鳴沢村
鳴沢村(なるさわむら)は、山梨県郡内地方にある村である。南都留郡に属する。
| なるさわむら 鳴沢村 | |||||
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| 国 |
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| 地方 | 中部地方(甲信越地方) | ||||
| 都道府県 | 山梨県 | ||||
| 郡 | 南都留郡 | ||||
| 市町村コード | 19429-8 | ||||
| 法人番号 | 3000020194298 | ||||
| 面積 |
89.58km2 (境界未定部分あり) | ||||
| 総人口 |
2,770人 [編集] (推計人口、2024年4月1日) | ||||
| 人口密度 | 30.9人/km2 | ||||
| 隣接自治体 |
富士吉田市、南都留郡富士河口湖町 静岡県:富士宮市、駿東郡小山町 | ||||
| 鳴沢村役場 | |||||
| 村長 | 小林優 | ||||
| 所在地 |
〒401-0398 山梨県南都留郡鳴沢村1575番地 北緯35度28分53秒 東経138度42分23秒 ![]() | ||||
| 外部リンク | 公式ウェブサイト | ||||
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■ ― 市 / ■ ― 町 / ■ ― 村 | |||||
| ウィキプロジェクト | |||||
概要

貴重な自然資源を有し、鳴沢村域の89.56 km²すべてが富士箱根伊豆国立公園の富士山地域に指定されており、このうち1,500haもの特別保護地区を有している[1]。 五湖台(足和田山)、三湖台、道の駅なるさわ、御庭・奥庭が環境省公表の「富士山がある風景100選」に選定されている。
地理
位置
山梨県中南部、富士山北麓に位置する。
歴史
古代
町域を含む富士北麓地域は、古代には『三代実録』貞観6年(864年)5月25日・7月17日条による同年の富士山噴火で溶岩流の影響を受ける[2]。 『万葉集』巻十四には「さ寝らくは玉の緒ばかり恋ふらくは富士の高嶺の鳴沢の如」の和歌が詠まれているが、この「鳴沢」が当地を指すかは不明[3]。
中世
『吾妻鏡』に拠れば、平安時代後期には治承4年11月2日(1180年10月13日)に甲斐源氏の一族が甲府盆地から鳥坂峠・大石峠を越え富士北麓に至る若彦路を通過したとされる[2]。戦国時代には甲斐守護・武田氏により鳴沢に関所が設置された[2]。
近代
1878年(明治11年)には郡区町村編制法により南都留郡に編成され、1889年(明治22年)には大嵐村(現・富士河口湖町大嵐)と合併して鳴沢村となる[4]。明治期には地租改正に伴う林野官民有区分により入会地利用が制限され、林業が一時的に衰退する[4]。一方で、畑作においてジャガイモ・トウモロコシの作付が増加し、鳴沢氷穴を蚕種の保管庫として活用した養蚕も発展する[4]。
1896年(明治29年)には鳴沢村を含む三ヶ村が御料地入会組合を設立し、恩賜林払い下げの要因となった明治40年の大水害・明治43年の大水害を経て1912年(明治45年)に山梨県の御料地が県へ払い下げとなる[4]。鳴沢村では四ヶ村で恩賜林県有財産保護組合を設立し、鳴沢村における林業は再び活性化する[4]。
近代には交通機関も整備され、観光業も活発化する。 1917年(大正6年)には富北軌道会社により富士吉田から船津間の馬車鉄道が開通し、さらに1921年(大正10年)には富士回遊軌道会社により馬車鉄道が大田和まで延長される[4]。また、バス交通も開始される[4]。 1929年(昭和4年)には富士吉田まで富士山麓電気鉄道(現在の富士急行線)が開通し、鳴沢村では紅葉台・風穴・氷穴などが観光地として注目されるようになった[4]。
施設
文化施設
- なるさわ富士山博物館
- 河口湖自動車博物館・飛行舘(8月のみ開館)
運動施設
- 鳴沢村民体育館
- 鳴沢村武道館
- 鳴沢スポーツ広場
- ふじてんスノーリゾート(スキー場)
- FUJI VILLAGE(富士緑の休暇村内) - FCふじざくら山梨(山梨県女子サッカーリーグ)ホームスタジアム
交通
路線バス
国道
道の駅
観光
脚注
- 富士山地域 - 環境省 (PDF)
- 平凡社 1995, p. 144.
- 平凡社 1995, pp. 144–145.
- 平凡社 1995, p. 145.
関連項目
外部リンク
- 公式ウェブサイト
鳴沢村に関連する地理データ - オープンストリートマップ






