グラハム・アーノルド
グラハム・ジェームズ・アーノルド(英: Graham James Arnold、1963年8月3日 - )は、オーストラリア・シドニー出身[2] の元サッカー選手(FW)、サッカー指導者。オーストラリアサッカー協会殿堂。イギリス英語発音では「グレイ(ァ)ム・ジェイムズ・アーノルトゥ([ˈɡreɪəm dʒeɪmz ˈɑːnəld])」、アメリカ英語発音では「グラム・ジェイムズ・アーナル(トゥ)([græm dʒeɪmz ˈɑrnəld])」。またはグレアムとも。本表題の名前は、検証可能性の観点からJリーグ登録時の名前[1] を用いている。
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|---|---|---|---|---|---|---|
![]() CCマリナーズFC監督時代(2012年) | ||||||
| 名前 | ||||||
| ラテン文字 | Graham ARNOLD | |||||
| 基本情報 | ||||||
| 国籍 |
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| 生年月日 | 1963年8月3日(60歳)[1] | |||||
| 出身地 | シドニー | |||||
| 身長 | 179cm | |||||
| 選手情報 | ||||||
| ポジション | FW | |||||
| クラブ1 | ||||||
| 年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
| 1980-1981 |
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| 1982-1990 |
| 178 | (88) | |||
| 1990-1992 |
| 61 | (22) | |||
| 1992-1994 |
| 60 | (23) | |||
| 1994-1995 |
| 16 | (1) | |||
| 1995-1997 |
| 63 | (35) | |||
| 1997-1998 |
| 28 | (7) | |||
| 1998-2001 |
| 47 | (5) | |||
| 通算 | 453 | (161) | ||||
| 代表歴 | ||||||
| 1985-1997 |
| 56 | (19) | |||
| 監督歴 | ||||||
| 1989-1990 |
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| 1998-2000 |
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| 2006-2007 |
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| 2007-2008 |
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| 2010-2013 |
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| 2014 |
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| 2014-2018 |
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| 2018-2021 |
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| 2018- |
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1. 国内リーグ戦に限る。2007年10月4日現在。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj | ||||||
経歴
現役時代
元オーストラリア代表FW。国際Aマッチ56試合19得点、非公式試合やBマッチなどを含めると85試合33得点の成績を残し、オーストラリアサッカー史上において著名なストライカーの一人[2]。
1980年、ニューサウスウェールズ・プレミアリーグのカンタベリー・マリックビルでキャリアをスタート。1982年よりオーストラリアン・ナショナルサッカーリーグ(NSL)のシドニー・クロアチア(現:シドニー・ユナイテッドFC)へ移籍し、1986年にNSL得点王、リーグ最優秀選手賞を受賞。
1990年から1992年および1995年から1997年はオランダのエールディヴィジ、1992年から1995年はベルギーのジュピラーリーグでプレー。エールディヴィジでは5年余りで58得点を決めている。
1985年にオーストラリア代表として初出場。最後の試合は1997年に行われた1998 FIFAワールドカップ・予選のAFC-OFCプレーオフのイラン代表戦の2戦目だった。この試合でオーストラリアは2点をリードしながら同点に追いつかれたため、W杯出場権獲得は成らなかった(メルボルンの悲劇)。
1997年からオーストラリア代表元監督のエディ・トムソンが監督を務めていたJリーグ・サンフレッチェ広島F.Cに入団。選手として入団したが、若手の久保竜彦にFWとしての経験を伝える教育係でもあった[3]。1998年6月に契約満了する[4]。
指導者時代
2000年、オーストラリア代表のアシスタントコーチに就任し、監督はフランク・ファリーナ、ヒディンクと代わったが、アーノルドは常にアシスタントコーチとして代表に付き添った[2][5]。
2006年7月、オーストラリア代表の監督に就任。アジアカップ2007はグループリーグAを2位の成績で決勝トーナメントへ進出。なお、決勝トーナメントは1回戦で日本代表にPK戦で敗退。
その後、U-23代表監督に就任し、北京オリンピック出場に導いた[5]。
2010 FIFAワールドカップ終了後、ローリー・マッキーナの後を受け2010年7月にセントラルコースト・マリナーズFC監督に就任[2][5]。2011/12レギュラーシーズン、チームを優勝に導きリーグ最優秀監督賞を受賞。2012/13シーズンはグランドファイナルに進出し優勝を飾った[1][2]。
2014年、Jリーグ・ベガルタ仙台の監督に就任[1]。オーストラリア国外のクラブチームを指揮するのはこれが初めてとなったが、リーグ戦6試合で2分け4敗、ナビスコカップを含めた公式戦8試合で3分け5敗と苦戦。結局1勝も挙げられないまま、4月9日に退任。クラブ側との協議の末、「解任」ではなく「双方合意の上での退任」という形が取られたため違約金は発生しなかった[6]。
2014年5月、オーストラリアに戻りシドニーFC監督に就任[7]。
2018年3月8日、W杯ロシア大会終了後にオーストラリア代表監督に就任することが同国サッカー連盟から発表された[8]。11年ぶりの代表監督復帰となる。
