加茂名地区
加茂名地区(かもなちく)は、徳島市の行政上の地区である。徳島市の西部に位置する。
| 加茂名地区 かもな | |
|---|---|
| 国 |
|
| 地方 | 四国地方 |
| 都道府県 | 徳島県 |
| 自治体 | 徳島市 |
| 旧自治体 | 名東郡加茂名町の大半 |
| 世帯数 |
10,648世帯 |
| 総人口 |
23,395人 (徳島市情報推進課、2011年7月1日) |
| 隣接地区 | 不動地区・加茂地区・佐古地区・八万地区・上八万地区・国府地区 |
| 徳島市役所加茂名支所 | |
| 所在地 |
〒770-8076 徳島県徳島市庄町五丁目48番地5 |
地理
徳島市西部、鮎喰川右岸(南東岸)に広がり、古くは鮎喰川の氾濫原だった吉野川デルタの一部を占める。さらに、眉山北西麓を経て分水嶺まで広がる。
東西に平行して走る、北の県道30号と南の国道192号沿線と、蔵本駅周辺が商業地で(鮎喰駅周辺はあまり商業化していない)、他は住宅地である。
町と人口
人口は徳島市による推計[1](2011年6月)。3世帯以下の丁目・小字の人口は各町の人口から除外されている(地区計には計上されている)。
| 町丁 | 丁目・小字 | 人口 | 注記 |
|---|---|---|---|
| 蔵本町 | 1~3丁目 | 428 | |
| 蔵本元町 | 1~3丁目 | 609 | |
| 南蔵本町 | 1~3丁目 | 318 | |
| 北島田町 | 1~3丁目 | 1816 | |
| 中島田町 | 1~4丁目 | 1939 | |
| 南島田町 | 1~4丁目 | 1584 | |
| 庄町 | 1~5丁目 | 2618 | |
| 南庄町 | 1~5丁目 | 1583 | |
| 鮎喰町 | 1~2丁目 | 1860 | |
| 名東町 | 1~3丁目 | 9661 | |
| 加茂名町 | 小字 | 208 | |
| 佐古 | 八番町 6・7番 | 34 | 一~八番町のうち。 |
| 南佐古 | 八番町 5番 | 92 | 一~八番町のうち。 |
| 北矢三町 | 四丁目 1~5・9番 | 92 | 一~四丁目のうち。 |
| 5 | 3世帯に満たない丁目・小字の合計。 | ||
| 計 | 23397 |
町境と一致しない地区境のうち、北矢三町内を通る地区境は、加茂町編入前の旧市町村境とほぼ一致している。しかし、佐古・南佐古内を通る地区境は、加茂名町編入前の旧市町村境とは大きく異なる。
隣接地区
国府地区・不動地区とは鮎喰川を介して接しており、橋で結ばれている。八万地区・上八万地区とは眉山山中で接している。加茂地区・佐古地区とは市街が連続している。
歴史
加茂郷
加茂郷は平安時代にこの地区または周辺にあった郷で、その正確は位置については諸説あるが、『大日本地名辞書』は加茂地区から加茂名地区にかけてとする。考古学からは、「加毛」と書かれた平安時代の墨書土器が庄町から出土したことから、加茂名地区・佐古地区(庄町・蔵本町・佐古)とする説が有力である[3]。
加茂名町・加茂名村
1889年10月1日、町村制施行により加茂名村(1915年11月10日より加茂名町)が成立した。
現在の加茂名地区のほぼ全域を含んだが、徳島市との市町村境は、現在の佐古地区との地区境とかなり異なった。現在の佐古六番町~八番町のそれぞれ一部と南佐古六番町~八番町が、加茂名町だった。一方、佐古八番町のうち加茂名地区に含まれるエリアの一部(八番町6番の一部)は、加茂名町ではなく、徳島市佐古町だった[4][5]。
年表
交通


出典
- 徳島市:人口・世帯数 - 徳島市情報推進課
- 河野幸夫『徳島 城と町まちの歴史』聚海書院 1982年
- 『日本歴史地名大系 37 徳島県の地名』2000年 平凡社
- 徳島市史編さん室 編『徳島市史別巻 地図絵図集』「徳島県阿波国徳嶋近傍地図」徳島市 1988年
- 徳島市史編さん室 編『徳島市史別巻 地図絵図集』「徳嶋市街地名町名図」徳島市 1988年

