1980年モスクワオリンピックの日本選手団
1980年モスクワオリンピックの日本選手団(1980ねんモスクワオリンピックのにほんせんしゅだん)は、1980年7月19日から8月3日まで開催された1980年モスクワオリンピックの日本代表選手団。選手所属は1980年当時のもの。
| オリンピックの日本選手団 | ||||
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| 日章旗 | ||||
| IOCコード: | JPN | |||
| NOC: | 日本オリンピック委員会 公式サイト | |||
| 1980年モスクワオリンピック | ||||
| メダル 国別順位: – 位 |
金 – |
銀 – |
銅 – |
計 – |
| 夏季オリンピック日本選手団 | ||||
| 1912 • 1920 • 1924 • 1928 • 1932 • 1936 • 1948 • 1952 • 1956 • 1960 • 1964 • 1968 • 1972 • 1976 • 1980 • 1984 • 1988 • 1992 • 1996 • 2000 • 2004 • 2008 • 2012 • 2016 • 2020 • 2024 | ||||
| 冬季オリンピック日本選手団 | ||||
| 1928 • 1932 • 1936 • 1948 • 1952 • 1956 • 1960 • 1964 • 1968 • 1972 • 1976 • 1980 • 1984 • 1988 • 1992 • 1994 • 1998 • 2002 • 2006 • 2010 • 2014 • 2018 • 2022 | ||||
概要
日本オリンピック委員会 (JOC) は、1980年のモスクワオリンピックに参加するために、準備を進めてきた。しかし、開催国ソビエト連邦のアフガニスタン侵攻を受け、西側各国が不参加を表明する中、5月24日にJOCは、最終的に大会不参加を決定し、6月11日に、以下の選手・役員を承認した。
日本オリンピアンズ協会では、日本代表でありながら実際のモスクワ五輪出場選手でない彼らもオリンピアンと認めているが、世界オリンピアンズ協会からはオリンピアンと認定されていない[1]。
モスクワオリンピックの開会式における各国選手の入場行進はロシア語のアルファベット順で行われたが、「日本」のロシア語表記「Япония」は当時のIOC加盟国の中で最も後に位置する表記であり、参加していればオリンピック史上初めて日本が開催国(慣例上、開催国は最後に入場する)の1つ前に行進する予定だった[2]。しかし上記の理由で不参加となり、結局開催国ソ連の1つ前を行進したのはジャマイカ(Ямайка)だった。
競技別選手、スタッフ名簿
陸上競技
「陸上競技日本代表」も参照
バレーボール
監督:小島孝治
マネージャー:佐々木真理子
レスリング
ヨット
監督:松本富士也
コーチ:松山和興
マネージャー:山田敏雄
ウエイトリフティング
監督:桜井勝利
コーチ:大内仁
ハンドボール
監督:竹野奉昭
コーチ:東嘉伸
フェンシング
コーチ:中島寛
コーチ:秋保篤
柔道
馬術
馬術については、役員1名、選手7名の計8名がJOCから与えられた枠であったが、最終選考は行われなかった。
選手団本部役員
団長をはじめとする本部役員、スタッフ18名はJOCから発表されなかった。
脚注
- 『スポーツゴジラ』第37号(特定非営利活動法人スポーツネットワークジャパン 2017年12月18日発行)12頁。2017年10月10日開催のシンポジウムにおける加納弥生の発言の採録。
- 2014年ソチオリンピックで実現した。
参考文献
- 日本オリンピック委員会監修 『近代オリンピック100年の歩み』 ベースボール・マガジン社、1994年。
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