サンティアゴ・カニサレス

ホセ・サンティアゴ・カニサレス・ルイスJosé Santiago Cañizares Ruiz, 1969年12月18日 - )は、スペインカスティーリャ=ラ・マンチャ州シウダー・レアル県プエルトリャノ出身の元サッカー選手。現役時代のポジションはゴールキーパー

サンティアゴ・カニサレス
現役時代のカニサレス
名前
本名 ホセ・サンティアゴ・カニサレス・ルイス
José Santiago Cañizares Ruiz
愛称 サンティ
ラテン文字 Santiago CAÑIZARES
基本情報
国籍 スペインの旗 スペイン
生年月日 (1969-12-18) 1969年12月18日(54歳)
出身地 プエルトリャノ
身長 183cm
体重 79kg
選手情報
ポジション GK
利き足 右足
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1988-1989 スペインの旗 レアル・マドリードC
1989-1990 スペインの旗 レアル・マドリードB 35 (0)
1990-1992 スペインの旗 レアル・マドリード 0 (0)
1990-1991 スペインの旗 エルチェ (loan) 7 (0)
1991-1992 スペインの旗 メリダ (loan) 38 (0)
1992-1994 スペインの旗 セルタ・デ・ビーゴ 74 (0)
1994-1998 スペインの旗 レアル・マドリード 41 (0)
1998-2008 スペインの旗 バレンシア 305 (0)
通算 500 (0)
代表歴
1985-1986 スペインの旗 スペイン U-16 10 (0)
1987 スペインの旗 スペイン U-17 1 (0)
1986-1988 スペインの旗 スペイン U-18 8 (0)
1988-1989 スペインの旗 スペイン U-19 5 (0)
1989-1990 スペインの旗 スペイン U-20 6 (0)
1990-1991 スペインの旗 スペイン U-21 3 (0)
1991-1992  スペイン U-23 6 (0)
1993-2006 スペインの旗 スペイン 46 (0)
獲得メダル
男子 サッカー
オリンピック
1992 バルセロナサッカー
1. 国内リーグ戦に限る。
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クラブ経歴

レアル・マドリード

1988年にレアル・マドリードの下部組織レアル・マドリードCに入団。翌1989年にセカンドチームのレアル・マドリード・カスティージャからデビューした。しかし、フランシスコ・ブーヨが正GKを務めるトップチームでは出場機会に恵まれず、セグンダ・ディビシオン(2部)のエルチェCFCPメリダを転々とし、1992年に移籍したセルタ・デ・ビーゴでようやくプリメーラ・ディビシオン(1部)デビューを飾った。デビューシーズンの1992-93シーズンにいきなりサモラ賞(リーグ最少失点)を獲得し、在籍した2シーズンではリーグ戦2試合しか欠場しなかった。

1994年にマドリードに復帰したが、元ドイツ代表ボド・イルクナーの存在が大きく正GKの座は確保できなかった。マドリードでの最終シーズンとなった1997-98シーズンはリーグ戦26試合に出場したが、チャンピオンズリーグ決勝のユヴェントス戦ではイルクナーにスタメンを譲り歓喜の瞬間に立ち会えなかった。

バレンシアCF

1998年、引退したアンドニ・スビサレッタの後継者を探していたバレンシアCFに移籍した。初年度の1998-99シーズンはコパ・デル・レイで優勝。1999年のスーペルコパ・デ・エスパーニャではFCバルセロナを破ってタイトルを獲得した。1999-2000シーズンと2000-01シーズンには2シーズン連続でチャンピオンズリーグ決勝に上り詰めたがいずれも準優勝に終わった。2001-02シーズンと2003-04シーズンにはリーグ優勝を果たし、2003-04シーズンにはUEFAカップ優勝、2004年にはUEFAスーパーカップ優勝など、バレンシアの数多くのタイトル獲得に貢献した。また2000-01シーズン・2001-02シーズン・2003-04シーズンの3回サモラ賞を獲得した。

しかし、2004-05シーズンはチームの不調に引きずられるように低調な出来に終始。スタメンの座を失うこともあった。しかし、2005年夏に就任したキケ・サンチェス・フローレス監督のもとで復活した。

