数河高原

数河高原(すごうこうげん)とは、岐阜県飛騨市古川町数河(旧:吉城郡古川町数河)の集落に位置する高原地帯[3]。集落は国道41号沿いに位置し、飛騨市の中心部からは約13 km離れている[1]。気象条件は日本海側気候に属し[1]、真夏の平均気温は20前後と、冷涼な気候である[4]飛騨地域でも屈指の豪雪地帯[5]、年間累積降雪量は10 mを超える[6]

古川町数河
古川町数河の位置(岐阜県内)
古川町数河
古川町数河
古川町数河の位置(日本内)
古川町数河
古川町数河
北緯36度17分54.69秒 東経137度12分58.13秒
日本の旗 日本
都道府県 岐阜県の旗 岐阜県
市町村 飛騨市
地域 古川町
面積
  合計 15.3[1] km2
人口
(2015年現在)
  合計 176人
等時帯 UTC+9 (JST)
郵便番号
509-4201[2]
市外局番 0577
ナンバープレート 飛騨

一帯は夏の避暑地として知られ[7]観光地[3]リゾート地として開発されているほか、ラグビーの合宿地としても知られている[8]2012年(平成24年)には、ぎふ清流国体のラグビーフットボール会場となった[9]

本項目では、数河高原の位置する古川町数河(ふるかわちょうすごう)や、付近に位置する国道41号および国道471号数河峠(すごうとうげ)についても併せて解説する。

地理

数河(すごう)は、古川盆地の北部に位置し[3]宮川の一次支川である戸市川[注 1][11](といちがわ)[10][12]源流部の山間小盆地にある集落で、上数河下数河に区分される[14]。このうち、高原上に位置する地区が上数河である[15]。北は流葉山[注 2][17](ながれはやま、標高1,423 m[16])から[17]、高山(こうやま、標高1,336 m[18])への尾根[17]、旧宮川村に接する[14]。東は旧神岡町に接している[14]

標高は約900 - 1,000 mで、シラカバが自生している[3]。集落の面積は縦25[注 3]・横1町56[注 4][19]高山への距離は612町[19](国道41号経由で約28 km)[20]。かつては笋(根曲笹[注 5]と菅の筵[17]、ないし農業を生業としていた村だったが、1968年(昭和43年)に地内を通過する国道41号が開通[注 6]して以降、主に中京地区の資本により、スキー場が進出するなど、観光・レジャー基地として開発が進められ、観光地として発展していった[3]。「飛騨の軽井沢」と呼ばれる場合もある[24][25][26]

「数河」の地名は「菅生」で、かつてこの地の高層湿原に茂っていた[17]と、冬に山で取れる科の木の皮で、菅を作ることを本業にしていたことに由来している[3]。この数河以外にも、神岡町(現:飛騨市)や益田郡馬瀬村(現:下呂市)にも「数河」という名前の村(後の大字)があった[3]

数河峠

国道41号標識
国道41号標識
国道471号標識
国道471号標識

数河峠(すごうとうげ)は、国道41号・国道471号(旧古川町と旧神岡町の境)にある[27](標高896 m)[28]国道41号最大の難所である[27]。かつては道幅6(約1.8 m)程度で路面状況も悪かったが、国道としての供用に伴い、飛騨地方における南北の幹線道路としての役割を果たすようになった[26]

古川町市街地との標高差は約400 mで[29]、約20 kmにわたり、急勾配(6 )のヘアピンカーブが続く[27]。特に、高山方面に向かって長い下り坂が続くため、スピードの出し過ぎ[注 7]などによる重大事故が多発し[30]、冬場の積雪時には、大型車(タイヤチェーン未装着)によるスリップ事故[注 8][29]・立ち往生[31]や、カーブでの横転事故なども発生している[32]。また、事故が発生するとレッカー作業のため、道路を通行止めにする必要があり、他の車への影響も非常に大きかった[29]。そのため、岐阜県警察の交通企画課や[27]、地元の古川・神岡の両警察署(いずれも現在の飛騨警察署)高山国道工事事務所により[33]、速度違反・過積載の取り締まりや注意喚起、警戒標識・看板の設置などといった安全対策が重点的に取られていた[27]。また、2010年代以降も歩道[34]登坂車線の整備[6][35]や、峠手前の路面(登坂車線と走行車線)の塗り分け(色彩心理の応用)[注 9]といった安全対策がなされている[36]

2018年平成30年)7月7日正午ごろ、記録的な大雨の影響により、国道41号で大規模な土砂崩れが発生し[37]、周辺の山から土砂10,000 m3が流入したことで、一時通行不能になった[注 10][38]。その後、2019年(令和元年)6月には、国が道路脇にコンクリート製の土砂流出防止枠を設置したり、県が崩落部分に谷止め工を行ったりした[38]

歴史

江戸時代飛騨国吉城郡小島郷の数河村で、天正14年(1586年)から金森氏領になり、元禄5年(1692年)以降は幕府領になった[3]1771年明和8年)に木地挽を雇い入れようとし、下流5村[注 11]と争いとなったが、最終的には数河村側が譲歩することで決着した[15]1844年天保15年)には、数河村など6村が山内打込入会維持の証文を取り交わしている[15]

1875年明治8年)に、数河村が細江村の大字数河組となり、1889年(明治22年)には細江村大字数河となった[3]。さらに1956年(昭和31年)4月1日、細江村が(旧)古川町・小鷹利村と合併して(新)古川町が発足した[39]ことに伴い、古川町大字数河となった[3]2004年平成16年)2月1日には、古川町が同じ吉城郡の河合村・宮川村・神岡町と合併し、飛騨市が誕生[40]したことに伴い、数河も「古川町数河」から「飛騨市古川町数河」となっている[41]

数河は江戸時代から明治大正時代にかけ、隣村との交流がほとんどない陸の孤島で、道路状態が悪かったために車が使えず、大きな荷物は馬につけて運んでいた[42]

