鳳翔 (砲艦)

鳳翔(ほうしょう、旧仮名でほうしゃう[6])は日本海軍砲艦[22]長州藩イギリスに発注したが、日本に回航後に明治政府に献納された[14]。 小型艦ながら初期の日本海軍の貴重な戦力となった[14]

鳳翔
1878年頃、横須賀軍港での鳳翔#日本海軍全艦艇史p.429、No.1024の写真解説
1878年頃、横須賀軍港での鳳翔[3]
基本情報
建造所 A Hall & Co.[4]
(イギリスアバディーン)[5]
運用者 長州藩(山口藩)[6]
 大日本帝国海軍[7](兵部省[7])
艦種 砲艦[5]
建造費 代価:125,000ドル[8]
母港 最終時:[9]
艦歴
発注 慶応3年1月[10](1867年2月頃)
進水 1868年[6]
竣工 1869年[6]
就役 明治2年1月(1869年2月頃)山口藩が領収[8]
明治4年6月8日(1871年7月25日)兵部省が受領[11]
除籍 1899年3月13日[9]
その後 1906年4月19日廃船[6]
1907年4月9日売却[6]
要目
排水量 316英トン[12][13]
または常備:321英トン[14]
トン数 173トン[5]
長さ 224[10](41.485m)
全身長:131尺[15](39.97m)
垂線間長 121尺[16](36.67m)
24尺[16](7.27m)
甲板幅:21尺9[15][10](6.64m)
深さ 9尺2寸[5](2.79m)
または9尺3寸[16](2.82m)
吃水 前部:7尺6寸(2.30m)、後部8尺6寸(2.61m)[10]
または 8尺5寸[5](2.58m)
ボイラー円缶 2基[17]
主機 2気筒横置直動レシプロ 1基[16][17]
注射復水器[17]
推進 1軸[17]
出力 110IHP[17][5]
帆装 3バーク[5]
帆数:15枚[16]
速力 7.5ノット[17]、または7ノット[12]
1889年時:6ノット[18]
燃料 炭団:110,000[10](約66トン)
航続距離 燃料消費:15,000斤[10]、または5昼夜[16]
乗員 准士官以上8名、下士12名、火水夫45名、計65名[10]
1874年9月総員:上士官9人、下士13人、卒44人、計66人[19]
兵装 1874年9月[10][20]
110ポンド・シャント砲(前装3條砲) 1門
40ポンド・フレッケレー砲(後装20條砲) 1門
20ポンド・バアハアシェール砲(後装16條砲) 2門
1894年[14]
40ポンド瓦式単装砲 1門
20ポンド瓦式単装砲 2門
搭載艇 3隻[16]
その他 船材:[5]
信号符字:GQBL[21]

艦名は「が翅を伸ばして上空を飛び舞う」意味[12]

艦型

3バーク型の木造砲艦[5]。 機関は2気筒横置直動機関1基で[16][17] 110IHP[5][17]、 速力は7.5ノット[17]から6ノット[18]の記録がある。 Conway's All The World's Fighting Ships, 1860-1905.(以下Conway(1860-1905)と略記)では240IHP,11ノットとしている[4]。 また燃料は石炭810英トンとしているが[4]排水量(300トン前後)に比べて明らかに大きすぎる。

要目は主に公文書(『記録材料・海軍省報告書第一』[5]、『公文類纂』[16][15])や『帝国海軍機関史』[10]などによったが、 船体主要寸法には以下のように様々な値がある。

  • 『日本近世造船史 明治時代』:幅24 ft (7.32 m)、吃水8 ft (2.44 m)。長さは316になっているが排水量の値の誤植で排水量の値は121になっている。これを長さとすると121 ft (36.88 m)[7][23]
  • 『日本海軍史』第7巻:長さ36.96m、幅7.37m、吃水2.44m[24]
  • 『日本海軍特務艦船史』:垂線間長36.70m、最大幅7.37m、吃水2.44m[14]
  • 『日本補助艦艇物語』:垂線間長120 ft 5 in (36.70 m)、最大幅21 ft 2 in (6.45 m)、吃水8 ft 0 in (2.44 m)[25]
  • Conway(1860-1905):垂線間長144 ft (43.89 m)、幅22 ft (6.71 m)、吃水6 ft 9 in (2.06 m)[4]