2007年に入ると新たに加入したティモ・ヒルデブラントが起用されることが多く、ベンチを温める試合が増えていた。10月31日にキケ監督は解任され、11月2日新たに就任したロナルド・クーマン監督はカニサレスの他にダビド・アルベルダミゲル・アンヘル・アングロに戦力外を言い渡した[1]。3人は練習の参加を制限され、さらにカニサレスはすでにリーグ戦で4試合に出場していたために冬の移籍期間に他クラブに移籍することもできなかった。案の定、クーマン就任以降は年を跨いで9試合勝利無しなど低迷を続け、一時は2部降格もちらつく程だった。

2008年4月21日にクーマンは解任。ボロ新監督は3人を招集メンバーに復帰させた。ヒルデブラントとフアン・ルイス・モラが負傷していたため、4月27日のCAオサスナ戦で復帰し、3-0で勝利を飾った。5月18日のアトレティコ・マドリード戦(3-1)が現役最後の試合となった。

シーズン終了後のクラブとの契約満了とともに引退を発表し、20年近くに渡った現役生活に終止符を打った。バレンシアでは公式戦400試合以上に出場した[2][3]

現役引退後は、ラリー競技のドライバーに転身、スペイン国内の大会に参加した。ラリーからも引退した後は、評論家としてメディアに出演しつつ、私生活では農場を運営している。

代表経歴

1986年にはUEFA U-16欧州選手権で優勝した。1992年には母国で開催されたバルセロナオリンピックで金メダルを獲得した。

1993年のセルタ在籍中にスペイン代表に初招集され、11月17日の1994 FIFAワールドカップ・ヨーロッパ予選デンマーク戦(1-0)でデビューした[4]

1994 FIFAワールドカップには第2GKの立場で臨み、正GKのアンドニ・スビサレッタが出場停止だった1試合に出場した。UEFA EURO '961998 FIFAワールドカップにも参加したが出場機会がなかったが、スビサレッタが引退したUEFA EURO 2000では主要大会において自己最多の3試合に出場した。

2002 FIFAワールドカップも正GKとして臨むはずだったが、大会直前にアフターシェーブローションの瓶を足に落として負傷し、出場を逃した[5]。この大会で出番を得たマドリードの後輩イケル・カシージャスがそれ以降不動の正GKとして君臨することとなり、UEFA EURO 2004では出場なしに終わったが、2006 FIFAワールドカップでは1試合に出場した。

1990年代はスビサレッタが君臨し、2000年代になるとカシージャスが一気に台頭したため代表での出場機会は少なかった。

人物

所属クラブ

スペインの旗 エルチェCF 1990-1991 (loan)
スペインの旗 CPメリダ 1991-1992 (loan)

個人成績

クラブでの出場記録

クラブ シーズン 国内リーグ 国内カップ 欧州カップ その他[6] 通算
出場得点出場得点出場得点出場得点出場得点
RマドリードB 1989-90 350??----??
通算 350??0000??
エルチェ 1990-91 70??----??
通算 70??0000??
メリダ 1991-92 380??----??
通算 380??0000??
セルタ 1992-93 360??----??
1993-94 380??----??
通算 740??0000??
Rマドリード 1994-95 100020--30
1995-96 120101010150
1996-97 2000----20
1997-98 260006020340
通算 410109030540
バレンシア 1998-99 38060100--540
1999-00 2302013020400
2000-01 37000180--550
2001-02 3201080--410
2002-03 3100013020460
2003-04 3700070--440
2004-05 290007020380
2005-06 3600050--410
2006-07 32010110--440
2007-08 1000050--150
通算 3050100970604180
通算 5000??106090??

代表での出場試合数

  • RSSSFのデータによる[7]
スペイン代表国際Aマッチ
出場得点
199310
199450
199520
199610
199700
199850
199970
200050
200160
200240
200330
200450
200500
200620
通算460

タイトル

クラブ

レアル・マドリード
バレンシアCF

代表

U-16スペイン代表
U-23スペイン代表

個人

脚注

外部リンク

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