神戸町
神戸町(ごうどちょう)は、岐阜県安八郡に属する町。濃尾平野の北西端にある。
| ごうどちょう 神戸町 | |||||
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| 国 |
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| 地方 | 中部地方、東海地方 | ||||
| 都道府県 | 岐阜県 | ||||
| 郡 | 安八郡 | ||||
| 市町村コード | 21381-1 | ||||
| 法人番号 | 1000020213811 | ||||
| 面積 |
18.78km2 | ||||
| 総人口 |
17,941人 [編集] (推計人口、2024年4月1日) | ||||
| 人口密度 | 955人/km2 | ||||
| 隣接自治体 | 大垣市、瑞穂市、揖斐郡池田町、大野町 | ||||
| 町の木 | もちの木 | ||||
| 町の花 | バラ | ||||
| 神戸町役場 | |||||
| 町長 | 藤井弘之 | ||||
| 所在地 |
〒503-2392 岐阜県安八郡神戸町大字神戸1111番地 北緯35度25分02秒 東経136度36分31秒 ![]() | ||||
| 外部リンク | 公式ウェブサイト | ||||
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■ ― 市 / ■ ― 町・村 | |||||
| ウィキプロジェクト | |||||
地理
瑞穂市以外の隣接市町村にはすべて山があるため、神戸町域に山はないものの山が迫っているように見える。
歴史
比叡山延暦寺の荘園時代(当時、当地を「平野庄(ひらのしょう)」または「平野荘」と称した)と、中心部を最澄が通った際に建立された寺をきっかけに建立された日吉神社の門前町として、明治はじめまで市が立ち栄えた。
また、町域南端を中山道がかすめている。
沿革
関ヶ原の戦いにまつわる噂
関ヶ原の戦い直前の徳川家康が揖斐川を渡り当地に入ろうとした際、石田三成方に銃撃されたという噂もある(『美濃神戸ふるさと百話』による)。これは作り話の可能性もあるが、後に将軍となったため緘口令がしかれた可能性もある。なお、家康が当地を通ったのは事実であるが、柿を手に取って「大柿我が手に討つ」と大垣にいた三成を指して言い、甘柿にもかかわらず「ああシブかった、シブかった」(四部勝った+四部勝った=八部勝った、という意味)と言ったといわれている(同書)。
なお、石田三成は天正19年(1591年)に神戸とは伊吹山地を挟んだ佐和山城に入っているが、当初は蔵入地の代官として佐和山城に入ったもので、正式に佐和山城主になる文禄4年(1595年)以前の三成本人の所領は神戸とその周辺にあって佐和山から統治していたとする指摘が出されており[1]、神戸は三成が領主を務めたゆかりの土地であったことになる。
人口
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| 神戸町と全国の年齢別人口分布(2005年) | 神戸町の年齢・男女別人口分布(2005年) |
■紫色 ― 神戸町
■緑色 ― 日本全国 | ■青色 ― 男性 ■赤色 ― 女性 |
神戸町(に相当する地域)の人口の推移 | |
| 総務省統計局 国勢調査より | |
行政
- 町長:藤井弘之(2022年7月4日~)
- 1代:河出義一
- 2代:高崎善慶
- 3代:渡辺昭一
- 4代:吉田弘義
- 5代:谷村成基
- 6代:藤井弘之
なお、2005年まで神戸町には社会福祉協議会がなく、町が福祉センターで直接行っていた。
姉妹都市・友好都市
- 提携都市(災害時相互応援協定)
公共施設

交通
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道路
- 高速道路
- 県道
文化
本町通りの商店街の道幅は昔から30メートル程と広い。1車線ずつの車道と広い路肩とを塗り分けるカラー舗装がなされている。なお広神戸駅の名もこの道幅にちなむとの説がある。
夜叉ヶ池伝説の里。平安の昔に日照りが続いた際、時の有力者安八太夫安次が何気なく降雨のなさをボヤいた相手がたまたま夜叉ヶ池の龍神の化身だったヘビだったため、龍神が雨を降らせた見返りに安次の娘が龍神に嫁入りすることとなり、以来日照りの際には夜叉ヶ池に雨乞いするようになったという話(詳細はリンク先参照)。毎年8月17日には龍神祭が、安次の子孫(すべて「石原伝兵衛」を襲名)によって、伝兵衛の住む神戸町安次の夜叉堂で行われる。また夜叉ヶ池と神戸町との間で毎年7月、夜叉ヶ池伝説マラニックというマラソンが行われる。
名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事


名所・旧跡
著名な出身者
脚注
- 伊藤真昭「石田三成佐和山入城の時期について」『洛北史学』4号、2003年





