ビル・ヤンクロウ

ウィリアム・ジョン・ヤンクロウ(ジャンクロウ、ジャンクロー、英語: William John Janklow [ˈdʒæŋkloʊ][1], 1939年9月13日 - 2012年1月12日)は、アメリカ合衆国の政治家。所属政党は共和党。第27・30代サウスダコタ州知事を務めた後、2003年から連邦下院議員に就任したが、任期途中に起こした自動車事故で有罪となり、議員辞職に追い込まれた[2]。

ビル・ヤンクロウ
Bill Janklow
生年月日 (1939-09-13) 1939年9月13日
出生地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
イリノイ州の旗 イリノイ州、シカゴ
没年月日 2012年1月12日(2012-01-12)(72歳)
死没地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
サウスダコタ州の旗 サウスダコタ州、スーフォールズ
出身校 サウスダコタ大学(BS、JD)
所属政党 共和党
配偶者 メアリー・ディーン・トム

選挙区 サウスダコタ州の旗 サウスダコタ州全州選挙区
当選回数 1回
在任期間 2003年1月3日 - 2004年1月20日

在任期間 1979年1月1日 - 1987年1月6日
在任期間 1995年1月7日 - 2003年1月3日

経歴・人物

ビル・ヤンクロウはイリノイ州シカゴで生まれた。ヤンクロウが10歳の時、父親はニュルンベルク裁判で検察官としての赴任中に心臓発作で亡くなった[3]。その後、母親の故郷であるサウスダコタ州ムーディ郡フランドローに移った[4]。高校中退後、アメリカ海兵隊に入隊し、東南アジアで任務についた。退役後にサウスダコタ大学に入学し、経営管理の学士号を取得した[5]。その後、同大ロースクールで法学博士を取得すると、ローズバッド・インディアン居留地でリーガル・サービス・コーポレーションの弁護士として働き始めた[6]。1974年、サウスダコタ州の州検事総長の選挙に共和党から出馬。アメリカ先住民女性によるレイプ告発スキャンダル(後述)が発生したが、当選を果たし、1期4年の任期を務めた。任期中はサウスダコタ対オッパーマン事件やサウスダコタ州対スー族訴訟などの対処を行った[7]。

1978年の知事選に当選した。知事時代は州内の鉄道網の整備[8]やクレジットカードの普及[9][10] に寄与した。2期8年を務めたあと、州法の規定によって知事選への出馬ができなくなったため、1986年選挙では連邦上院議員選挙に出馬するも、共和党予備選で現職のジェイムズ・アブドナーに敗れた。その後、1994年に再び知事選に出馬。共和党予備選で現職知事のウォルター・ミラーを破り[11]、そのまま総選挙でも当選を果たして政界復帰した[12]。2002年に連邦下院議員選挙に出馬し、民主党のステファニー・サンドリンを破って当選を果たしたが、後述の交通事故で有罪判決を受け、下院議員を辞任した[13]。政界引退後は弁護士として活動していたが、2011年11月に記者会見で末期の脳腫瘍であることを公表し[14]、翌年の1月12日にスーフォールズのホスピスで亡くなった[15]。

スキャンダル

レイプ事件

1974年、州検事総長選挙の1ヶ月前、アメリカ先住民(ラコタ族)女性のジャンシータ・イーグル・ディア(Jancita Eagle Deer)は、弁護士のラリー・レーベンタールと先住民運動家のデニス・バンクスを通じて、ヤンクロウが部族法廷での職務につけないように弁護士資格を剥奪する請願書を提出した。バンクスによると、イーグル・ディア(当時15歳)は法定後見人でもあるヤンクロウの家でベビーシッターとして働いていたが、1967年1月13日にヤンクロウによってレイプされたとされる。イーグル・ディアは自分が通うローズバッド・ボーディング・スクールの校長に相談し、事件が発覚した[16]。当時、居留地の法執行を担当していたインディアン事務局は、このレイプ事件の警察の捜査資料をサウスダコタ州アバディーンの事務所に送り、ローズバッド・スー族裁判所から遠ざけたと言われている[17]。ローズバッド・インディアン居留地の部族裁判所のマリオ・ゴンザレス判事は、イーグル・ディアの申し立てを認め、ヤンクロウからローズバッド居留地での弁護士資格を剥奪した。部族裁判所はヤンクロウに対して軽犯罪者逮捕状を発行したものの、実際に逮捕はされなかった[18]。ヤンクロウはレイプ事件に関連するすべての疑惑を否定し、刑事告訴はされていない。また、1975年にヤンクロウが法律扶助委員会の委員として指名される前に、FBIがレイプ疑惑について調査を行なったが、事件を立証するに十分な証拠がないと結論づけられている[19]。

