規設計による木造補剛アーチを増設することで大橋の伸長に対応した。しかしこれほど手を尽くした橋も、1年半後の1877年(明治10年)5月に洪水で流されてしまった[14][15]

札幌農学校の2代目教頭であり土木技術者でもあったウィリアム・ホイーラーは、落橋の原因を考察した末に、土堤を築き川の本流と支流を1本に合わせれば大小2連橋にする必要はないとの考えにいたり、ホルトの設計に改良を加えた。1878年(明治11年)10月、木鉄混合バー・トラス構造の大橋が架けられた。いまだ原始林の広がる札幌に高度な技術の成果である橋梁が威容を現す光景は、1880年(明治13年)の『北門時事』に「豊平川に於ては、縹緲霓虹の如く宏壮無比の釣橋を見ては、札幌第一の大観である」と評された[14]

1888年(明治21年)には「木造ハウ・トラス」に架け替えられたが、それもまた流されるという繰り返しであった。

鉄橋の時代

1898年(明治31年)、岡崎文吉設計による初代鉄橋が完成した。この橋は橋長64.8 mのうち、36.6 mが北海道内初の錬鉄製による「プラット・トラス」として架設し、残りは依然木造ハウ・トラスのままであった[16][15]。しかし1909年(明治42年)、融雪時の洪水によって橋脚の土台がえぐられ、橋は傾いた。翌1910年(明治43年)1月から復旧工事が開始したものの厳冬期の作業は遅々として進まず、本格的な工事には春の訪れを待つ必要があった。さらに6月6日、当時の札幌史上最大規模の洪水がまだ完成していない工事現場を見舞い、多数の流木が両岸の堤防もろとも仮橋脚を破壊した[16]。仮橋が架けられたが、1913年(大正2年)8月27日の暴風雨で再び落橋している[17]。この後も十数年に渡り、仮橋をかけて応急処理でしのぐ期間が続いた。

鋼橋の時代

1924年(大正13年)、東京帝国大学名誉教授で「港湾工学の父」と呼ばれた広井勇の指導の下、技師の山口敬助と技手の高橋勝衛によって設計された「ブレースト・リブ・タイド・アーチ」によるアーチ橋が、3年の歳月をかけて完成した。なお48年前、木鉄混合トラス橋の設計者であったホイーラー教頭の下で、広井は札幌農学校の生徒であり、26年前に初代鉄橋を設計した岡崎は、その数年前、札幌農学校で広井の一番弟子であった。

ブレースト・リブ・タイド・アーチは二重のアーチをトラス状に連結補強した構造であり、八ツ山橋(東京都品川区、1914年完成、1985年解体。大河戸宗治設計)に次いで日本国内で2番目の採用となっただけでなく、初めてこの構造を連続して設け、橋脚に生じる水平力を軽減したことで、御影石で外装された慎ましい橋脚が可能となるなど、画期的な橋梁であった。同年8月の竣工式には当時の内務大臣若槻礼次郎も列席、6万人の見物客が訪れたという[15]。札幌電気軌道(現在の札幌市電)も豊平線として橋を渡っていた(1971年(昭和46年)廃止)。

この鋼橋は40年以上にわたり、札幌の街並みと調和して市民を魅了し、旭橋(旭川市)・幣舞橋(釧路市)とともに「北海道三大名橋」と称された[15][18]

戦後、経済成長とともに自動車が普及すると道路の拡張が実施され、豊平町(現在の豊平区)側の道路も27 mに拡げられた。幅員の狭い豊平橋付近で渋滞が発生したため、橋の架け替えを決定した。工事期間中の3年間は仮橋が架けられ、アーチ型の旧豊平橋解体後から1年4か月の1966年(昭和41年)に新しい豊平橋が竣工した[19]。橋桁が一直線に川を横切るデザイン(桁橋)で、旧豊平橋で使用された御影石を再利用している[15]

なお、旧豊平橋は北海道開拓記念館(現・北海道博物館)に模型が造られ保存されている。

脚注

出典

  1. 事業紹介 豊平橋”. 日本橋梁. 2015年1月6日閲覧。
  2. 豊平橋”. 札幌市. 2015年1月6日閲覧。
  3. 橋梁年鑑 豊平橋 詳細データ(1966年)”. 日本橋梁建設協会. 2015年1月15日閲覧。
  4. エピソード3/記録”. 豊平橋のあゆみ. 札幌開発建設部. 2015年1月6日閲覧。
  5. 豊平橋”. 石狩川治水に係わる主な事業. 2015年1月6日閲覧。
  6. エピソード5/地名”. 豊平橋のあゆみ. 札幌開発建設部. 2015年1月6日閲覧。
  7. 橋梁年鑑 豊平橋 詳細データ(1924年)”. 日本橋梁建設協会. 2015年1月15日閲覧。
  8. 最初は丸木橋だった 豊平橋 (PDF). 歴史の散歩道 第四章 地名・通り編. 札幌市中央区. 2015年1月6日閲覧。
  9. 西本 1979, p. 158.
  10. 歴史・年表”. 札幌市豊平区. 2015年1月6日閲覧。
  11. 札幌で最初の和人の定住者 吉田茂八 (PDF). 歴史の散歩道 第二章 人物編. 札幌市中央区. 2015年1月6日閲覧。
  12. 室蘭街道(国道36号)”. 豊平地区. 札幌市豊平区. 2015年1月6日閲覧。
  13. 西本 1979, p. 159.
  14. 西本 1979, p. 160.
  15. 明治から現代にいたる豊平橋の変遷 一直線に川を横切る機能美 (PDF). 建設マネジメント技術 (2012年4月). 2015年1月6日閲覧。
  16. 西本 1979, p. 161.
  17. 下川耿史『環境史年表 明治・大正編(1868-1926)』p.389 河出書房新社 2003年11月30日刊 全国書誌番号:20522067
  18. 北海道三大名橋をご存じ? 豊平橋・旭橋・幣舞橋”. 北海道ファンマガジン. PNG Office (2008年3月13日). 2015年1月6日閲覧。
  19. “新豊平橋盛大に開通式”. 北海道新聞. 北海道新聞社 (1966年10月1日)

参考文献

関連項目

外部リンク

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