兵装

明治4年の献納時には、前部マストと中部マストの間に100ポンド自在砲1門、中部マストと後部マストの間に40ポンド後装自在砲1門、艦首付近に20ポンド後装砲を両舷に各1門の計4門を装備した[16]。 砲弾は100ポンド砲が107発、40ポンド砲が70発、20ポンド砲が207発を搭載した[16]。 また1889年(明治22年)時には100斤瓦砲1門、20斤瓦砲2門、12斤那砲2門の計5門を装備した[18]。 『世界の艦船』では「新造時は下記(注:明治27年は40ポンド砲1門、20ポンド砲2門)の砲装に加えて前装式の100ポンド瓦砲1基を搭載し、18年(1885年)頃に撤去したようである」とされる[14]。 また「兵装についてはさまざまな記録がある」とされる[14]。 その他の文献での兵装は以下の通り。

  • 『近世帝国海軍史要』:10インチ砲 1門[13]
  • 『日本海軍史』第7巻:砲5門[24]
  • 『聯合艦隊軍艦銘銘伝』:小砲1門[26]
  • 『日本補助艦艇物語』:竣工時に40ポンド砲1門、20ポンド砲2門、12cm砲2門[25]
  • Conway(1860-1905):7インチ砲1門、5.5インチ砲1門[4]

艦歴

長州藩時

本艦は前述の通り長州藩が対幕府戦に備えて[26] イギリス人カラバに依頼して[10]、 イギリス・アバディーンで建造された[5]

1867年3月にグラバーと仮契約が結ばれ、アレキサンダー・ホール社に発注されている[27]。契約価格は9238ポンドであった[28]1868年進水、1869年竣工[29]。 『聯合艦隊軍艦銘銘伝』によると明治元年(1868年)竣工、もしくはその時既に竣工済みであったとの説もある、とのこと[26] (たとえば『記録材料・海軍省報告書第一』によると1861年建造[5])。 『日本近世造船史 明治時代』では起工慶応2年(1866年)、竣工明治3年(1870年)としている[23]

明治2年1月(1869年2月頃)に三田尻で受取[8] 鳳翔丸と命名[6]戊辰戦争の支援のため品川沖に回航されたが戦闘には参加しなかった[14]。 同年7月13日(新暦8月10日)、遠州沖で暴風に遭い、マスト3本を切断して清水港に吹き寄せられた[8]。 明治3年3月(1870年4月)に長崎で修理を行った[8]。 明治4年2月29日(1871年4月18日)に山口藩から雲揚丸鳳翔丸の献納の申し出があり[30]鳳翔丸は5月29日(新暦7月16日)品海に到着[31]、 6月8日(新暦7月25日)に兵部省が受領[11]、 艦名は鳳翔(艦)となった[32]

『日本海軍史 第7巻』によると明治3年6月(1870年7月前後)に山口藩(長州藩)が購入し鳳翔丸と改名、明治4年5月18日(1871年7月4日)に新政府に献納された[33]

『海軍省報告書』では5月18日(1871年7月5日)に鳳翔雲揚共に山口藩から献納された、としている[34]

明治4年

11月15日(1871年12月26日)に鳳翔は六等艦に定められた[35]

明治5年

明治5年4月12日(1872年5月18日)、鳳翔日進と共に中艦隊に編入された[36][37]。 5月18日(1872年6月23日)時点で中艦隊日進孟春龍驤第一丁卯第二丁卯雲揚春日筑波鳳翔の9隻で編制していた[36]

5月23日(1872年6月28日)、鳳翔雲揚孟春品川を出港[38]、 7月11日(1872年8月14日)品川に帰着した[38]。 (なお明治天皇を乗せた龍驤は翌7月12日に横浜港に帰港した[38]。)

1873年

1873年(明治6年) 2月13日、各港に常備艦を配置することになり、春日鳳翔兵庫港に配置されることになった[39]