観光地としての歴史

1960年昭和35年)には神岡町流葉山一帯、宮川村ニコイ高原とともに奥飛騨数河流葉県立自然公園に指定された[3]。1963年(昭和38年)には奥飛観光開発名鉄系企業)による「数河高原スキー場」が営業を開始し[43]、1973年(昭和48年)にはスキー場ゴルフ場ホテルを併設した「飛騨ハイランド」(経営:飛騨ハイランド観光)が設立された[44]。スキー場の開発を草分けに、民宿が付随して発展していき[8]、1968年の国道41号開通[注 6]以降、観光地として栄えた[3]

また、藤井清喜(ふじい せいき)[注 12][45]1979年当時:岐阜県ラグビーフットボール協会副理事長)が冷涼な気候に着目し、1979年(昭和54年)5月に数河高原の民宿3軒のオーナーに対し、ラグビー合宿地としての受け入れを要請[46]。民宿側も冬場のスキー客だけでなく、閑散期となる夏場の固定客を確保するため、藤井からの申し出を受け、手作りのラグビー場を整備するなどした[46]。また古川町もグラウンド5面を建設するなど、受け入れに積極的に協力した[46]。そのような受け入れ策が実り、大阪京都の強豪チームや四国九州などの遠方のチームなども合宿に訪れるようになり、ラグビーのメッカとされていた菅平長野県)に倣い「岐阜の菅平」の名が定着するようになった[8]。また乗馬アーチェリーボートなどが楽しめるレジャーランドがあり、大動物の剥製も展示されていた[47]

数河高原スキー場周辺の国道41号沿線にはドライブインや民宿が立ち並び[47]、1980年(昭和55年)時点では冬季に数万人を超えるスキー客らでにぎわいを見せる観光地となっており[48]1990年代ごろまでは冬のスキー客や、夏の(高校・大学)ラグビーの合宿からの需要が高かった[49]。しかし数河峠の交通量は1978年(昭和53年)をピークに減少[50]。また、周辺の道路網(東海北陸自動車道安房峠道路[50]国道360号[51])の整備により、交通の流れの変化が生じたことに加え[50]、スキー人口の減少や[注 13][53]、奥美濃地方[注 14]富山県内のスキー場との競合のあおりを受け[54]2003年(平成15年)3月23日には「パルクすごうスキー場」(旧:数河高原スキー場)が営業を終了[55]。加えて、2000年代にはラグビー人気低下の影響を受け[46]、合宿に訪れるラグビーチームの減少などにも悩まされるようになった[49]ほか、過疎化や農業の低迷が進み[56]休耕田も増加するようになった[57]

2000年代以降は、グリーンツーリズムの開催や[49]、地元の休耕田で栽培・収穫したソバを用いた「数河そば」の提供[58]、「お助け水」と呼ばれる湧水[注 15]を用いた休耕田でのワサビ[注 16]栽培[56]、特産品であるタケノコ[注 5]を加工した缶詰「飛騨 菅生(すがふ)竹の子」の販売など、地域おこしに力を入れている[21]

数河高原スキー場

数河高原スキー場は、奥飛観光開発が1963年に営業を開始したスキー場である[43]。標高約1,000 mに位置し[60]、1981年時点では12月下旬から翌年3月下旬[47]、1991年時点では12月中旬から翌年3月末にかけて営業していた[61]。コースは全長1,500 m(2コース)、面積は約20 ha[54]。リフトは2基あり、第一リフトは440 m、第二リフトは560 mだった[62]

雪質はパウダースノーで[60]、雪質の良さと北アルプス連峰の眺望を売りとしており[62]、スキー場からの北アルプス(穂高連峰乗鞍岳から薬師岳まで)の眺望は飛騨地方でも屈指と言われていた[63]。全体的に緩やかな斜面が多かったが、ゲレンデ奥には26°の壁や連続するコブなどもあり、中上級者の練習用にも利用されていた[64]。ファミリーやスノーボーダー向けのスキー場であり[54]、場内には「チビッ子広場」「わんぱくランド」なども設けられていた[65]。またスキー以外のスノースポーツスノーボードスノーモービル4輪バギーなど)も可能で[60]、1970年時点では、当時の日本では珍しかったボブスレーのコース(初心者向き)があった[66]。駐車場はゲレンデ前の第一駐車場(乗用車250台・バス30台)、バス停前の第二駐車場(50台)があり[62]、国道41号に面しており、道路向かいには「ドライブインすごう峠」があった[48]

1993年時点で「スノーランドすごうスキー場」に改称していた[67]1995年(平成7年)には本格的なハーフパイプスノーボード専用コース:全長100 m・斜度13.3°)を新設し、同シーズンは入場者数が過去最高(56,000人)を記録した[68]

1972年(昭和47年)当時の所要時間は、名古屋から自家用車もしくはバス利用の場合は国道41号経由で約4時間、列車利用の場合は高山本線の特急「ひだ」停車駅である飛騨古川駅からバスに乗車(「数河高原」で下車)して約30分だった[62]。名古屋[注 17]をはじめ、岐阜市北陸方面からの家族連れや若者でにぎわっていた[60]。しかし1991年シーズンに47,000人を記録した入込客(下段索道輸送実績)は、1992年シーズンに33,500人、1993年シーズンに38,000人[70]と下落が続いた。「スノーランド」時代は年間約26,000人の利用者がいたが[54]、奥飛観光開発が撤退する直前は、入場客数が10,000人台(バブル期の3分の1程度)と低迷していた[43]

