六甲台町
歴史

旧制神戸商業大学
旧小字の嘉太夫新田は高羽の楠本嘉太夫の拓いた新田。籠池山は篠原の飛び地にして六甲川東の入会山だったところで、砂質のため水が溜まらず底だけにうっすらと水のある池を籠の様に漏れる池として籠池と呼んだ。中新田は旧林新田の内だったが早くに荒れ地となった。蛙石はカエルに似た形の石で、自動車の邪魔になるという理由で水車新田の大土神社境内に移されている。
昭和初期、嘉太夫新田に神戸商業大学(神戸大学の前身の一つ)本科の校舎が建てられた。第二次世界大戦後、旧神戸商大の南側では「六甲ハイツ」と呼ばれる米軍住宅が造成された[1]。六甲ハイツ接収解除後の1960年代に神戸大学は分散していたキャンパスの集約を進め、工学部、文学部、理学部、農学部が六甲ハイツ跡地へ移転した。
脚注
- 1948年2月撮影の空中写真 - 地図・空中写真閲覧サービス(国土地理院)
- “国勢調査による町別、年齢別人口及び世帯数”. 神戸市. 2024年1月16日閲覧。
参考文献
- 神戸史学会 編『神戸の町名 改訂版』神戸新聞総合出版センター、2007年。ISBN 978-4-343-00437-6。
- 灘区役所広報相談課 編『灘区の町名』灘区役所広報相談課、1976年。
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