6月30日時点で中艦隊雲揚日進春日龍驤鳳翔筑波の7隻で編制していた[40]

1874年

1874年(明治7年)の佐賀の乱征台の役に参加した[6]。 ただし『恩給叙勲年加算調査』には記録されていない[41]。 2月28日佐賀の乱の鎮圧のために鳳翔へ回航命令が出され、3月1日横浜港を出港したが、5日に兵庫港到着した時に乱は鎮圧され、7日に兵庫を出港、13日品川に帰着した[42]

北海道回航

4月25日鳳翔北海道回航を指示された[43]海底電線を引くために青森港近海の測量を行うためで[44]、 5月20日午前10時に大坂丸と共に品川港を出港する予定とした[45]

6月30日時点の中艦隊雲揚日進春日龍驤鳳翔第二丁卯で編制されていた[46]

鳳翔は7月20日函館を出港、千島を巡回し8月18日根室港に帰着した[47][注釈 1]。 ここで鳳翔に函館でのプロイセン王国領事殺害の報告が入り、鳳翔は根室を21日出港し函館へ回航した[47]鳳翔襟裳岬沖で暴風に遭い、マスト2本が折れるなどの被害が出、函館には26日頃到着した[47]。 9月8日に鳳翔大坂丸千代田形に帰京の命令が出され[48]鳳翔は11日に室蘭に回航、その後に鍬ヶ崎(宮古港)、山田港に寄港し[49]、 9月21日午後7時32分に品海に帰着した[50]

1875年-1876年

1875年(明治8年) 3月5日、「清輝」の進水式に明治天皇が臨席[51]、 この時「鳳翔」「筑波」などが横須賀港内に停泊していた[51]

6月30日時点で中艦隊は雲揚日進春日龍驤鳳翔第一丁卯で編制されていた[52]1875年(明治8年)10月28日、中艦隊は解隊、鳳翔中艦隊から除かれた[52]。 各艦船は東西両部指揮官に属することになった[52]。 日本周辺を東部と西部に分け、東部指揮官は中牟田倉之助少将、西部指揮官は伊東祐麿少将が任命され[53]龍驤鳳翔雲揚富士山摂津高雄丸大坂丸は東部指揮官所轄となった[53]

朝鮮派遣

江華島事件の後、在留邦人保護の為に朝鮮へ2度派遣された[26]1875年(明治8年) 11月29日鳳翔に居留民保護のために釜山回航が命令され、11月30日横浜港を出港、孟春と交代の形になった[54]。 以後朝鮮での警備を行い、翌1875年(明治9年)1月23日下関に帰港した[41]。 1月27日下関を出港して再び朝鮮へ向かい、3月28日長崎港に帰着した[41]鳳翔は6月6日に横浜港に帰港した[55]

萩の乱

熊本と山口での暴動のため、10月31日に鳳翔は横浜港を出港した[56]。 12月9日、鳳翔は横浜港に帰港した[57]

1877年

1877年(明治10年) 1月24日、行幸出発に際し、鳳翔孟春千代田形の4隻で小艦隊を編成して金田湾まで見送り、帰途は蒸気機関運転での艦隊運動訓練を行った[58]

西南戦争

2月8日、西南方面が不穏のため、鳳翔孟春の2隻に回航命令が出され、翌9日に2隻は横浜港を出港、神戸港に向かった[59]。 2月21日神戸を出港、鹿児島へ向かった[41]西南戦争では日奈久攻略に参加した[6]。 10月10日品海(または同日正午、横浜港[60])に帰港した[41]

11月15日から横浜港に碇泊した[61]

1878年

修理

1878年(明治11年) 1月6日横須賀に回航、約3カ月間修理を行った[61]。 4月9日横浜に回航した[61]

訓練

5月25日品海に回航、以後帆走訓練を行い、6月13日横浜に帰港した[61]。 6月20日横浜を出港、帆走訓練を行い、清水港、下田港に寄港し、6月27日横浜に帰港した[61]

7月7日横浜を出港、途中清水、的矢に寄港し7月9日神戸港に入港した[61]。 9月23日神戸を出港、的矢に寄港し9月27日横浜港に帰港した[61]。 10月5日品海に回航、10月29日横浜に帰港[61]。 11月5日品海に回航、12月9日横浜に帰港した[61]