このようにスキー客の大幅な減少が続き[60]1999年(平成11年)秋には奥飛観光開発が「スノーランドすごう」の経営から撤退することを決める[60]。スキー場周辺の宿泊施設(約20軒)にとって撤退は死活問題であるため、地元のスキー場存続を望む声は強く、奥飛観光開発や古川町・数河高原観光協会による協議の結果、地元の民宿経営会社が営業を継承することになった[60]。奥飛観光開発は町の仲介を受け[60]、リフト(2基)・レストラン・無料休憩所などの施設を、すべて無償で新たな経営母体となった民宿経営会社に貸与することとした[43]。民宿経営会社は古川町からリフトなどの固定資産税補填分として、年間250万円の補助を受け[54]、同年12月18日以降[43]、数河高原観光協会の経営する「パルクすごうスキー場」として営業するようになった[54]。リニューアル当時は3年間様子見する予定だったが、後に1年間営業を延長し、地元の旅館などの支援でリフト設置・イベントなどを続けていた[54]。リニューアル後は誘客のために様々な営業施策(毎週月曜日に女性・子供のリフト料金を無料とするなど)を行ったが[60]、利用者数は1999年度に約9,400人、2001年度は大雪による伸び悩みなどから約8,500人と低迷し続けた[54]。加えて年間約250万円の赤字が続いたことや、古川町の飛騨市への合併(2004年2月)後は市内の他のスキー場とも競合することが予想されたため[54]、2003年3月23日限りで営業を終了して閉鎖された[55]

閉鎖後の2005年(平成17年)以降は地元の有志らがスキー場跡地などを用い、スノーモービルを一般客に貸与する「数河モービルランド」を運営している[71]。また旧駐車場(国道41号沿い)には「タンナカ高原の水」の無料水汲み場が設置されている[72]

飛騨ハイランド

飛騨ハイランドは、飛騨市古川町数河80-1[73]に所在していたリゾート施設である。2021年現在は飛騨数河リゾート&カントリークラブ(ゴルフ場[74]別荘[75]、温泉施設[76])として営業している。

1973年に開設され、積雪時にはスキー場、非積雪時にはゴルフ場として運営されていた[44]が、スキー場は併設する「飛騨ハイランドホテル」宿泊客以外の利用者が少なかったことから、2005年 - 2006年シーズン以降は同ホテルの宿泊客だけを対象に営業していた[44]。その後、景気悪化の影響で来場者数が落ち込み、資金繰りが悪化したことから、運営会社の「飛騨ハイランド観光」が2010年(平成22年)3月17日付で東京地裁民事再生法の適用を申請[77]。再生計画案に基づいて同月7月下旬に設立された新会社「飛騨数河リゾート」がゴルフ場やスキー場、ホテルなどの全事業を継承することとなり[78]、ゴルフ場は同年9月1日から「飛騨数河カントリークラブ」に名称を変更した[79]。なお、スキー場は2011年(平成23年)以降、修学旅行生のみに利用を限定し[52]、「飛騨ハイランドホテル」は同年時点で廃業している[80]

タンナカ高原の水

数河高原の源水は古来から「お助け水」として地元住民に利用されていた[81]

「田中高原」(たんなかこうげん[82]、「タンナカ高原」とも表記される)は、宮川町種蔵[5]にある標高1,000 - 1,300 mの高原地帯[83]。数河高原と飛騨市宮川町菅沼地区(国道360号沿線)の中間に位置し[82]落葉広葉樹ブナ・シラカバ・トチミズナラなど)による自然林が広がっている[84]。また付近には「池ヶ原湿原」と呼ばれる広大な湿原があり、春はミズバショウやシラヒゲソウなどの花が咲き、釣りが禁止されていることから多数のイワナが水面近くを泳ぐ姿を観察できる[85]。一帯の土地は、富山県富山市で「森井歯科医院」を経営する森井徹雄が所有している[83]。林道脇の岸壁(標高1,200 m)から湧き出る湧水は、奥飛騨原水[86]タンナカ高原の水[5]高原水[7]と呼ばれる。

この湧水は弱アルカリ性の軟水[注 18]ミネラルカルシウムカリウムなど)が多く含まれる[5]。この水は、タンナカ高原に降った雨や雪解け水が[87]先カンブリア時代地層である「飛騨片麻岩」の地層[88]に染み込み、数百年 - 数千年以上後に湧出したものである[87]

上馬場和夫(帝京平成大学東洋医学研究所教授 / 元富山大学和漢医薬額総合研究所客員教授)や森井らによる調査の結果、抗酸化作用の可能性が示唆されている[89]ほか、抗糖尿病効果(インスリン分泌促進薬の効果増強)が確認されている[90]

1999年(平成11年)時点では「お助け水」をミネラルウオーターとして加工した「奥飛騨深山“天霊水”」がスギー産業株式会社から販売されており、中日ドラゴンズの選手たちにも愛飲されていた[81]。2005年(平成17年)からは「タンナカ高原の水」を加熱殺菌したものがミネラルウォーターとして販売されているほか、2006年(平成18年)には水源地の地主である森井が、旧「パルクすごうスキー場」駐車場[86](国道41号沿い)[72]に無料の水汲み場(約3.5 km離れた水源地からパイプで導水)を設置[86]。県内外から多くの人が水を汲みに訪れているほか、高山市の酒造店がこの水を使った日本酒(深山菊「奥飛騨原水仕込み ひやおろし」)を秋の限定酒として販売し、人気を博している[91]

世帯数と人口

2015年国勢調査によれば、世帯数は71世帯で、人口は176人である[92]

人口の変遷

人口の推移(平成以降は国勢調査による)。1995年・2000年は吉城郡古川町数河、2005年以降は飛騨市古川町数河である。

1788年天明8年)[注 19] 237人[17]
1773年安永2年)[注 20] 231人[17]
1975年昭和50年)[注 21] 445人[14]
1995年(平成7年)[注 22] 323人[94]
2000年(平成12年)[注 23] 276人[95]
2005年(平成17年)[注 24] 232人[96]
2010年(平成22年)[注 25] 191人[97]
2015年(平成27年)[注 26] 176人[92]

農業

村高は元禄検地の際は106余(反別49町9余)、安永検地の際は129石余[3]、『飛騨国郷帳』によれば129石813[98]

江戸時代 - 明治時代はタケノコ[注 5]が最大の産物だった[21]。『斐太後風土記』(大正4 - 5年)によれば、15石・ヒエ125石[注 27]大麦10石・小麦5石・大豆20石・アワ7石2斗・ソバ8石・36貫目・大20貫目・小繭100貫目(生糸600目)などを生産していた[19]。特産品は猿頭木・菅莚・タケノコ[注 5]など[3]。また、栃・などの実を夫食として重用していた[15]

