1912年ストックホルムオリンピックの日本選手団

1912年ストックホルムオリンピックの日本選手団(1912ねんストックホルムオリンピックのにほんせんしゅだん)は、1912年(明治45年)5月5日から7月27日まで開催された1912年ストックホルムオリンピックの日本選手団、およびその競技結果。選手所属は1912年当時のもの。

オリンピックの日本選手団
日章旗
IOCコード:JPN
NOC: 日本オリンピック委員会
公式サイト
1912年ストックホルムオリンピック
人員: 選手 2名、役員 2名
旗手: 三島弥彦
メダル
金
0
銀
0
銅
0
計
0
夏季オリンピック日本選手団
1912 • 1920 • 1924 • 1928 • 1932 • 1936 • 1948 • 1952 • 1956 • 1960 • 1964 • 1968 • 1972 • 1976 • 1980 • 1984 • 1988 • 1992 • 1996 • 2000 • 2004 • 2008 • 2012 • 2016 • 2020 • 2024
冬季オリンピック日本選手団
1928 • 1932 • 1936 • 1948 • 1952 • 1956 • 1960 • 1964 • 1968 • 1972 • 1976 • 1980 • 1984 • 1988 • 1992 • 1994 • 1998 • 2002 • 2006 • 2010 • 2014 • 2018 • 2022
開会式で行進する日本選手団

日本は初のオリンピック参加となった。

概要

代表選手選考会は、国際オリムピック大会選手予選会という名称で1911年(明治44年)11月18日・19日に羽田運動場で開催された[1]。予選会の結果、100m・200メートル・400メートル・800メートル優勝の三島弥彦、マラソン優勝の金栗四三、マラソンで2位・3位の佐々木正清と井手伊吉[2]などが候補として残った。

参加選手は三島弥彦と金栗四三の2人、役員は嘉納治五郎と大森兵蔵の2名。これは日本のオリンピック選手団としては2019年現在最小の規模である。監督の大森兵蔵には妻の安仁子が同行した[3]。選手が2人だけになったのは、渡航費用を捻出できず、選手の自己負担になったからである。三島が残ったのは、実家が資産家というのも理由だった。実際に三島は、3500円を持参している(一方、資産の乏しい金栗は、兄(実次)に「田畑を売ってでも工面する」と激励されたが、在籍していた東京高等師範学校の仲間による寄付などで1500円をまかない、自己負担は300円で済んだ)[4]。

入場行進時のプラカード表記は「NIPPON」であった[5]。プラカードを持つ金栗四三は「日本」と漢字表記を主張して譲らず、大森兵蔵は「JAPAN」を主張し、折衷案として嘉納治五郎が提案した「NIPPON」が採用された[6]。「NIPPON」の表記はこの大会のみで、以降のオリンピックは全て「JAPAN」となっている[7]。

新橋駅の出発は1912年5月16日[8]。敦賀で下車して船でロシア・ウラジオストクに渡り、シベリア鉄道でセントピーターズバーグ(サンクトペテルブルク)まで行き、船でストックホルムに渡った[9]。ストックホルムに着いたのは6月2日、開会式の1か月ほど前であった[10]。

日本はメダル無しに終わったが、これは出場した夏季オリンピックでは唯一である[11]。

種目別選手、スタッフ名簿および成績

役員

陸上競技

男子

  • 三島弥彦(東京帝大)
    • 100m 1次予選敗退(16組5着、11秒8、自己新[13])
    • 200m 1次予選敗退(13組4着、24秒台だったとされる[14])
    • 400m 準決勝棄権(予選は4組2着[14])
  • 金栗四三(東京高師)
    • 10000m 棄権(出場せず)[15]
    • マラソン 途中棄権(ただし、棄権の意思が運営者側に届いていなかったため、行方不明扱いとされ、55年後の記念式典でゴールし、54年8ヶ月6日5時間32分20秒3とアナウンスされている[16]。)

脚注

  1. 川本 1963, pp. 14–21.
  2. マラソンは、3位までが当時の世界記録を更新する記録を残した。
  3. 長谷川 2013, p. 93.
  4. 内藤 2019, p. 51.
  5. 長谷川 2013, p. 112.
  6. 長谷川 2013, pp. 112–113.
  7. 長谷川 2013, p. 113.
  8. 長谷川 2013, pp. 92–93.
  9. 長谷川 2013, pp. 94–102.
  10. 長谷川 2013, pp. 103–112.
  11. 冬季は複数例が存在する。
  12. 長谷川 2013, p. 107.
  13. 長谷川 2013, p. 115.
  14. 長谷川 2013, p. 118.
  15. 長谷川 2013, p. 116.
  16. 熊本県和水町商工観光課・大河ドラマいだてん和水町推進協議会 、日本マラソンの父金栗四三ミュージアム、日本マラソンの父 金栗四三 (PDF) 、2019年9月12日閲覧。

参考文献

  • 日本オリンピック委員会監修『近代オリンピック100年の歩み』ベースボール・マガジン社、1994年
  • 川本信正「本会の創立」『日本体育協会五十年史』日本体育協会、1963年10月1日、13-24頁。全国書誌番号:65002514
  • 長谷川孝道『走れ二十五万キロ マラソンの父 金栗四三伝 復刻版』熊本日日新聞社・熊本陸上競技協会、2013年8月20日、347頁。
  • 内藤一成 著「三島弥彦伝」、尚友倶楽部史料調査室・内藤一成・長谷川怜 編『日本初のオリンピック代表選手 三島弥彦 ―伝記と史料―』芙蓉書房出版〈尚友ブックレット34〉、2019年1月15日、7-76頁。ISBN 978-4-8295-0752-0。

外部リンク

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