1879年

1879年(明治12年) 3月15日横浜から横須賀港に回航[62]。 3月29日横浜港に戻った[62]

朝鮮回航

3月31日横浜港を出港[41]、 紀州和田浦、神戸港、室津、下関に寄港し、4月13日釜山浦に到着した[62]。 4月29日釜山発、30日所安島着[62]。 5月日所安島発、翌4日バジル湾着[62]。 5月9日バジル湾発、翌10日豊島着[62]。 5月12日古温浦に回航した[62]。 6月4日豊島に回航[62]。 6月6日月尾島に回航した[62]。 9月7日月尾島発、9月10日五島列島玉之浦に帰国した[62]。 9月15日長崎港に回航した[62][注釈 2]。 9月27日長崎発、室住、神戸港、九鬼浦、妻良子浦、下田港に寄港し、10月15日横浜港に帰港した[62]

10月25日品川湾に回航した[62]

1880年

1880年(明治13年) 1月4日横浜港に回航[62]。 4月2日横須賀港に回航[62]。 5月8日から6月15日(ママ)まで横須賀造船所で修理を行った[63]。 6月12日横浜港に回航[62]。 6月21日横浜港を出港、23日兵庫港に到着[62]。 6月29日兵庫発、翌30日に御手洗に到着した[62]。 7月1日上関へ回航、7月21日厳島へ回航、7月25日上関に戻った[64]。 9月8日上関から下関へ回航、9月14日下関を出港したが風の関係で降松で避泊、翌15日上関へ戻った[64]。 9月25日上関をから小泊へ回航した[64]。 10月17日三カ浜に回航、10月28日小泊に回航、11月5日興居島に回航、11月9日同島を出港し、翌10日兵庫港に入港した[64]。 11月18日兵庫を出港、天候不良のため一時尾鷲に避泊、11月22日横浜港に帰港した[64]。 11月24日品川に回航した[64]

1881年 - 1882年

1881年(明治14年) 2月9日品川から横浜に回航した[64]。 6月12日横須賀に回航、翌13日出港し隅田川競漕の舟を曳航、品川に到着した[64]

8月16日に浅間付属練習艦に指定され[6][65]、 以降は練習艦任務に就いた[14]

修理

12月21日から横須賀造船所で修理を行った[66][67]

1883年

1883年(明治16年) 7月18日横須賀港を出港し、21日兵庫港に到着した[68]。 7月23日兵庫春、門司浦を経由し、26日長崎港に入港した[68]。 7月29日長崎発、30日鹿児島に到着した[68]。 8月11日鹿児島発、兵庫を経由し17日横浜港に帰港した[68]

1886年

1886年(明治19年)3月13日航海練習艦に指定された[6]

1889年

1889年(明治22年)5月16日、鳳翔は航海練習艦に指定された[69]

1890年

1890年(明治23年)8月23日、鳳翔は第一種に定められた[6][70]

1891年

1891年(明治24年)8月23日、練習艦鳳翔海軍兵学校附属に定められた[71]

日清戦争

日清戦争では呉軍港の警備に就いた[6]。 『日本特務艦船史』によるとこの時は佐世保鎮守府長官の指揮下、長崎港に回航し湾口の警備に就いている[14]1894年(明治27年)4月4日、鳳翔は練習艦の役務を解かれ[72]、 7月25日警備艦に指定された[73]

1895年(明治28年)2月28日、警備艦の役務を解かれ[74]、 3月24日再び練習艦に指定された[75]

1898年

1898年(明治31年)3月21日に類別等級が制定され、鳳翔は二等砲艦に類別された[22]

除籍

1899年(明治32年)3月13日に除籍[9]、 18日に雑役船に変更され[6]、 海軍兵学校付属とされた[76]

1906年(明治39年)3月20日売却の上申、船体は修理によりまだ使用可能だったが、艤装品や附属品の腐食が進み、修理の価値なしと見られた[77]。 4月19日売却認許[78]、 翌1907年(明治40年)4月9日に売却報告が出された[79]。 金額は10,005円だった[80]