また、21世紀時点ではワサビ・ソバの栽培や、タケノコの缶詰の販売(前述)などのほか、地元の畜産会社「山勇畜産」による飛騨牛の肥育も行われている[99][100]。同社は1965年(昭和40年)に創業され、2016年(平成28年)時点で約850頭の飛騨牛を肥育しており、県の畜産共進会、和牛育成技術コンテストで最優秀の受賞歴がある[101]

学区

小学校は飛騨市立古川西小学校、中学校は飛騨市立古川中学校の通学区域で、数河地区からは両校へのスクールバスが運転されている[102]。かつて古川町立数河小学校[103]古川町立数河中学校[104]があったが、前者は1969年度(昭和44年度)に古川西小学校へ統合され[103]廃校になった[3]。また、後者も1966年(昭和41年)4月に古川中学校と統合され[104]、廃校になっている[105]

文化

[全画面表示]
略地図
1
松尾白山神社
2
高山建築学校
3
白山神社(宮田白山神社)
4
数河高原ラグビー場(天然芝)
5
飛騨数河カントリークラブ
6
数河除雪センター
7
旧ドライブイン数河
8
「タンナカ高原の水」無料水汲み場(旧:数河高原スキー場駐車場)
9
数河峠

数河獅子(すごうじし)[106]般若踊(はんにゃおどり)[107]が伝承され、いずれも岐阜県の重要無形民俗文化財に指定されている[15]。数河獅子は、上数河の白山神社[108](宮田白山神社)[106]と、下数河の松尾白山神社で、毎年9月5日に1年交替で奉納される獅子舞[106]、豊穣への感謝を込めて行われる祭りである[108]。その起源は、大宝年間(701年 - 704年)に数河に住んでいた新羅の僧が、獅子が乱れる姿を獅子舞にしたものを後世に残し、17世紀に現代の姿になったものとされている[109]

般若踊は、般若経を広めるために踊られたと伝えられており、緩やかで素朴な踊りが特徴である[107]

施設

スキー場・キャンプ場ゴルフ場フィールドアスレチック遊歩道などのレジャー施設が整備されている[3]。また、付近にひだ流葉スキー場(神岡町)がある[110]

アクセス

道路を利用した場合、飛騨清見IC東海北陸自動車道)から約28 kmの距離にある[20]飛騨古川駅JR高山本線)からの所要時間は、タクシーで約20分[20]

脚注

注釈

  1. 戸市川は、一級河川神通川(宮川)水系の川[10]。河川延長は約8,500 m[10]流域面積は20.5 km2[11]。上流端は古川町数河の府県野・小島で[12]、飛騨市内で宮川に合流する[13]
  2. 流葉山は、旧神岡町と旧宮川村の境に位置する山[16]
  3. 25町=2,727.27 m
  4. 1町56間=210.91 m。
  5. 『斐太後風土記』によれば、毎春に1,500貫(約6トン)のタケノコが数河から産出され、「菅生筍」として現在の高山市、飛騨市(古川町・神岡町)などで販売されていた記録がある[21]。昭和30年代ごろまでは多く採られていたが、若者の流出や会社勤めの住民が増加したことにより、生産量が減少していた[21]
  6. 国道41号は1966年(昭和41年)3月1日に一般国道として指定され[22]、1968年11月22日に全通した。1970年(昭和45年)4月1日から国道41号は数河峠経由のみとなった[23]
  7. 長い下り坂で過熱したブレーキが利きにくくなったことによる事故が多かった[27]
  8. スリップ事故は凍結状態の坂道で多発していた[29]
  9. 数河峠手前(古川町戸市)のヘアピンカーブ2か所では、高山方面から来た車が峠道を上る途中、減速が不十分でカーブを曲がり切れずに起こす事故が多かった[36]。そこで、飛騨警察署の交通課長が登坂車線を緑、走行車線を赤に舗装し、車を登坂車線に誘導して速度を落とさせようと提案し、実現した試みである[36]
  10. 登坂車線を含めた復旧は約1か月後[38]
  11. 野口村・末真村・岩丸村・戸市村[17]・西村[15]
  12. 1998年には、藤井の功績を称えて彼の胸像が建てられている[45]
  13. スキー人口は1980年代後半からのスキーブームを契機に増加し、「ロマンスの神様」(広瀬香美)がヒットした1993年(平成5年)にピーク(1,860万人)を迎えたが、以降は減少傾向にあり、2011年は630万人に減少している[52]
  14. 東海北陸自動車道の飛騨地方延伸(1999年11月)以降はスキー客の増加が期待されたが、実際には飛騨地方よりアクセスの良い奥美濃地方に客が流れていた[53]
  15. 「お助け水」とは、高山(こうやま)の中腹[18](洞穴)[59]から下数河に湧き出る湧水[18]。水温12℃[18]の軟水[59]。かつて日照りに困っていた村人たちが高山の山頂で雨乞いをしたところ、雨の代わりに湧き出したという伝承があり、地元住民だけでなく、遠方(東濃地方・名古屋方面)から汲みに来る者もいる[18]。2004年ごろから、木村飲料が「お助け水」を加工したミネラルウォーターを「飛騨湧水」の商品名で販売している[59]
  16. ワサビは(2006年から)20年ほど前には数河地区の各地に自生していたが、乱獲のためかほとんど採れない状態になっていた[59]
  17. 1985年(昭和60年)ごろには、名鉄バスセンターから毎日21時にスキー場への直行バスが運転されていた[69]
  18. スギー産業株式会社(愛知県名古屋市中区)が販売していた「“奥飛騨深山”天霊水」は硬度約30 mg/lである[81]
  19. 男性133人+女性104人(家数62)[17]
  20. 男性136人+女性95人(家数63)[17]
  21. 101世帯[14]。世帯・人口など統計上の数字は、原則として昭和50年の国勢調査を基本としている[93]
  22. 男性156人+女性167人(94世帯)[94]
  23. 男性142人+女性134人(100世帯)[95]
  24. 男性117人+女性115人(86世帯)[96]
  25. 男性96人+女性95人(75世帯)[95]
  26. 男性94人+女性71人[92]
  27. 1773年(安永2年)の村明細帳によれば、田14町4反余はすべて稗田で、焼き畑は5町9反余とされている[17]

