鳥海 (砲艦)
鳥海(ちょうかい、旧仮名:てうかい)は、日本海軍の砲艦[17]。 艦名は秋田・山形県境の鳥海山にちなんで命名された[17][18]。
| 鳥海 | |
|---|---|
![]() 竣工後間もない「鳥海」(1889年から1891年頃、佐世保と推定)[3] | |
| 基本情報 | |
| 建造所 | 石川島造船所[4] |
| 運用者 |
|
| 艦種 | 砲艦[5][6] |
| 級名 | 摩耶型砲艦[7] |
| 建造費 | 214,720円[8] |
| 母港 |
竣工時:横須賀[9] 佐世保(1889年5月28日-)[9] |
| 艦歴 | |
| 計画 | 明治16年度計画[7] |
| 発注 | 1885年3月2日製造契約締結[9] |
| 起工 | 1886年1月25日[9] |
| 進水 | 1887年8月20日[9] |
| 竣工 | 1888年12月27日[9] |
| 除籍 | 1908年4月1日[10] |
| その後 |
佐世保海兵団附属雑役船舟[9] 1911年5月23日廃船[11]、翌年売却[12] |
| 要目(竣工時[13]) | |
| 排水量 | 624英トン |
| 垂線間長 | 47 m |
| 最大幅 | 8.200 m |
| 吃水 |
前部2.650 m 後部:3.250 m |
| 出力 | 700馬力 |
| 速力 | 計画:10ノット[14] |
| 燃料 | 石炭:68英トン |
| 乗員 | 1886年1月定員:115名[15] |
| 兵装 |
21cm克砲 1門 12cm克砲 1門 1インチ4連諾典砲 2基 |
| 搭載艇 | カッター1隻、ギグ2隻、ディンギー1隻[16] |
| その他 | 船体:鉄 |
概要
石川島造船所で建造[4]、1887年に進水した[9]砲艦[5]。 「愛宕」と同型(摩耶型砲艦[7])になる[19]。
朝鮮半島・清国沿岸の警備任務に多く従事し[20]、 日清戦争では第三遊撃隊の1艦として威海衛攻略作戦に従事した[18]。 北清事変に従軍。 日露戦争では第三艦隊所属で、主に沿岸防御に従事した[18]。 1908年除籍[10]。 以後は佐世保水雷団の練習船となり[9]、 1911年廃船[11]、 船体は翌年売却された[12]。
艦型
他艦との相違点
- 船体は「摩耶」と同じ鉄製[13]。
- 1888年(明治21年)1月に推進器の改造が決定した[21]。青銅製3翼グリフィス型[22]で直径8 ft 6 in (2.591 m)、ピッチ9 ft 6 in (2.896 m)、ピッチ変化量9 ft (2.743 m)から10 ft (3.048 m)[23]。別資料によると直径2.445m、ピッチ2.846m、翼面積は1個当たり1.453平方メートル[24]。
- 竣工時の兵装は21cm克(クルップ)砲1門、12cm克砲1門、1インチ4連諾典砲2基だった[13]。重量の関係で艦首主砲(21cm砲)の搭載位置は「摩耶」の搭載位置と比較して若干後方へ移動した[25]。
要目
製造契約時の要目は以下の通り[26]。
変遷
艦歴
建造
1885年(明治18年)
1月頃に「愛宕」と同型の砲艦を石川島造船所で1隻、小野浜造船所で1隻(後の「摩耶」)製造することが決定し[19]、
3月2日に石川島造船所と製造契約を締結[9]、
製造期限は23カ月[26]、
契約金額は164,500円[29]、
または162,830.94円[30]。
3月5日「鳥海」と命名された[9]。
艦名候補として
1894年
1894年(明治27年) 4月4日練習艦の役務を解かれ[37]、 5月23日予備艦に指定[38]、 同日第1予備艦に編入[39]、 第1予備艦の間は定員67名とされた[40]。 6月5日予備艦だった「鳥海」は警備艦に指定された[41][42]、 6月10日朝鮮国警備のために佐世保を出港した[20]。 7月19日常備艦隊に編入された[43][42]。
1895年
1895年(明治28年) 9月10日常備艦隊から除かれ、西海艦隊に編入された[44][42]。 11月15日西海艦隊から除かれ、佐世保鎮守府警備艦に定められた[42]。 11月23日佐世保港に帰国した[20]。