艦長

※『日本海軍史』第9巻・第10巻の「将官履歴」及び『官報』に基づく。

  • 福島敬典 大尉:明治4年6月(1871年7月から8月)[81] - 明治5年4月(1872年5月頃)
  • 澤野種鉄 少佐:明治5年4月7日(1872年5月13日)[37] - 1873年3月3日[82]
  • 山崎景則 少佐:1873年3月3日[82] - 1880年6月14日
  • 松岡方祇 少佐:1886年3月15日 - 1886年4月12日
  • (心得)田尻唯一 大尉:1886年4月12日 - 1886年6月23日[83]
  • 田尻唯一 少佐:1886年6月23日[83] -
  • 田口義尚 少佐:1889年5月15日 -
  • 坂田昌熾 少佐:1890年12月1日 - 1891年7月23日
  • 内田正敏 少佐:1891年7月23日 - 10月12日
  • (兼)内田正敏 少佐:1891年10月12日 - 12月14日
  • (兼)矢部興功 少佐:1891年12月14日 - 1893年10月12日
  • (兼)早崎源吾 少佐:1893年10月12日 - 1893年12月20日
  • 早崎源吾 少佐:1893年12月20日 - 1894年4月14日
  • 藤田幸右衛門 少佐:1894年6月27日 - 1894年7月2日
  • 酒井忠利 少佐:1895年10月28日 - 1896年4月1日
  • 安住保弘 大尉:1896年4月1日 - 12月4日
  • 真崎宏治 大尉:1896年12月4日 -
  • (兼)松村直臣 大尉:1897年6月1日 - 12月27日
  • (兼・心得)河野左金太 大尉:1898年4月1日 - 6月28日
  • (兼)河野左金太 少佐:1898年6月28日 - 1899年3月13日

脚注

注釈

  1. #S9.12.31恩給叙勲年加算調査(下)/軍艦(4)画像3によると根室到着は7月22日になっている。
  2. #S9.12.31恩給叙勲年加算調査(下)/軍艦(4)画像3、舊鳳翔では明治12年9月15日横浜となっている。