出典

  1. 議案第30号 数河辺地に係る公共的施設の総合整備計画の策定について (PDF). 飛騨市公式ウェブサイト. 飛騨市 (2018年2月26日). 2021年5月16日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年5月16日閲覧。
  2. 岐阜県 吉城郡古川町 数河の郵便番号”. 日本郵便. 2021年5月13日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年5月13日閲覧。
  3. 「角川日本地名大辞典」編纂委員会編 1980, p. 421.
  4. SUGOを知る”. 数河高原観光協会. 2021年5月13日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年5月13日閲覧。
  5. 隠れた名水「タンナカ高原の水」の秘密 飲むと「違い分かる」体調改善の声も」『岐阜新聞』岐阜新聞社、2021年2月15日。オリジナルの2021年2月15日時点におけるアーカイブ。
  6. 高山国道事務所 (2011年11月). 『高山こくどうニュースレター』2011年11月号「冬季の交通難所である数河峠の登坂車線が降雪前に供用」 (PDF). 「高山国道事務所」公式ホームページ. 国土交通省 中部地方整備局. pp. 1-2. 2021年5月14日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年5月14日閲覧。
  7. 数河について”. 飛騨数河. 株式会社 数河未来開発. 2021年5月12日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年5月12日閲覧。
  8. 『中日新聞』1988年8月17日朝刊岐阜第二総合面「“ラグビーの数河”定着 合宿、年々2、3000人増 メッカ菅平に追いつけ追い越せ」(中日新聞社)
  9. 教育観光スポット > 数河高原ラグビー合宿・大会”. ぎふの旅ガイド. 一般社団法人 岐阜県観光連盟. 2021年5月16日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年5月16日閲覧。
  10. 河川調書』(PDF)(レポート)岐阜県、2021年4月1日、27頁。 オリジナルの2021年5月22日時点におけるアーカイブhttps://web.archive.org/web/20210522150722/https://www.pref.gifu.lg.jp/uploaded/attachment/248397.pdf#page=292021年5月22日閲覧
  11. 岐阜県 2014, p. 23.
  12. 河川大事典』(第1版第1刷)(編集・発行)日外アソシエーツ株式会社、(発売元)株式会社紀伊國屋書店、1991年2月21日、659頁。ISBN 978-4816910173。 NCID BN05929061https://www.nichigai.co.jp/cgi-bin/nga_search.cgi?KIND=BOOK2&ID=A1017
  13. 岐阜県 2014, p. 4.
  14. 「角川日本地名大辞典」編纂委員会編 1980, p. 1229.
  15. 平凡社 1980, p. 1006.
  16. 「角川日本地名大辞典」編纂委員会編 1980, p. 542.
  17. 平凡社 1980, p. 1005.
  18. sugoを見る”. 数河高原観光協会. 2021年2月28日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年5月13日閲覧。
  19. 富田礼彦『斐太後風土記 下 第13巻、大日本地誌大系刊行会〈大日本地誌大系〉、1916年、24-25頁。doi:10.11501/952769https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/952769/20
  20. sugoに行く”. 数河高原観光協会. 2021年5月13日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年5月13日閲覧。
  21. 『中日新聞』2016年8月18日朝刊飛騨版12頁「名産タケノコもう一度 古川・数河地区の住民ら 缶詰考案 地域おこし目指す」(中日新聞社 記者:浜崎陽介)
  22. 岐阜県戦後50年世相史 1994, p. 802.
  23. 岐阜県戦後50年世相史 1994, p. 287.
  24. 臼田甚五郎「猿聟 民俗文学の探訪(9)」『國文學 解釈と教材の研究』第14巻第1号、学燈社、1969年1月、174頁、doi:10.11501/8099223ISSN 0452-3016
  25. 臼田甚五郎『食はず女房その他』桜楓社、1972年、92頁。ASIN B000J95VYW
  26. ふるさと神岡を語る会 2004, p. 2.
  27. 『中日新聞』2001年8月6日朝刊岐阜県版岐阜「【岐阜県】国道41号数河峠 長い下り坂ブレーキ利きにくく トラック横転事故多発 県警 過積載など取り締まり」(中日新聞社)
  28. 『中日新聞』1998年11月18日朝刊飛騨版「【岐阜県】除雪車など10台試運転 高山国道工事事務所 雪シーズンに備える」(中日新聞社)
  29. 『中日新聞』1999年2月6日朝刊岐阜総合面17頁「【岐阜県】99年ぎふ 現場から 今冬の大雪や寒波で路面変化 凍結、圧雪でスリップ事故多発 飛騨地方 地元ドライバーも目立つ スタッドレスタイヤ、四駆 過信や誤解は禁物 要注意の峠道 対策に頭悩ます警察」(中日新聞社 高山支局・上條憲也)
  30. 『中日新聞』2001年7月20 日朝刊飛騨総合面21頁「【岐阜県】事故に気をつけ気を付けて 古川署 数河峠に交通指導所」(中日新聞社)
  31. 朝日新聞』2006年2月14日中部朝刊岐阜版全県第一地方面31頁「大型車立ち往生、相次ぐ 記録的大雪、飛騨地方の峠道 目立つチェーン未装着/岐阜県」(朝日新聞名古屋本社・高山支局 村瀬信也)
  32. 『中日新聞』1999年5月22日朝刊飛騨版「【岐阜県】交通事故多発現場を視察し危険個所点検 古川署など」(中日新聞社)
  33. 『中日新聞』2000年8月26日朝刊飛騨総合面19頁「【岐阜県】運輸業者招いて対策会議 古川、神岡両署 数河峠の大型車両事故多発で」(中日新聞社)
  34. お知らせ 歩道を使って快適に通行 飛騨市古川町数河地内 歩道整備工事 (PDF). 「高山国道事務所」公式ホームページ. 国土交通省 中部地方整備局 (2010年4月28日). 2021年5月16日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年5月16日閲覧。