1896年
1896年(明治29年) 3月16日常備艦隊に編入された[42]。 3月17日に朝鮮国警備のため佐世保を出港[20]、 8月27日竹敷に帰国した[20]。 10月21日役務を解かれた[42]。
1898年
1898年(明治31年) 1月19日尾崎に帰国した[20]。 1月28日常備艦隊より除かれ、第2予備艦に定められた[42]。 3月21日類別等級を二等砲艦とされた[42]。 5月3日警備艦兼練習艦に定められた[42]。 8月2日常備艦隊に編入された[42]。 9月4日韓国警備のために佐世保を出港した[20]。
1899年
1899年(明治32年) 3月11日竹敷に帰国した[20]。 5月3日常備艦隊から除かれ[42]、第1予備艦に定められた[45]。 6月17日佐世保鎮守府艦隊に編入された[45]。 9月29日常備艦隊に編入された[45]。 10月16日に清国警備のために佐世保を出港した[20]。
北清事変
1900年(明治33年) 8月11日常備艦隊に編入された[45]。 8月27日佐世保を出港[20]、 北清事変では大沽方面の警備に従事した。 12月15日佐世保港に帰国した[20]。 12月18日役務を解かれ、第2予備艦に定められた[45]。
修理
1901年(明治34年) 12月に従来のボイラーが老朽化のため、佐世保造船廠に於いて同形式の新ボイラーと交換された[28]。 1902年(明治35年) 1月28日第3予備艦に定められた[45]。
1903年
1903年(明治36年) 1月23日第1予備艦に定められた[45]。 6月22日常備艦隊に編入[46]、 翌23日居留民保護の為に清国派遣が命令された[46]。 7月14日北清警備のために佐世保を出港[20]、 9月14日佐世保港に帰国した[20]。 10月23日居留民保護の任務が解かれ、帰国命令が出された[46]。 12月28日第三艦隊に編入された[46]。
日露戦争
2月6日日露戦争開戦[20]。 「鳥海」は2月12日尾碕を出港[20]、 5月26日、砲艦「筑紫」とともに対地支援射撃を実施して陸軍第2軍(司令官:男爵奥保鞏大将)の南山攻撃を援護したが、ロシア軍南山砲台から反撃を受け艦長林三子雄中佐が戦死した。 8月からの旅順攻略作戦に参加。
1905年(明治38年) 1月25日神ノ浦に一時帰国[20]、 3月29日神ノ浦を出港[20]、 4月18日尾崎に一時帰国した[20]。 6月14日第四艦隊に編入された[46]。 7月6日鴛泊港を出港[20]、 樺太作戦に参加、 8月1日小樽港に帰国した[20]。 8月20日第四艦隊から除かれ、警備艦に定められた[46]。 10月16日終戦となった[20]。
艦長
※『日本海軍史』第9巻・第10巻の「将官履歴」及び『官報』に基づく。
- 品川四方一 少佐:1888年5月14日 - 1891年12月14日
- 伊藤常作 少佐:1891年12月14日 - 1893年10月12日
- 上村彦之丞 少佐:1893年10月12日 - 1894年6月8日
- 東郷正路 少佐:1894年6月8日 - 1895年1月30日
- 小倉鋲一郎 少佐:1895年8月27日 - 1897年2月4日
- 中尾雄 少佐:1897年2月18日 - 1897年10月8日
- 矢島功 少佐:1897年10月8日 - 1897年12月27日
- 宮岡直記 中佐:1897年12月27日 - 1898年10月1日
- 藤井較一 中佐:1898年10月1日 - 1899年6月17日
- 高橋助一郎 中佐:1899年6月17日 - 1900年5月20日
- 中村貞邦 中佐:1900年8月11日 - 1901年2月18日
- 森義太郎 中佐:1903年6月22日 - 1903年11月5日
- 山澄太郎三 中佐:1903年11月5日 - 1904年3月29日
- 林三子雄 中佐:1904年3月29日[51] - 1904年5月26日(戦死)
- 広瀬勝比古 中佐:1904年5月 - 1905年1月7日