1975年4月、イーグル・ディアは交通事故にあい死去。彼女の死後、ジャンシータの継母のデルフィン・イーグル・ディアが弁護活動を行っていたたが、娘の事故から約9ヵ月後の1976年に殺害された[20]。なお、デルフィンはアメリカインディアン運動の活動家でウンデット・ニーの虐殺に関わったレオナルド・クロウドッグの妹であった[21]。

交通事故

2003年8月16日、ヤンクロウは自動車を運転中、サウスダコタ州トレント近郊の交差点でオートバイと接触した。オートバイに乗っていたランディ・スコットはバイクから投げ出されて即死した[2]。ヤンクロウも手を骨折し、脳に出血が見られるなど怪我を負い、運転していたも事故現場から300フィート先の畑の標識に衝突した。その後の調査の結果、事故当時ヤンクロウは時速55マイルのゾーンを時速70マイル以上で走行しており、一時停止の標識を無視して交差点に侵入していたことが判明した[22]。8月29日に罪状認否が行われ、ヤンクロウは事故について「これ以上ないほど残念だ」と述べている。2月1日に始まった公判でヤンクロウ側の弁護人は、事故当時ヤンクロウはインスリン注射が原因で低血糖症の発作を起こしており、精神錯乱状態にあったと主張した[23]。ヤンクロウ自身も、事故当日の朝にインスリン注射を打ち、その日はずっと何も食べていなかったと証言した[24]。公判で証人となった医療関係者は、ヤンクロウの行動は低血糖症を引き起こす可能性はあると述べている[24]。

事故の裁判が行われたムーディー郡フランドローはヤンクロウの地元であり、公判の陪審員の選定は慎重に行われたものの、その選考過程で多くの辞退者が出た[23][24]。また、検察側からは過去の運転記録の裁判ではほとんど提出されなかったが[23]、州のハイウェイ・パトロールの管理者は、ヤンクロウが知事在任中に16回の交通違反の取り締まりを受けたが、「彼の権威に対する敬意」と「報復に対する恐れ」の両方から切符を切られなかったと報告している。また、1990年から1994年にかけてヤンクロウは12回のスピード違反をしており、罰金は合計1000ドルだった。ある警察官は、地方の道路を走行中に時速80マイルを超えるスピードを出していたヤンクロウに対して、交通違反切符を切らずに警告書の発行にとどめたと公判で証言した[23]。2003年12月8日、ヤンクロウはムーディー郡の陪審員によって、重罪である過失致死罪と、軽罪であるスピード違反、一時停止標識違反、無謀運転の罪で有罪判決を受けた[25]。その後、2004年1月20日付で下院議員を辞職した[26]。1月22日、ヤンクロウは100日間の懲役刑を言い渡され[27]、翌月には刑務所外での社会奉仕活動を開始した[28]。そして、2004年5月17日に釈放された[26]。スコットの遺族はヤンクロウに損害賠償を求めたが、裁判所は当時ヤンクロウが公務中であったことから、連邦不法行為請求法に基づいて損害賠償をヤンクロウ個人に請求すべきではないと判断し、アメリカ合衆国政府が100万ドルの補償和解金を支払うことが適切であるとの見方を示した[29]。2006年7月にスコットの遺族は政府に対して2,500万ドルを請求する訴訟を起こしたが、2008年5月14日になって結局100万ドルの補償金を支払うことで決着した[29]。