  35. お知らせ 冬期の交通難所である数河峠の登坂車線が降雪前に開通 ~飛騨市古川町戸市において登坂車線が繋がります~ (PDF). 「高山国道事務所」公式ホームページ. 国土交通省 中部地方整備局 (2011年11月17日). 2021年5月14日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年5月14日閲覧。
  36. 『中日新聞』2010年3月8日朝刊岐阜県版14頁「安心 危険 塗り分け 国道41号で飛騨署 色彩心理を応用 無事故へ効果期待」(中日新聞社 記者:平野誠也)
  37. 『中日新聞』2018年7月8日朝刊岐阜県版10頁「県内初の大雨特別警報 長引く避難「不安」 古川の国道41号 土砂崩れ相次ぐ」(中日新聞社)
  38. 『中日新聞』2019年7月29日朝刊岐阜県版12頁「豪雨災害復旧状況 数河住民に説明会 古川で国など」(中日新聞社 記者:横田浩𤋮)
  39. 1 土地・気象 > 5 市町村廃置分合改称等の沿革」『令和元年 岐阜県統計書』(PDF)(編集・発行)岐阜県環境生活部統計課、2020年7月。 オリジナルの2021年5月13日時点におけるアーカイブhttps://web.archive.org/web/20201125081323/https://www.pref.gifu.lg.jp/uploaded/attachment/204926.pdf#page=52021年5月13日閲覧 - 岐阜県ホームページの「岐阜県統計書 令和元年」より閲覧可能。
  40. 市町村合併資料集 > 市町村名逆引き一覧(平成11年3月31日時点の市町村名がどう変わるか) (岐阜県)”. 総務省. 2021年4月9日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年4月9日閲覧。
  41. 町字名新旧対照表(古川町) (PDF). 飛騨市. 2021年4月9日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年4月9日閲覧。
  42. ふるさと神岡を語る会 2004, p. 1.
  43. 『読売新聞』1999年12月19日中部朝刊岐阜第二地方面29頁「古川・数河高原スキー場の“灯”守る 大手撤退 地元企業が経営引き継ぐ=岐阜」(読売新聞中部本社)
  44. 『中日新聞』2005年12月16日朝刊飛騨版18頁「スキー場営業は宿泊客に限定へ 飛騨ハイランド」(中日新聞社 記者:島崎諭生)
  45. 『朝日新聞』2002年6月14日中部朝刊岐阜第二面31頁「藤井清喜(ふじい・せいき)さん 県ラグビーフットボール協会副会長(ひと) /岐阜」(朝日新聞名古屋本社・高山支局)
  46. 中日新聞』2003年8月18日朝刊岐阜県版16頁「2003 ぎふ 現場から数河からラグビーの灯消すな 古川 人気低下響きチーム減少 合宿受け入れ25年 ことしは86チーム 『常連』大切に 芝生管理や食事充実図る」(中日新聞社 記者:斉藤泰宏)
  47. 人文社 1981, p. 158.
  48. 富山新聞』1980年5月14日朝刊(第12351号)一面1頁「M、北野“綱渡り起訴” 三罪一括 殺害現場は数河高原 Aさん事件 異例、深夜の検証」「ゲレンデ下の駐車場 眠っているところを絞殺」(富山新聞社) - 富山・長野連続女性誘拐殺人事件(1980年)の関連記事。
  49. 『中日新聞』2003年10月4日朝刊岐阜総合面29頁「楽市楽座 中身濃い自然体験を提供」(中日新聞社)
  50. 『中日新聞』1990年7月25日夕刊二面2頁「ひと・ゆうかんさろん・人/ 高原の魅力高め 人の流れ数河へ」(中日新聞社)
  51. ドライブイン数河14日閉店 利用者減、併設の宿泊施設は継続」『岐阜新聞Web』岐阜新聞社、2019年9月27日。オリジナルの2019年9月30日時点におけるアーカイブ。
  52. 『中日新聞』2013年1月11日朝刊飛騨版16頁「ウオッチひだ 飛騨地域のスキー場事情 “厳冬経営”企画で打開 雪山ハイクやリフト無料化」(中日新聞社)
  53. 『中日新聞』2000年1月16日朝刊岐阜総合面23頁「2000 ぎふ 現場から スキー客なぜ増えない? 飛騨地方の関係者はため息 アクセス問題あり サービスPR不足 人口拡大策も課題」(中日新聞社 高山支局・有川正俊)
  54. 『中日新聞』2002年11月29日朝刊岐阜総合面25頁「『パルクすごう』今季限り 古川のスキー場 観光努力も客足伸びず 「新市」内に5スキー場 町村合併で影響必至?」(中日新聞社)
  55. 『中日新聞』2003年3月24日朝刊広域岐阜版16頁「スキー客 名残惜しむ 古川の「パルクすごう」 利用減り最後の営業」(中日新聞社)
  56. 『中日新聞』2006年11月9日朝刊飛騨版16頁「『お助け水』使いワサビ栽培 古川・数河 地元住民 地域おこしに利用 料理を開発し特産品に」(中日新聞社 記者:島崎諭生)
  57. 『中日新聞』2008年4月8日朝刊飛騨版16頁「名産に育てワサビ 古川 数河の生産組合、初の収穫」(中日新聞社 記者:古池康司)
  58. 『毎日新聞』2009年4月25日中部朝刊岐阜地方版18頁「数河そば:飛騨にこだわる男性、念願の開店へ 過疎化、高齢化進む古川町で /岐阜」(毎日新聞中部本社・岐阜支局 記者:奈良正臣)
  59. 『朝日新聞』2006年12月10日中部朝刊岐阜版全県第一地方面31頁「「お助け水」で育てワサビ 飛騨市の住民ら、名水活用 地域おこしに期待 /岐阜県」(朝日新聞名古屋本社・高山支局 山内明)
  60. 『毎日新聞』1999年12月19日中部朝刊岐阜地方版「「町の活性化に必要」しにせスキー場が再出発--古川町、地元業者引き継ぐ /岐阜」(毎日新聞中部本社・岐阜支局 記者:奈良正臣)
  61. 『'91オールスキー場完全ガイド』(第1刷発行)立風書房〈立風ベストムック〉、1990年10月30日、458頁。ISBN 978-4651855097。 NCID BN12312141国立国会図書館書誌ID:000000061404。"すごう高原スキー場"。
  62. 週刊読売』1972年3月3日号(第31巻第12号、通巻:第1204号)53頁「数河高原スキー場」
  63. 週刊ベースボール』1975年11月9日増刊号(第30巻第51号、通巻:第955号)142頁 山中日出夫「全国主要スキー場案内(中部・西日本)」(ベースボール・マガジン社
  64. Topic in 中部 春スキーを楽しむなら「新穂高ロープウェイスキー場」」『中部財界』第28巻第4号、中部財界社、1985年4月1日、77頁、doi:10.11501/2773918NDLJP:2773918/1/39