出典

  1. #日本海軍全艦艇史p.429、No.1024の写真解説
  2. #日本海軍全艦艇史p.429、No.1024の写真解説
  3. #日本海軍全艦艇史p.429、No.1024の写真解説
  4. #Conway(1860-1905)p.235
  5. #M1-M9海軍省報告書画像23-24、明治四年辛未艦船総数表
  6. 中川努「主要艦艇艦歴表」#日本海軍全艦艇史資料篇p.8、鳳翔『ほうしょう・ほうしゃう』
  7. #造船史明治(1973)p.188、兵部省所管艦船表、軍艦。
  8. #機関史(1975)上巻p.470
  9. #明治32年達/3月画像7、明治32年3月13日達第42号「呉鎮守府所管 予備艦 鳳翔 右軍艦籍ヨリ除名セラル」
  10. #機関史(1975)上巻p.469
  11. #M4公文類纂26/鳳翔丸請取済画像1「山口藩鳳翔艦之儀献艦願済相成候ニ付去八日受取候条以後諸艦同様相心得可申候此旨相達候也 辛未六月十日 兵部省 海軍所」
  12. #浅井(1928)p.29、鳳翔 ほうしやう Hôsyô.
  13. #近世帝国海軍史要(1974)p.884
  14. #特務艦船史(1997)p.74
  15. #M7公文類纂13/管轄(2)画像21-23、明治7年事1套坤大日記第288号、別冊
  16. #M4公文類纂26/鳳翔丸請取済15-18
  17. #機関史(1975)別冊表1、「明治維新以前の機関」関係表
  18. #明治22年公文備考3/演習(2)画像13
  19. #M7公文類纂13/管轄(2)画像35-36、明治7年事1套坤大日記第288号、各艦乗組現員
  20. #M7公文類纂13/管轄(2)画像44-48、明治7年事1套坤大日記第288号、各艦内ノ砲銃及其種類
  21. #公文類聚10編33巻 画像1『二月十八日 逓信省海軍艦船及西洋形商船ニ信号符字ヲ點付ス 逓信省達 第八号本年一月中海軍艦船及ヒ西洋形商船左ノ通信号符字ヲ點付ス十九年二月十八日 海軍艦船ノ部 信号符字 艦名 砲數 GQBC 龍驤Ru-jo 六 GQBF 筑波Tsuku-ba 八 GQBJ 春日Kasuga 五 GQBL 鳳翔 Hosyo 四 GQBN 富士山 Fujiyama 十二 GQBR 孟春Mo-shun 四 信號符字 艦名 砲數 GQBD 東Aduma 三 GQBH 日進Nisshin 七 GQBK 雷電Raiden 四 GQBM 石川Ishi-kawa 二 GQBP 天城Ama-ki 六 GQBS 清輝Sei-ki 六』
  22. #海軍制度沿革8(1971)pp.60-61、明治31年3月21日(達35)、軍艦及水雷艇類別等級。
  23. #造船史明治(1973)p.444、艦船年表、軍艦。
  24. 『日本海軍史』第7巻pp.200-201
  25. #日本補助艦艇物語pp.374-375
  26. 片桐 2014, p. 187.
  27. 杉山伸也『明治維新とイギリス商人』94ページ
  28. 杉山伸也『明治維新とイギリス商人』94-95ページ
  29. は『日本海軍史 第7巻』による。『世界の艦船』でも1869年竣工としている。
  30. #M4公文類纂26/鳳翔雲揚献艦願画像1-2
  31. #M4公文類纂26/鳳翔艦品川着画像1、「先般辨官ヘ御願仕置候ゴンボート鳳翔丸去ル廿九日品海來着仕候間早々御請方相成候様奉願候以上 辛未六月二日 山口藩 兵部省御中」
  32. 『聯合艦隊軍艦銘銘伝』p187による。このころの軍艦の正式名称には艦名の後に「艦」がつき、1887年(明治20年)まで「鳳翔」の正式な艦名は「鳳翔艦」。
  33. 『日本海軍史』第7巻pp.425-426
  34. #M1-M9海軍省報告書画像17、明治4年5月。
  35. #海軍制度沿革8(1971)p.58、明治4年11月15日(兵部省146)、諸艦等級ヲ定ムルノ件。
  36. #海軍制度沿革4-1(1971)p.7、明治5年
  37. #M1-M9海軍省報告書画像26-27、明治5年4月。
  38. #M1-M9海軍省報告書画像30、明治5年7月。
  39. #M1-M9海軍省報告書画像37-38、明治6年2月。
  40. #海軍制度沿革4-1(1971)p.7、明治6年
  41. #S9.12.31恩給叙勲年加算調査(下)/軍艦(4)画像3、舊鳳翔
  42. #M1-M9海軍省報告書画像49-51、明治7年2月。
  43. #M7公文類纂15/航泊出入(2)画像18
  44. #M7公文類纂15/航泊出入(5)画像23
  45. #M7公文類纂15/航泊出入(5)画像19,21
  46. #海軍制度沿革4-1(1971)p.7、明治7年
  47. #M7公文類纂15/航泊出入(5)画像29-30、明治7年8月26日(鳳翔報告)第179号
  48. #M7公文類纂15/航泊出入(5)画像25
  49. #M7公文類纂15/航泊出入(5)画像33
  50. #M7公文類纂15/航泊出入(5)画像31
  51. #横須賀海軍船廠史(1973)第2巻p.21。
  52. #海軍制度沿革4-1(1971)p.7、明治8年
  53. #M1-M9海軍省報告書画像68-70、明治8年10月。
  54. #M1-M9海軍省報告書画像70-72、明治8年11月。
  55. #M1-M9海軍省報告書画像81-82、明治9年6月。
  56. #M9.7-M10.6海軍省報告書/沿革画像7-11、明治9年10月
  57. #M9.7-M10.6海軍省報告書/沿革画像13-16、明治9年12月
  58. #M9.7-M10.6海軍省報告書/沿革画像17-20、明治10年1月
  59. #M9.7-M10.6海軍省報告書/沿革画像20-24、明治10年2月
  60. #M10.7-M11.6海軍省報告書画像11-14、明治10年10月沿革
  61. #M11.7-M12.6海軍省報告書画像41-42、鳳翔艦航泊表
  62. #M12.7-M13.6海軍省報告書画像32-33(pp.54-56)、航泊表鳳翔
  63. #M12.7-M13.6海軍省報告書画像20-21、艦船修復
  64. #M13.7-M14.6海軍省報告書画像32-33、艦船航泊表、鳳翔艦
  65. #M14.7-M15.6海軍省報告書画像18、艦船所轄並在任附改称及等級
  66. #M14.7-M15.6海軍省報告書画像21-23、部内艦船修復
  67. #M15.7-12海軍省報告書画像17、部内艦船修復
  68. #M16海軍省報告書画像26、艦船航海、鳳翔艦
  69. #M22達(上)/5月画像23、明治22年5月16日達第144号
  70. #海軍制度沿革8(1971)p.58、明治23年8月23日(達304)、軍艦種別ノ件。
  71. #M24達(下)/10月画像4、明治24年10月12日達第201号
  72. #M27達(上)/4月(1)画像1、明治27年4月4日達第52号
  73. #M27達(下)/7月画像19、明治27年7月25日達第126号
  74. #明治28年達/2月画像5、明治28年2月28日達第10号
  75. #明治28年達/3月画像16、明治28年3月24日達第28号
  76. #明治32年達/3月画像15、明治32年3月18日達第48号「舊軍艦鳳翔ヲ海軍兵学校ニ付属セシム」
  77. #M39公文備考24/売買、譲与(1)画像45-46、明治39年官房第1417号(呉鎮第321号の2)
  78. #M39公文備考24/売買、譲与(1)画像43-44、明治39年官房第1417号の2
  79. #M40公文備考24/売却及処分画像40、明治40年呉鎮第791号
  80. #M40公文備考24/売却及処分画像41-42、明治40年呉工第1280181号の2(艦本第1338号)
  81. #M1-M9海軍省報告書画像17-18、明治4年6月。
  82. #M1-M9海軍省報告書画像38-39、明治6年3月。
  83. 『官報』第895号、明治19年6月26日。

