リンカン (イングランド)
リンカン (Lincoln) は、イングランド東部のシティかつバラで、リンカンシャー州の州都。人口は9万7541人(2014年)。
| シティ・オブ・ リンカン City of Lincoln | |||||
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| 位置 | |||||
![]() リンカンシャー内でのリンカンの位置 | |||||
| 位置 | |||||
![]() リンカン リンカン (イングランド) ![]() リンカン リンカン (イギリス) | |||||
| 座標 : 北緯53度13分54秒 西経0度32分27秒 | |||||
| 歴史 | |||||
| 市制 | |||||
| 行政 | |||||
| 国 | |||||
| 連合王国 | |||||
| リージョン | イースト・ミッドランズ | ||||
| カウンティ | リンカンシャー | ||||
| シティ | シティ・オブ・ リンカン | ||||
| 地理 | |||||
| 面積 | |||||
| シティ域 | 35.69 km2 | ||||
| 人口 | |||||
| 人口 | (2014年現在) | ||||
| シティ域 | 97,541人 | ||||
| 人口密度 | 2,438人/km2 | ||||
| 市街地 | 130,200人 | ||||
| 都市圏 | 189,000人 | ||||
| その他 | |||||
| 等時帯 | 西ヨーロッパ時間 (UTC+0) | ||||
| 夏時間 | 西ヨーロッパ夏時間 (UTC+1) | ||||
| Postcode | LN | ||||
| 公式ウェブサイト : www.lincoln.gov.uk | |||||
歴史

起源
リンカンは、ウィザム川(Witham)の川幅が広がった場所(ブレイフォード・プール:Brayford Poolと呼ばれる)の畔に発達した町である。この町の歴史は、紀元前1世紀にまでさかのぼることができ、当時の住居跡がブレイフォード・プールのそばで発掘されている。
クラウディウス帝の治世にローマ帝国の支配下に入ると、川を見渡す丘の上にローマ軍の要塞が建設され、軍事上の拠点と位置づけられた。その後、西暦71年にローマ軍の拠点がエボラクム(Eboracum、現在のヨーク)に移転した際に、植民市(コロニア)になった。「リンカン」という町の名前は、このときの植民市の名前"Lindum Colonia"が後の時代に縮まったものである。なお、"Lindum"とは、一説では、ローマ帝国が支配する前に居住していたケルト人の言葉で「黒ずんだ池(dark pool)」を意味する"Lindu"に由来するのではないかと言われている。
リンカンの町は、フォッス街道 (Fosse Way)の終点であるだけでなくトレント川、ウィザム川を通じて海に出ることもできる交通の要衝であった。また、下ブリタンニア属州が分割されてできたフラウィア・カエサリエンシス(Flavia Caesariensis)属州の州都として政治上も重要な町であった。しかし、5世紀末には一旦衰退し、廃墟に近い状態になった。
中世
ヴァイキングの侵入後、リンカンは交易の中心地として再び隆盛を取り戻した。さらに、戦略上重要な場所であったため、ノルマン・コンクエストの2年後の1068年には、ウィリアム1世の命令によるリンカン城が築かれ、軍事上の拠点としての地位も取り戻した。

1072年に、今のオックスフォードシャー州ドーチェスターから司教座が移されると、リンカン大聖堂が建てられた。この大聖堂は1185年の地震によって一度倒壊したが、まもなく再建されている。
リンカン司教は、中世にはイングランドの中でも屈指の力を持っていた。イングランド内の修道院の半数以上がリンカン司教区に属しており、多額の寄付も得ていた。
中世のリンカンは、経済的にも繁栄を誇っていた。経済の基盤は織物や羊毛であり、フランドルへ輸出されていた。
出身人物
- ジョージ・ブール - 数学者
- レジナルド・グッドオール - 指揮者
- ネヴィル・マリナー - 指揮者
- ジム・ブロードベント - 俳優