- 牛田従三郎 中佐:1905年1月7日 - 1905年8月5日
- 高島万太郎 中佐:1906年9月28日 - 1907年2月28日
- 中野直枝 中佐:1907年2月28日 - 1907年7月1日
- 高木七太郎 中佐:1907年7月1日 - 1908年2月20日
- (兼)松永光敬 中佐:1908年2月20日 -
脚注
注釈
出典
- #日本海軍全艦艇史(1994)上巻p.432、写真No.1033の説明
- #日本海軍全艦艇史(1994)上巻p.432、写真No.1033の説明
- #日本海軍全艦艇史(1994)上巻p.432、写真No.1033の説明
- #日本近世造船史明治(1973)428-433頁、「内国製艦艇表(試運転成績)」
- #日本近世造船史明治(1973)297頁。
- #海軍軍備沿革p.49
- #日本海軍特務艦船史(1997)p.78
- #日本近世造船史明治(1973)352-355頁、「艦艇表(計画要領)」
- #S8公文備考F9/初代鳥海艦歴に関する件画像2、初代鳥海艦歴
- #M41達/3月画像16、明治41年4月1日達第39号
- #M44公文備考56/売却払下廃却処分(1)画像27、明治44年佐鎮第394号の5
- #M45(T1)公文備考33/売却払下(1)画像38、明治45年佐鎮第17号の21
- #公文備考別輯武蔵鳥海小鷹満珠干珠/鳥海横須賀鎮守府へ引渡画像13-14
- #公文備考別輯武蔵鳥海小鷹満珠干珠/平野造船所より砲艦1艘代償調書並製造命令書案画像11、命令書案第七條
- #海軍制度沿革10-1(1972)p.174、明治19年1月21日(丙2)畝傍外七艦定員
- #M22公文雑輯3/鳥海端艇改造の義画像1、明治22年5月16日官房第637号。同画像2-3、明治22年4月30日鳥第259号「端艇改造之義ニ付上申」
- #艦船名考(1928)p.59「鳥海 てうかい Tyōkai.」
- #銘銘伝(2014)pp.95-96、「鳥海(ちょうかい)」
- #公文備考別輯武蔵鳥海小鷹満珠干珠/砲艦1艘石川島平野造船所に於て製造の件画像1-2、主新第1号
- #S9恩給調査(下)/軍艦(3)画像37-39、旧鳥海。
- #文備考別輯武蔵鳥海小鷹満珠干珠/鳥海艦推進器改造の件画像1-2
- #帝国海軍機関史(1975)上巻p.532
- #文備考別輯武蔵鳥海小鷹満珠干珠/鳥海艦推進器改造の件画像5-6「鳥海艦スクロープレド改正之図」
- #帝国海軍機関史(1975)上巻p.528
- #日本海軍全艦艇史(1994)上巻p.432、写真No.1034の解説
- #公文備考別輯武蔵鳥海小鷹満珠干珠/平野造船所より砲艦1艘代償調書並製造命令書案画像8、命令書案及び同第一條
- #公文備考別輯武蔵鳥海小鷹満珠干珠/鳥海横須賀鎮守府へ引渡画像5-8、明治21年12月6日「鳥海艦運転試験成績表」
- #帝国海軍機関史(1975)上巻p.531
- #公文備考別輯武蔵鳥海小鷹満珠干珠/平野造船所より砲艦1艘代償調書並製造命令書案画像6、一島砲艦製造代価調書
- #公文備考別輯武蔵鳥海小鷹満珠干珠/鳥海艦製造費増額の件画像3
- #公文備考別輯武蔵鳥海小鷹満珠干珠/鳥海と命名の件画像5
- #公文備考別輯武蔵鳥海小鷹満珠干珠/鳥海艦製造費増額の件画像1、明治20年7月6日普3532決済済
- #公文備考別輯武蔵鳥海小鷹満珠干珠/鳥海艦首尾能進水せり画像1、呉 西郷大臣宛、20日午後7時15分発電済「テウカイカンシユビヨクシンスイセリ」
- #公文備考別輯武蔵鳥海小鷹満珠干珠/鳥海横須賀鎮守府所轄と定めらる画像1、普第3495号
- #公文備考別輯武蔵鳥海小鷹満珠干珠/鳥海横須賀鎮守府へ引渡画像9、明治21年12月27日鳥第310号
- #M22達(下)/12月画像10、明治22年12月26日達第470号
- #M27達(上)/4月(1)画像1、明治27年4月4日達第53号
- #M27達(下)/5月画像24、明治27年5月23日達第75号
- #M27達(下)/5月画像24、明治27年5月23日達第76号