参考文献

  • アジア歴史資料センター(公式)
    • 国立公文書館
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    • 『記録材料・海軍省報告書』。Ref.A07062091300。 明治10年7月から明治11年6月。
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    • 『記録材料・海軍省報告書』。Ref.A07062092100。 明治14年7月から明治15年6月。
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  • 浅井将秀/編『日本海軍艦船名考』東京水交社、1928年12月。
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  • 海軍歴史保存会『日本海軍史』第7巻、第9巻、第10巻、第一法規出版、1995年。
  • 片桐大自『聯合艦隊軍艦銘銘伝』(光人社、1993年) ISBN 4-7698-0386-9
    • 片桐大自『聯合艦隊軍艦銘銘伝<普及版> 全八六〇余隻の栄光と悲劇』潮書房光人社、2014年4月(原著1993年)。ISBN 978-4-7698-1565-5。
  • 『日本海軍特務艦船史』 世界の艦船 1997年3月号増刊 第522集(増刊第47集)、海人社、1997年3月。
  • 杉山伸也『明治維新とイギリス商人 トマス・グラバーの生涯』岩波書店、1993年、ISBN 4-00-430290-0
  • 日本舶用機関史編集委員会/編『帝国海軍機関史』 明治百年史叢書 第245巻、原書房、1975年11月。
  • 造船協会/編『日本近世造船史 明治時代』 明治百年史叢書 第205巻、原書房、1973年(原著1911年)。
  • 福井静夫『日本補助艦艇物語』 福井静夫著作集第10巻、光人社、1993年12月。ISBN 4-7698-0658-2。
  • 福井静夫『写真 日本海軍全艦艇史』ベストセラーズ、1994年。ISBN 4-584-17054-1。
  • 横須賀海軍工廠 編『横須賀海軍船廠史』 明治百年史叢書 第170巻、原書房、1973年3月(原著1915年)。
  • 官報

関連項目

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