ハドソン (航空機)
概要
イギリス空軍の要求に従い、ロッキード社がL-14 スーパーエレクトラ旅客機をもとに開発した。のちにアメリカ陸軍航空軍(名称:A-28/29)やアメリカ海軍(名称:PBO)でも沿岸哨戒機として使用した。また、オーストラリア、ニュージーランド、カナダ、中華民国にも輸出された。
イギリスでの運用
1939年5月から沿岸航空隊に配備され、偵察や哨戒任務に就いた。特に対潜哨戒任務を得意としており対Uボート作戦に従事し、1941年8月21日、沿岸防備隊のハドソン1機が北大西洋でUボートを激しく攻撃したためUボートは浮上して降伏した[1]。
北海にてドイツ海軍の補給艦「アルトマルク」を発見し、アルトマルク号事件のきっかけを作ったり、戦艦「ビスマルク」の追撃戦にも参加している。
1943年頃から、前線での任務はビッカース ウェリントンやより高性能なコンソリデーテッド B-24 リベレーターと交替したが、輸送機や救難機として終戦まで運用された。
また、マレー半島やオーストラリアに配備された機体は太平洋戦争にて日本軍と交戦しており、中でも一部は南方作戦時に大日本帝国陸軍により鹵獲され陸軍航空審査部などで調査され、のちには映画『加藤隼戦闘隊』の撮影にP-40 ウォーホークやF2A バッファローともども使用(出演)されている。また、飛行第81戦隊は、鹵獲したハドソンを九七式司令部偵察機から一〇〇式司令部偵察機への機種転換訓練に使用し、成果をあげている[2]。
日本海軍のエース坂井三郎の著書『大空のサムライ』の記述に、1942年7月22日にオーストラリア空軍No.35Sqn.(第32飛行隊)のハドソン(コードA16-201)と対峙してこれを撃墜したが、敵は勇敢で前方固定機銃を持って立ち向かってくる戦法に戸惑ったとされる。坂井は機長であるウォーレン・F・コワン少尉以下、本機のクルーを1997年(平成9年)にオーストラリアの国防相へ、「コワンとその搭乗員たちは充分に勇敢であり表彰されるべきである」とたたえて書簡を送ったが、拒絶されてしまった。
アメリカでの運用
A-28・A-29

ハドソンは、1941年3月からレンドリース法の適用によってアメリカ陸軍がA-28として発注することになった。153機をアメリカ陸軍が沿岸哨戒用に使用した。
スペック

(ハドソン Mk.I)