  65. 『週刊サンケイ』1982年12月2日号(第31巻第56号、通巻:第1754号)85頁「レジャーガイド イン GIFU 日本のスイス スキー、温泉etc」(扶桑社)
  66. 週刊サンケイ』1970年1月12日号(第19巻第2号、通巻:第981号)56頁「特選コーナー・特選コーナー インフォメーション いってみたら」(扶桑社
  67. 『中日新聞』1993年1月18日朝刊岐阜総合面11頁「【岐阜県】声援受け大回転誓う 古川 すごうジュニアスキー大会」(中日新聞社)
  68. 『中日新聞』1996年12月7日朝刊飛騨版「【岐阜県】古川のスノーランドすごう 14日にオープンへ 関係者ら集い安全祈願祭」(中日新聞社)
  69. 『'86オールスキー場完全ガイド』(第1刷発行)立風書房、1985年11月1日、380頁。ISBN 978-4651855097。国立国会図書館書誌ID:000001779723。"数河高原スキー場"。
  70. 『レジャー産業資料』第26巻第8号(通巻:第323号)207頁「全国主要スキー場93年度入込実績」(綜合ユニコム) - 1993年8月号(1993年8月1日発行)。
  71. 『中日新聞』2005年2月23日朝刊東濃総合面17頁「モービル、雪原疾走 閉鎖スキー場で貸します 飛騨」(中日新聞社 記者:島崎諭生)
  72. 富山新聞』2008年9月15日県内総合面「タンナカの天然水 人気 無料開放、1日に300人 国道41号沿い 富山の森井さん」(北國新聞社富山支局)
  73. 飛騨ハイランド・スキー場”. 楽天トラベル. 楽天. 2021年5月16日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年5月16日閲覧。
  74. 飛騨数河リゾート&カントリークラブ”. 2021年5月13日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年5月13日閲覧。
  75. 飛騨数河リゾート別荘地”. 飛騨数河リゾート&カントリークラブ. 2021年5月13日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年5月13日閲覧。
  76. 施設ご案内”. 飛騨数河リゾート&カントリークラブ. 2021年5月13日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年5月13日閲覧。
  77. 『中日新聞』2010年3月20日朝刊第二社会面34頁「「飛騨ハイランド」民事再生法を申請」(中日新聞社)
  78. 『中日新聞』2010年9月1日朝刊岐阜総合面19頁「飛騨ハイランド 再建計画案を認可 東京地裁 債権者過半数が同意」(中日新聞社 記者:平野誠也)
  79. 飛騨数河CC・関連記事”. ゴルフ会員権の公開市場「G-OPEN」. 株式会社 ゴルフビュー (2010年). 2021年5月16日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年5月16日閲覧。
  80. 道路網構想研究会資料 > 平成23年 飛騨市観光客入り込み数 (平成24年2月 プレス発表資料) (PDF). 飛騨市公式ウェブサイト. 飛騨市観光課. p. 2 (2012年2月). 2021年5月18日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年5月18日閲覧。 - 集計期間は2011年(1月 - 12月)で、「飛騨ハイランドホテルが廃業」と記載されている。
  81. 『経済界』1999年12月号(第34巻第23号、通巻:第668号)121頁「“奥飛騨深山”天霊水は」(経済界)
  82. 『朝日新聞』2007年10月20日朝刊富山県版全県第二地方面30頁「(北陸の釣り)朝日、投げ釣りでフクラギ好調 氷見、クロダイ大小2〜10匹 田中高原 杉谷静」()
  83. 森井歯科医院.
  84. タンナカ高原”. 奥飛騨原水 宮川興産株式会社 【公式サイト】. 宮川興産株式会社. 2021年5月14日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年5月14日閲覧。
  85. 『朝日新聞』2009年10月9日朝刊富山県版全県第二地方面30頁「(釣り情報)投げ釣りでキス30〜40匹 朝日 池ヶ原湿原 杉谷静」
  86. 『中日新聞』2006年6月20日朝刊飛騨版16頁「宮川のわき水 数河峠に水くみ場 土地所有者や地元民 水源からパイプ敷設 無料開放」(中日新聞社 記者:島崎諭生)
  87. 秘境の地“タンナカ高原”で発見された 数千年とも言われる時を経て湧出した奇跡の水 奥飛騨原水 宮川興産 岐阜県”. ぎふの銘酒を厳選 飛騨美濃 地酒蔵. 株式会社 未来堂. 2021年5月14日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年5月14日閲覧。
  88. 《奥飛騨原水の特徴》 (PDF). トラストK工房. p. 2. 2021年5月14日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年5月14日閲覧。
  89. 上馬場和夫、金杰、森井徹雄「タンナカ高原の湧水による血糖低下薬の効果増強作用」(PDF)『第14回日本補完代替医療学会学術集会 アンチエイジングとEBM プログラム・抄録集』、日本補完代替医療学会、2011年11月、65頁、2021年5月14日閲覧
  90. 上馬場和夫、森井徹雄「タンナカ高原の湧水による血糖低下薬の効果増強作用 その2その2」(PDF)『第16回日本補完代替医療学会学術集会 機能性食品とエイジング プログラム・抄録集』、日本補完代替医療学会、2013年11月、85頁、2021年5月14日閲覧
  91. 浜崎陽介「【岐阜】古川に人呼ぶ湧き水 地権者の森井さん「どんどん利用して」」『中日新聞』中日新聞社、2018年2月2日。2021年5月14日閲覧。オリジナルの2021年5月14日時点におけるアーカイブ。
  92. 平成27年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. 総務省統計局 (2017年1月27日). 2019年3月23日閲覧。
  93. 「角川日本地名大辞典」編纂委員会編 1980, p. 8.
  94. 平成7年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 - 町丁・字等”. 総務省統計局 (2014年3月28日). 2021年5月13日閲覧。
  95. 平成12年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 - 町丁・字等”. 総務省統計局 (2014年5月30日). 2021年5月13日閲覧。