個人成績
| 国内大会個人成績 | |||||||||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
| 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
| オーストラリア | リーグ戦 | リーグ杯 | FFA杯 | 期間通算 | |||||||
| 1980 | カンタベリー・ マリックビル | ||||||||||
| 1981 | |||||||||||
| 1982 | シドニー・ クロアチア | NSL | |||||||||
| 1983 | |||||||||||
| 1984 | |||||||||||
| 1985 | |||||||||||
| 1986 | |||||||||||
| 1987 | |||||||||||
| 1988 | |||||||||||
| 1989 | |||||||||||
| 1989-90 | |||||||||||
| オランダ | リーグ戦 | リーグ杯 | KNVBカップ | 期間通算 | |||||||
| 1990-91 | ローダ | エールディヴィジ | |||||||||
| 1991-92 | |||||||||||
| ベルギー | リーグ戦 | リーグ杯 | ベルギー杯 | 期間通算 | |||||||
| 1992-93 | RFCリエージュ | ジュピラーリーグ | |||||||||
| 1993-94 | |||||||||||
| 1993-94 | シャルルロワ | ||||||||||
| オランダ | リーグ戦 | リーグ杯 | KNVBカップ | 期間通算 | |||||||
| 1994-95 | ローダ | エールディヴィジ | |||||||||
| 1995-96 | |||||||||||
| 1996-97 | |||||||||||
| 日本 | リーグ戦 | リーグ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
| 1997 | 広島 | 9 | J | 18 | 6 | 5 | 4 | 0 | 0 | 23 | 10 |
| 1998 | 10 | 1 | 0 | 0 | - | 10 | 1 | ||||
| オーストラリア | リーグ戦 | リーグ杯 | FFA杯 | 期間通算 | |||||||
| 1998-99 | ノーザン・ スピリット | NSL | |||||||||
| 1999-00 | |||||||||||
| 2000-01 | |||||||||||
| 通算 | 豪州 | NSL | |||||||||
| オランダ | エールディヴィジ | ||||||||||
| ベルギー | ジュピラーリーグ | ||||||||||
| 日本 | J | 28 | 7 | 5 | 4 | 0 | 0 | 33 | 11 | ||
| 総通算 | |||||||||||
監督成績
- 2018年10月15日現在
| クラブ | 就任 | 退任 | 記録 | ||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 試 | 勝 | 分 | 敗 | 勝率 | |||
| オーストラリア代表 | 2006年12月 | 2007年11月 | 9 | 3 | 1 | 5 | 33.33 |
| セントラルコースト | 2010年2月10日 | 2013年11月14日 | 112 | 54 | 29 | 29 | 48.21 |
| ベガルタ仙台 | 2014年2月1日 | 2014年4月9日 | 6 | 0 | 2 | 4 | 0.00 |
| シドニー | 2014年5月8日 | 2018年7月14日 | 142 | 81 | 34 | 27 | 57.04 |
| オーストラリア代表 | 2018年7月14日 | 1 | 1 | 0 | 0 | 100.00 | |
| 合計 | 270 | 139 | 66 | 65 | 51.48 | ||
タイトル
脚注
- 『2014シーズン新監督にグラハム・アーノルド氏 就任のお知らせ』(プレスリリース)ベガルタ仙台、2013年11月14日。2013年12月29日閲覧。
- “Graham Arnold”. オーストラリアサッカー連盟. 2012年10月14日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年5月9日閲覧。
- 中野和也『サンフレッチェ情熱史』ソル・メディア、2013年12月、113頁。ISBN 4905349141。
- “松永の同点弾フイ”. 中国新聞 (1998年4月11日). 2007年6月21日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年5月9日閲覧。
- “Graham Arnold deserves to be given a chance”. The Roar (2010年2月19日). 2013年5月25日閲覧。
- 『グラハム・アーノルド監督 退任のお知らせ』(プレスリリース)ベガルタ仙台 オフィシャルウェブサイト、2014年4月9日。2014年4月9日閲覧。
- “シドニーFC新監督に仙台前監督のグラハム・アーノルド氏が就任”. ゲキサカ (2014年5月8日). 2014年5月9日閲覧。
- “元仙台のアーノルド氏、豪州代表の監督就任が決定。ロシアW杯後からの指揮に”. フットボールチャンネル (2018年3月8日). 2018年3月8日閲覧。
参考資料
- グラハム・アーノルド – FIFA主催大会成績
- Graham Arnold - NATIONAL FOOTBALL TEAMS
- Australian Player Database - OZFOOTBALL.net
外部リンク
- グラハム・アーノルド - オーストラリアオリンピック委員会 (英語)
- グラハム・アーノルド - Olympedia (英語)
- グラハム・アーノルド - Sports-Reference.com (Olympics) のアーカイブ (英語)
- グラハム・アーノルド - National-Football-Teams.com (英語)
- グラハム・アーノルド - Soccerway.com (英語)
- グラハム・アーノルド - FootballDatabase.eu (英語)
- グラハム・アーノルド - WorldFootball.net (英語)
- グラハム・アーノルド - Transfermarkt.comによる選手データ (英語)
- グラハム・アーノルド - Transfermarkt.comによる指導者データ (英語)
- グラハム・アーノルド - FIFA主催大会成績 (英語)
