ハビエル・アスカルゴルタ

ハビエル・アスカルゴルタ (Xabier Azcargorta) こと、フランシスコ・シャビエル・アスカルゴルタ・ウリアルテ(Francisco Xabier Azcargorta Uriarte, 1953年9月29日 - )は、スペイン・アスペイティア出身のサッカー選手、サッカー指導者。

ハビエル・アスカルゴルタ
名前
本名 フランシスコ・シャビエル・アスカルゴルタ・ウリアルテ
Francisco Xabier Azcargorta Uriarte
ラテン文字 Xabier AZCARGORTA
基本情報
国籍 スペインの旗 スペイン
生年月日 (1953-09-29) 1953年9月29日(70歳)
出身地 アスペイティア
身長 175cm
選手情報
ポジション FW (CF)
利き足 右足
ユース
1969-1971 スペインの旗 レアル・ソシエダ
1971-1972 スペインの旗 アスレティック・ビルバオ
クラブ1
年 クラブ 出場 (得点)
1972-1977 スペインの旗 アスレティック・ビルバオ 0 (0)
1975-1976 スペインの旗 ビルバオ・アスレティック
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj

経歴

ギプスコア県アスペイティア生まれ。1969年から2年間レアル・ソシエダの下部組織でプレーした後、1971年にアスレティック・ビルバオの下部組織に移った。1972年にトップチーム登録されたが、負傷の影響でアスレティックでは公式戦に1試合も出場することがなく、1977年に23歳で現役を引退した。

選手を退いてから1年後の1978年にラグン・オナクで指導者となり、主に下部リーグに所属するバスク地方のチームを指揮した。1982年にはセグンダ・ディビシオンBのジムナスティック・タラゴナの監督に、翌年にはプリメーラ・ディビシオンのRCDエスパニョールの監督に就任[1]。ジムナスティックではそのシーズンのセグンダ最年少監督だった[2]。エスパニョールを3シーズン指揮し、その後はレアル・バリャドリード [3]、セビージャFC[4]、CDテネリフェ[5]と、1991年までプリメーラ・ディビシオンのクラブの指揮を執った。ヨハン・クライフとも親交があり、テネリフェ時代にはFCバルセロナBでプレーしていたアルベルト・フェレールをローンで借り受けている。セビージャとテネリフェでは契約満了前に解任された[6][7]。

1993年にはボリビア代表監督に就任し、ボリビアをアメリカワールドカップ本大会に導いた。ボリビアにとっては44年ぶりのワールドカップ出場であり、過去2大会は予選なしで本大会に出場していたため、南米予選を勝ち抜いたのは史上初のことだった。この際に中核を担ったフリオ・セサル・バルディビエソは、後に横浜マリノスでもアスカルゴルタの指導を受けている。1995年から1996年にはチリ代表を指揮した[8][9][10]。

1997年から1998年にはJリーグの横浜マリノスの指揮を執った。第二監督としてアントニオ・デラ・クルス、選手として同じバスク地方出身のフリオ・サリナスやヨン・アンドニ・ゴイコエチェアを呼び寄せ、日本人選手では城彰二や新人(1997年加入)の中村俊輔らをまとめた[11]。アスカルゴルタが中村をサイドで起用しようとした理由は守備意識を高めさせるためだったが、中村はアスカルゴルタについて選手の個性を消す監督だったと語っている[11]。1997年前期は5位、後期は3位、1998年前期は4位となったが、1998年8月に柳想鐵の獲得を巡ってフロントと衝突し、またファーストステージ優勝出来なかったことにより解任された。Jリーグでは66試合を指揮して45勝21敗(152得点107失点)の成績を残している。

横浜マリノスを離れてからは長らくチーム監督生活から遠ざかり、レアル・マドリードで中南米のアカデミー長を2年間務めたこともあった[12]。2005年にはメキシコのCDグアダラハラを指揮した。2006年には中国サッカー・スーパーリーグの北京国安足球倶楽部のフットボールディレクターに就任[13]。2008年7月14日には母国スペインのバレンシアCFのスポーツディレクターに就任することが決定したが[14][15]、最高責任者のビジャロンガが解任されるとアスカルゴルタも解任され、その在任期間はわずか10日間だった[16]。