  96. 平成17年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 - 町丁・字等”. 総務省統計局 (2014年6月27日). 2021年5月13日閲覧。
  97. 平成22年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 - 町丁・字等”. 総務省統計局 (2012年1月20日). 2021年5月13日閲覧。
  98. 飛騨国郷帳江戸幕府天保郷帳〉、1834年、25頁https://www.digital.archives.go.jp/gallery/00000003612021年5月13日閲覧 - 国立公文書館デジタルアーカイブより。コマ番号25の見開き右側に「数河村」の記述がある。
  99. 『中日新聞』2009年3月8日朝刊岐阜県版22頁「食の現場から 飛騨牛(1) 一貫生産 『ブランド』末代まで」(中日新聞社 古池康司)
  100. 飛騨牛「山勇牛」について”. 山勇牛一貫オンラインストア. 株式会社一貫亭. 2020年12月3日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年6月27日閲覧。
  101. 『中日新聞』2016年4月7日朝刊飛騨版20頁「ひだ経済 飛騨牛生産の「山勇畜産」 古川に直営レストラン」(中日新聞社 島将之)
  102. 古川スクールバス運行ダイヤ表 3号車 数河線 夏季 (4/1~11/30) (PDF). 飛騨市立古川中学校. 飛騨市教育委員会 (2020年3月31日). 2021年5月17日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年5月17日閲覧。
  103. 学校沿革史 (PDF). 飛騨市立古川西小学校. 飛騨市教育委員会. 2021年5月17日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年5月17日閲覧。
  104. 沿革 (PDF). 飛騨市立古川中学校. 飛騨市教育委員会. 2021年5月17日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年5月17日閲覧。
  105. 沿革”. 飛騨市立古川中学校. 飛騨市教育委員会. 2021年5月17日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年5月17日閲覧。
  106. 数河獅子[すごうじし]”. 岐阜県公式ホームページ. 岐阜県. 2021年5月13日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年5月13日閲覧。
  107. 般若踊[はんにゃおどり]”. 岐阜県公式ホームページ. 岐阜県. 2021年5月13日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年5月13日閲覧。
  108. イベント > 数河獅子”. 飛騨市公式観光サイト「飛騨の旅」. 飛騨市. 2021年5月13日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年5月13日閲覧。
  109. 読売新聞』2000年9月6日中部朝刊岐阜地方版28頁「秋の訪れ 歓喜の数河獅子 古川の松尾白山神社に奉納=岐阜」(読売新聞中部本社
  110. スキー・スノーボード”. 数河高原観光協会. 2021年5月16日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年5月16日閲覧。
  111. 白山神社”. 岐阜県神社庁公式ホームページ. 岐阜県神社庁. 2021年5月13日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年5月13日閲覧。
  112. 高山建築学校”. 高山建築学校. 2021年5月16日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年5月16日閲覧。
  113. 松尾白山神社”. 岐阜県神社庁公式ホームページ. 岐阜県神社庁. 2021年5月13日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年5月13日閲覧。
  114. 『中日新聞』1997年5月18日朝刊飛騨総合面23頁「【岐阜県】古川でグランパス一軍合宿 来月9日から14日 地元有志がグラウンド整備」(中日新聞社)
  115. 『中日新聞』1995年7月11日朝刊飛騨版「【岐阜県】グランパスエイト飛騨校開校で記念試合 古川でユースが熱戦」(中日新聞社)
  116. 福田志乃『実践 そこにしかない地域経営』(初版)(発行所)時事通信出版局、(発売)時事通信社、2008年1月20日、206頁。
  117. お知らせ 飛騨地域の除雪準備が完了!飛騨地区除雪出発式を開催します。 (PDF). 「高山国道事務所」公式ホームページ. 国土交通省 中部地方整備局 (2013年10月22日). 2021年5月16日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年5月16日閲覧。
  118. 岐阜県ロケ受け入れ場所のご紹介 旧ドライブイン数河(岐阜県飛騨市) (PDF). 岐阜県. 2021年5月13日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年5月13日閲覧。
  119. 飛騨・数河峠のドライブイン ドライブイン数河(すごう)[公式ページ]”. ドライブイン数河. 2019年12月8日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年5月13日閲覧。
  120. 旅の予約 宿・航空券 > すごうビレッジ修徒館”. 飛騨市公式観光サイト「飛騨の旅」. 飛騨市. 2021年5月13日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年5月13日閲覧。
  121. 人文社 1981, p. 159.
  122. 『ゼンリン住宅地図 岐阜県 飛騨市 旧 古川町 河合村 宮川村 神岡町 2006 09』ゼンリン、2006年9月発行、134頁G-1

参考文献

関連項目

外部リンク

This article is issued from Wikipedia. The text is licensed under Creative Commons - Attribution - Sharealike. Additional terms may apply for the media files.