- #M27達(下)/5月画像24-25、明治27年5月23日達第77号
- #M27達(下)/6月画像1、明治27年6月5日達第83号
- #S8公文備考F9/初代鳥海艦歴に関する件画像3、初代鳥海艦歴
- #M27達(下)/7月画像17、明治27年7月19日達第123号
- #M28達/9月画像4、明治28年9月10日達第92号
- #S8公文備考F9/初代鳥海艦歴に関する件画像4、初代鳥海艦歴
- #S8公文備考F9/初代鳥海艦歴に関する件画像5、初代鳥海艦歴
- #M41達/3月画像16、明治41年4月1日達第40号
- #S8公文備考F9/初代鳥海艦歴に関する件画像6、初代鳥海艦歴
- #M41四季演習記6/夏季演習機関部報告画像1
- #M44公文備考56/売却払下廃却処分(3)画像8,11、明治44年官房第4435号の3
- 「明治三十七年辞令通報 3月」 アジア歴史資料センター Ref.C13071937600
参考文献
- アジア歴史資料センター
- 防衛省防衛研究所
- 『公文備考別輯 完 新艦製造部 武蔵 鳥海 小鷹 満珠 干珠 明治15~21』
- 「18年1月8日 主船局上申 砲艦1艘石川島平野造船所に於て製造の件」、JACAR:C11081437400。
- 「18年1月4日 主船局上申 平野造船所より砲艦1艘代償調書進達並右製造命令書案上呈の件」、JACAR:C11081437500。
- 「19年5月13日 艦政局上申 平野造船所より鳥海艦製造日限延期出願の件」、JACAR:C11081437700。
- 「18年3月5日 一般へ達 石川島造船所に於て製造の砲艦名号鳥海と命名の件」、JACAR:C11081437600。
- 「19年5月13日 艦政局上申 平野造船所より鳥海艦製造日限延期出願の件」、JACAR:C11081437700。
- 「20年6月16日 艦政局上申 鳥海艦製造費増額の件」、JACAR:C11081437800。
- 「21年1月12日 艦政局上申 鳥海艦推進器改造の件」、JACAR:C11081438200。
- 「20年8月20日 呉西郷大臣へ電信 鳥海艦首尾能進水せり」、JACAR:C11081439100。
- 「21年5月18日 横須賀鎮守府伝達 鳥海横須賀鎮守府所轄と定めらる」、JACAR:C11081439400。
- 「21年12月27日 横須賀鎮守府へ訓令 鳥海横須賀鎮守府へ引渡方」、JACAR:C11081439500。
- 『公文雑輯』
- 「明治22年5月16日 鳥海艦長上申端艇改造の義に付上申の件」『明治22年 公文雑輯 巻3 教育 演習 艦船1』、JACAR:C10124541000。
- 『公文備考』
- 「1売却払下廃却処分(1)」『明治44年 公文備考 艦船40 巻56』、JACAR:C07090178100。
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- 「1第2290号 8.5.17 初代鳥海艦歴に関する件」『昭和8年 公文備考 F 艦船 巻9』、JACAR:C05022910500。
- 『四季演習記』
- 「夏季演習機関部報告」『四季演習記 巻6 夏季連合演習記(3)止 軍艦駆逐隊 艇隊演習記 明治41』、JACAR:C11081785100。
- 海軍省『達』
- 「12月」『明治22年 達 下巻』、JACAR:C12070027100。
- 「4月(1)」『明治27年 達 上巻』、JACAR:C12070033200。
- 「5月」『明治27年 達 下巻』、JACAR:C12070033700。
- 「6月」『明治27年 達 下巻』、JACAR:C12070033800。
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- 造船協会『日本近世造船史 明治時代』 明治百年史叢書、原書房、1973年(原著1911年)。
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関連項目
- 鳥海 [II]