2012年7月17日には再びボリビア代表監督に就任。グスタボ・キンテロス監督に代わってブラジルワールドカップ・南米予選の残り6試合を指揮した[17]。2014年3月にはクラブ・ボリバルの監督に就任し[18][19]、2014年のコパ・リベルタドーレスではベスト4となった。優勝したCAサン・ロレンソ・デ・アルマグロに準決勝で敗れたが、サン・ロレンソの選手たちは標高3,637mのエスタディオ・エルナンド・シレスでプレーする際にバイアグラを用いたとされている[20]。

指導歴

タイトル

指導者時代

クラブ・ボリバル
チリ代表
  • カナダカップ:1回(1995)

脚注

  1. “La hora de Azkargorta” (Spanish). ムンド・デポルティーボ (1983年9月14日). 2015年8月1日閲覧。
  2. “Javier Azkargorta: El técnico más joven de Segunda” (Spanish). ムンド・デポルティーボ (1982年8月22日). 2015年8月1日閲覧。
  3. “Azkargorta, nuevo entrenador del Valladolid” (Spanish). エル・パイス (1986年9月4日). 2015年8月1日閲覧。
  4. “Azkargorta: Un Miura para empezar” (Spanish). ムンド・デポルティーボ (1987年8月29日). 2015年8月1日閲覧。
  5. “Azkargorta, nuevo entrenador del Tenerife” (Spanish). エル・パイス (1990年1月25日). 2015年8月1日閲覧。
  6. “Azkargorta: Crónica de un demisión anunciada” (Spanish). ムンド・デポルティーボ (1989年2月10日). 2015年8月1日閲覧。
  7. “Paqui, lesionado de gravedad” (Spanish). ムンド・デポルティーボ (1991年1月7日). 2015年8月1日閲覧。
  8. “Azkargorta, nuevo seleccionador de Chile” (Spanish). エル・パイス (1994年11月19日). 2015年8月1日閲覧。
  9. “"Quien vivió en Bolivia entiende a Evo Morales"” ["He who lived in Bolivia understands Evo Morales"] (Spanish). アス (2006年5月21日). 2015年8月1日閲覧。
  10. “Entrevista a Azkargorta: ”Bolivia no rentabilizó el éxito de 1994” (Spanish) (2009年4月1日). 2014年8月1日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年8月1日閲覧。
  11. 中村俊輔Sports Communications, 2009年6月15日
  12. “Azkargorta se despidió del Real Madrid para comandar al Rebaño Sagrado” (Spanish). Medio Tiempo (2005年8月22日). 2015年8月1日閲覧。
  13. “El técnico azpeitiarra Xabier Azkargorta, nuevo director deportivo del club de fútbol Beijing Gouan, en China” (Spanish). Euskalkultura (2006年3月16日). 2015年8月1日閲覧。
  14. バレンシア、アスカルゴルタSDの就任が決定goal.com, 2008年7月15日
  15. “Azkargorta, el 'español errante'” (Spanish). エル・ムンド (2008年7月14日). 2015年8月1日閲覧。
  16. バレンシア、アスカルゴルタSDも解任goal.com, 2008年7月26日
  17. “Azkargorta vuelve a coger a la selección de Bolivia” (Spanish). Sport You (2012年7月17日). 2015年8月1日閲覧。
  18. “Bolivia destituye a Azkargorta por negociar con el Bolívar” (Spanish). アス (2014年3月9日). 2015年8月1日閲覧。
  19. “Azkargorta se incorpora a Bolívar” (Spanish). マルカ (2014年3月8日). 2015年8月1日閲覧。
  20. アルゼンチンリーグ王者が世界一高い競技場に備えてバイアグラ使用livedoor, 2014年7月30日

関連項目

外部リンク

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