袖師駅

袖師駅(そでしえき)は、かつて静岡県庵原郡袖師町清水市を経て、現在の静岡市清水区横砂南町)に存在した、日本国有鉄道(国鉄)東海道本線海水浴シーズンのみ開設される臨時駅であった。

袖師駅
線路用地が幅広になっている駅跡地(2007年)
そでし
Sodeshi
興津 (2.4 km)
(2.3 km) 清水
地図
所在地 静岡県庵原郡袖師町
北緯35度2分29.32秒 東経138度30分3.38秒
所属事業者 日本国有鉄道
所属路線 東海道本線
キロ程 166.7 km(東京起点)
駅構造 地上駅
ホーム 2面2線
開業年月日 1926年大正15年)7月3日
廃止年月日 1971年昭和46年)10月1日
備考 臨時駅

概要

袖師町に横砂海水浴場(袖師海水浴場)が開設されたのに伴い、海開き直後に開設された。海水浴場はそれ以前は清水市江尻地区にあったが、埋め立てに伴い、1926年(大正15年)夏に袖師地区に移転してきた[1]。当時の袖師海岸近辺は「白砂青松に恵まれていた静岡でも一、二を争う美しい海水浴場」とされており、クロダイイワシサクラエビなどの地引網漁も行われていた[2]。臨時駅から海岸線までの間には、海の家旅館、茶店、海水浴用品販売店、貸しボート屋が立ち並んで活気があり、長野県山梨県からも海水浴客がやってきたという[2]

臨時駅ということもあって、駅舎は切符売り場となる小さなものがあっただけで、プラットホームの上屋も取り付けられていなかった。ホームは単純な対向式2面2線であったという。ホームの長さは約100 mあった一方、高さは蒸気機関車に連結された客車の乗降ステップに合わせたため、2未満しかなかった[3]。当時、駅は海岸から約100 mの位置にあった[4]

横砂海水浴場は戦前戦後を通じめ静岡近辺の人々に親しまれてきたが、工業化に伴う水質汚濁で徐々に海水浴場としては適さなくなり、1963年昭和38年)の夏を最後に列車の発着がなくなり、海水浴場も1966年(昭和41年)に閉鎖された。その後、1971年(昭和46年)に駅は正式に廃止された。なお、1949年(昭和24年)ごろには常設駅への格上げも一時内定していたが、国有鉄道の運営が運輸省から公共企業体日本国有鉄道に変更されたのに伴い、支出抑制が図られることになったため見送られた。また袖師町は清水市と合併するに当たり、袖師駅を常設駅とするよう努力することを要望していた[5]

1974年(昭和49年)に運転休止され、翌1975年(昭和50年)限りで廃線となった路面電車静岡鉄道清水市内線にも、袖師停留場が設けられていた。同駅は海水浴場があった当時、満員の乗客が運転台の自力の鎖からはみ出すほどの混雑ぶりで、運転手がノッチを動かすのに苦労していたという[6]

高度成長期以来、周辺は工業地帯として開発が進み、高杉晋吾が取材を行った1981年(昭和56年)時点で袖師一帯は工業用の埠頭や付近の東燃コンビナート、下水終末処理場が集中する工業地帯へと変貌しているが、同海水浴場があった一帯から約200 m東方の横砂東町一帯は昔ながらの黒い瓦と褐色の木造住宅が密集しており、江戸時代の面影も残している[2]。清水市内線廃止後の1991年(平成3年)ごろには旧袖師駅周辺は駅があった当時とは異なり、埋立が進んで住宅地に変貌しており、駅復活運動があったが[4]、その後も目立った進展はない。

現在当駅跡には、朽ち果てたホームの一部が残っている。また、線路に面した「袖師公園」(清水区横砂南町10番10号)には「東海道線袖師駅跡」と書かれた看板が立っている。

歴史

隣の駅

日本国有鉄道
東海道本線
興津駅 - 袖師駅 - 清水駅

脚注

  1. 毎日新聞』1999年8月7日東京朝刊静岡地方版「清水港開港100年 港町の浪漫館で、おもいで展 /清水」(毎日新聞東京本社・静岡支局)
  2. 高杉晋吾『袴田事件・冤罪の構造 〜死刑囚に再審無罪へのゴングが鳴った〜』合同出版、2014年7月10日第1刷発行、「第一章 闇の炎」11頁。ISBN 978-4772612111 - 廃駅後の1966年にかつての駅跡地付近(横砂東町)で発生した味噌製造会社専務一家4人殺害事件および、元プロボクサーの袴田巌が同事件の犯人と誤認されたとされている冤罪疑惑事件に関する書籍。
  3. 『望星』第23巻第9号(通巻:第266号)東海教育研究所(発売:東海大学出版会、編集・発行人:金子和彦)、1992年9月1日発行、112-113頁「読者のひろば 市井の教師」…1992年9月号。
  4. 鉄道ピクトリアル』第41巻第12号(通巻:第552号、1991年12月号)1991年12月1日発行、84頁「復活要望の声がある袖師駅」 - 1991年8月22日に駅跡地付近で撮影された写真が掲載されている。写真には、線路に向けられて立てられた「復活させよう袖師駅」と書かれた看板が写っている。
  5. 『清水市史 第3巻』1986年8月22日発行、751頁「第五章 二十万人都市として発展の清水 > 第一節 五ヵ町村と清水市の合併 > 五カ町村の合併条件」
  6. 池ケ谷忍(著者・発行者)『清水市内線の記憶 月曜日、電車は来ない』1977年1月10日限定1000部発行、87頁「沿線風景」

関連項目

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