参考文献

  1. William J. Janklow - In his own words South Dakota Public Broadcasting - SDPB
  2. Steil, Mark (2003年10月6日). “Randy Scott remembered”. Minnesota Public Radio. http://news.minnesota.publicradio.org/features/2003/10/05_steilm_randysride/
  3. “Former SD Gov., US Rep. Bill Janklow dead at 72”. MPR News. 2021年6月16日閲覧。
  4. Hetland, Cara; Mark Steil (2004年1月21日). “He just wants to win”. Minnesota Public Radio. http://news.minnesota.publicradio.org/features/2004/01/21_hetlandc_janklowtwo/ 2013年2月21日閲覧。
  5. “JANKLOW, William J.; 1939 – 2012”. Biographical Directory of the United States Congress. 2021年6月9日閲覧。
  6. Raimo, John (1985). Biographical Directory of the Governors of the United States 1978–1983. Meckler Publishing. p. 287. ISBN 0-930466-62-4. https://archive.org/details/biographicaldire0000unse_x0h1/page/287
  7. “SD Attorneys General at the U.S. Supreme Court”. sodakgovs.wordpress.com. Pierre, SD: SoDak Governors (2018年4月13日). 2018年6月13日閲覧。
  8. “S.D. Governor announces sale of core rail line”. Brotherhood of Locomotive Engineers and Trainmen. 2021年6月16日閲覧。
  9. Lazarony, Lucy. “Credit card companies sidestep usury laws”. BankRate. 2007年10月10日時点のオリジナルよりアーカイブ。2006年12月19日閲覧。
  10. “secret history of the credit card” (英語). www.pbs.org (2004年11月23日). 2021年6月16日閲覧。
  11. Joyce Hazeltine (1994). South Dakota Official Election Returns and Registration Figures; General Election June 7, 1994. South Dakota; the Secretary of State. https://sdsos.gov/elections-voting/assets/historicalelectiondata/1994G.pdf
  12. Joyce Hazeltine (1994). South Dakota Official Election Returns and Registration Figures; General Election June 8, 1994. South Dakota; the Secretary of State. https://sdsos.gov/elections-voting/assets/historicalelectiondata/1994G.pdf
  13. BROKAW, CHET (2012年1月12日). “Former SD Gov., US Rep. Bill Janklow dead at 72” (英語). New Haven Register. 2021年6月16日閲覧。
  14. “Bill Janklow has terminal brain cancer - Video Library - The Argus Le…” (2012年7月17日). 2012年7月17日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年6月1日閲覧。
  15. Nachtigal, Ann (2012年1月12日). “Former South Dakota Governor Janklow dies at 72”. Reuters (London, UK). https://www.reuters.com/article/us-southdakota-janklow/former-south-dakota-governor-janklow-dies-at-72-idUSTRE80B1QZ20120112
  16. Dennis Banks, Richard Erdoes: Ojibwa Warrior: Dennis Banks and the Rise of the American Indian Movement, p. 274 (University of Oklahoma Press, 2005) ISBN 0-8061-3691-X
  17. Mario Gonzalez, Elizabeth Cook-Lynn: The Politics of Hallowed Ground: Wounded Knee and the Struggle for Indian Sovereignty, University of Illinois Press, 1998, pp. 99–100
  18. Mario Gonzalez, Elizabeth Cook-Lynn: The Politics of Hallowed Ground: Wounded Knee and the Struggle for Indian Sovereignty, University of Illinois Press, 1998, pp. 99–100
  19. Edwin McDowell, "Court Battle Over Book: Viking and a Governor", New York Times, May 28, 1983
  20. Steve Hendricks: The Unquiet Grave: The FBI and the Struggle for the Soul of Indian Country, Thunder Heart Press, 2007, pp. 146–157
  21. 『Crow Dog: Four Generations of Sioux Medicine Men』Crow Dog, Leonard and Richard Erdoes, New York: HarperCollins. 1995年
  22. Assoc, American Motorcyclist (2003年11月1日). “American Motorcyclist”. American Motorcyclist Assoc. 2018年6月1日閲覧。
  23. Gumbel, Andrew (2003年12月10日). “US congressman Janklow faces 11 years in jail for killing motorcyclist in road accident”. The Independent (London, UK). https://www.independent.co.uk/news/world/americas/us-congressman-janklow-faces-11-years-in-jail-for-killing-motorcyclist-in-road-accident-81932.html
  24. “Janklow Blames Diabetes For Crash” (英語). www.cbsnews.com. 2021年6月16日閲覧。
  25. Hetland, Cara (2003年12月9日). “Janklow resigns from House after conviction”. Minnesota Public Radio (Saint Paul, MN). http://news.minnesota.publicradio.org/features/2003/12/08_hetlandc_janklow/
  26. “Former Rep. Janklow released from jail”. UPI.com. United Press International (Boca Raton FL). (2004年5月17日). https://www.upi.com/Former-Rep-Janklow-released-from-jail/13281084808678/
  27. Law Center (2004年1月22日). “Janklow sentenced to 100 days in jail”. CNN (Atlanta, GA). https://edition.cnn.com/2004/LAW/01/22/janklow.sentencing/
  28. Walker, Carson (2004年1月23日). “Former congressman gets jail time for traffic crash”. Black Hills Pioneer (Blackfish, SD). http://www.bhpioneer.com/former-congressman-gets-jail-time-for-traffic-crash/article_16217e22-66af-5671-9d1a-b7ef26c2dbdc.html
  29. “Family of man killed in Janklow crash settles for $1 million”. MPR News. 2021年6月16日閲覧。

関連項目

外部リンク

公職
先代
ハーベイ・ウォールマン
サウスダコタ州の旗 サウスダコタ州知事
第27代: 1979年1月1日 - 1987年1月6日
次代
ジョージ・ミケルソン
先代
ウォルター・ミラー
サウスダコタ州の旗 サウスダコタ州知事
第30代: 1995年1月7日 - 2003年1月3日
次代
マイク・ラウンズ
アメリカ合衆国下院
先代
ジョン・スーン
アメリカ合衆国の旗 サウスダコタ州全州選挙区
選出議員

第4代: 2003年1月3日 - 2004年1月20日
次代
ステファニー・サンドリン
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