1999年自由民主党総裁選挙

1999年自由民主党総裁選挙(1999ねんじゆうみんしゅとうそうさいせんきょ)は、1999年9月21日に行われた日本の自由民主党の党首である総裁の選挙である。

1999年自由民主党総裁選挙

1998年 ←
1999年9月21日
→ 2000年

選挙制度 総裁公選規程による総裁選挙

 
候補者 小渕恵三加藤紘一山崎拓
投票 350 113 51




選挙前総裁

小渕恵三

選出総裁

小渕恵三

概要

1997年自由民主党総裁選挙(現職の橋本龍太郎の無投票再選)の任期満了に伴い実施された。前年の1998年自由民主党総裁選挙で初当選した現職の小渕恵三は無投票再選を強く望み、特に加藤には後継者の座を匂わせながら懐柔したが、加藤派を継承したばかりの加藤紘一がこれを無視し、盟友で山崎派会長の山崎拓とともに出馬し、選挙が実施された。加藤はすでに将来の総裁の有力候補と目されており、ポスト小渕をアピールする絶好の場と考え、落選は織り込み済みであったが、総裁選後に挙党態勢が敷かれることを期待して「さわやかな政策論争」を盛んにアピールした。

結果は想定通り小渕が勝利したが、小渕は自らに歯向かった加藤を許さず、直後の人事で加藤派を徹底的に冷遇した。これが翌年の加藤の乱につながることになる[1]。

他方、清和会(森派)は会長である森喜朗が幹事長として小渕を支える立場だったこともあり早々に出馬を見送って派として小渕を支持し、過去2回の総裁選に出馬していた小泉純一郎もそれに従った。翌年小渕が病に倒れると、引き続き幹事長を務めていた森に首相の座が回ってきた。そして「加藤の乱」では森を派閥会長として支えていた小泉が乱の鎮圧にあたり、結果的に翌年自ら首相の座を得た。

このように、この総裁選は後の政局の重要な伏線を幾つも孕んでいたことになる。なお、この時派閥会長の森に強く出馬を迫ったのが、当時当選2回の若手だった安倍晋三である。安倍は後に自分も若かったと苦笑しながら「私たち若手の要求どおり、森さんが対抗馬で出ていたら後継首相になれなかったかもしれない。あのとき出馬した加藤さんは結局、首相になれなかった」と述懐している[2]。

立候補者

選挙結果

候補者得票数 議員票 党員算定票
小渕恵三350票 253票 97票
加藤紘一113票 85票 28票
山崎拓51票 33票 18票

当選者

脚注

  1. “加藤紘一氏死去 上れなかった政権の坂”. 日本経済新聞 (2016年9月11日). 2016年9月13日閲覧。
  2. “もう一つの政権交代”. 日本経済新聞 電子版. 2020年10月12日閲覧。

関連項目

This article is issued from Wikipedia. The text is licensed under Creative Commons - Attribution - Sharealike. Additional terms may apply for the media files.