九之助橋
概要
架けられた時期は正確には判っていないが江戸時代初期の慶安~万治年間(1648年~1660年)の絵図には既に描かれている。
名称の由来は人名と考えられるが、詳細は不明である[1]。西詰から堺筋までの大宝寺通沿いの町名が1872年(明治5年)まで九之助町1丁目・同2丁目だった。さらに、江戸時代初期には鍛冶屋町筋沿いに九之助町筋之内鍛冶屋町(のち関町・鍛冶屋町1丁目・同2丁目に改称)、堺筋沿いに九之助町4丁目(のち南米屋町に改称)、心斎橋筋沿いに九之助丁木挽町(のち木挽町北之丁・同中之丁・同南之丁に改称)という町名もあった。
出典
- 九之助橋 国土交通省近畿地方整備局 大阪国道事務所、2020年7月11日閲覧。
外部リンク
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