デーブ・コンセプシオン

ダビド・イスマエル・コンセプシオン・ベニテス(David Ismael Concepción Benitez, 1948年6月17日 - )は、ベネズエラのアラグア州出身の元プロ野球選手(遊撃手)。右投右打。

デーブ・コンセプシオン
Dave Concepción
現役当時のコンセプシオン
基本情報
国籍 ベネズエラの旗 ベネズエラ
出身地 アラグア州
生年月日 (1948-06-17) 1948年6月17日(75歳)
身長
体重
6' 2" =約188 cm
155 lb =約70.3 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 遊撃手
プロ入り 1967年
初出場 1970年4月6日
最終出場 1988年9月15日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

経歴

1967年にシンシナティ・レッズに入団した。投手として入団したがすぐに内野手に転向。

1970年4月6日にメジャーデビューを果たす。
メジャー昇格当初の背番号は「50」だった。しかし、シーズン中に後に永久欠番となる「13」に変更した。

1973年にはレギュラーに定着し、オールスターゲームに初選出されるが、その2日前に発症した肘の故障で出場できず、そればかりかシーズン後半戦も棒に振った。

1974年は160試合に出場して打率.281、14本塁打、82打点、41盗塁と活躍。初のゴールドグラブ賞に選ばれ、この年からの4年連続を含めて以後通算5回同賞を受賞した。ジョー・モーガンと共に二遊間コンビの受賞を4年連続で達成したのは史上2人組目で歴代最長タイ記録である。

1975年、1976年にはチームの2年連続ワールドシリーズ優勝に貢献。 この頃のレッズは「Big Red Machine」と呼ばれたMLB史上に残る最強チームの1つで、捕手ジョニー・ベンチ、一塁手トニー・ペレス、二塁手ジョー・モーガン、三塁手ピート・ローズ、左翼手ジョージ・フォスター、中堅手シーザー・ジェロニモ、右翼手ケン・グリフィー・シニアらとともにその一員として他球団に脅威を与えた。

1982年7月13日、初めてアメリカ国外(カナダ・モントリオールのオリンピック・スタジアム)で開催されたオールスターゲームで2本塁打を打ち、MVPに選ばれた。

1986年シーズン後半には、長年務めたショートの定位置をバリー・ラーキンと配置転換されたが、代打や、内野全てを守る貴重な控え要員として活躍。ただし、遊撃手としての2222試合出場のナ・リーグ記録(ラリー・ボーワ)には44試合及ばなかった。

1988年限りで現役引退。現役はすべてレッズで全うしたフランチャイズ・プレイヤーだった。なお、その年の6月3日には大敗している試合で投手として登板。1.1イニングを投げ、2安打を許したが失点はなく、三振を1つ奪った[1]。

2006年3月の第1回WBCでベネズエラ代表のコーチを務めた。

コンセプシオンの背番号「13」。
シンシナティ・レッズの永久欠番に2007年指定。

2007年8月25日に現役時代の背番号「13」が永久欠番に指定された。その際、「13番は不吉な番号なんかではない。ラッキーナンバーだ。」と述べた。MLBの全球団の永久欠番で、「13」はコンセプシオンが現在のところ唯一である。

選手としての特徴

詳細情報

年度別打撃成績

年

度
球

団
試

合
打

席
打

数
得

点
安

打
二
塁
打
三
塁
打
本
塁
打
塁

打
打

点
盗

塁
盗
塁
死
犠

打
犠

飛
四

球
敬

遠
死

球
三

振
併
殺
打
打

率
出
塁
率
長
打
率
O
P
S
1970 CIN 101296265386963184191023223534510.260.324.317.641
1971 13035432724674418220938118205110.205.246.251.497
1972 11942137840791322102291365432826511.209.272.270.542
1973 893573283994183814246225252131557.287.327.433.760
1974 16065359470167251142368241654441067920.281.335.397.732
1975 140558507621392315179493366439425117.274.326.353.679
1976 15263657674162287923169211046491116811.281.335.401.736
1977 156630572591552638211642976646607715.271.322.369.691
1978 1536245657517033462296723103451418314.301.357.405.762
1979 1496665909116625316245841976664507318.281.348.415.763
1980 1566686227216231852247712226372110720.260.300.360.660
1981 10646842157129280517267452737116113.306.358.409.767
1982 147623572481642545212531362445406120.287.337.371.708
1983 143593528541232201148471492756908121.233.303.280.583
1984 15460053146130261417058226895250729.245.307.320.627
1985 1556205605914119271854816123450336723.252.314.330.644
1986 9034631142811323107301325426104313.260.314.344.658
1987 1043112793289150110733431328502410.319.377.384.761
1988 84216197113990048832101850234.198.265.244.509
MLB:19年 2488964087239932326389481013114950321109748673693211186266.267.322.357.679
  • 各年度の太字はリーグ最高

年度別投手成績

年

度
球

団
登

板
先

発
完

投
完

封
無
四
球
勝

利
敗

戦
セ
丨
ブ
ホ
丨
ル
ド
勝

率
打

者
投
球
回
被
安
打
被
本
塁
打
与
四
球
敬

遠
与
死
球
奪
三
振
暴

投
ボ
丨
ク
失

点
自
責
点
防
御
率
W
H
I
P
1988 CIN 100000000----61.120000100000.001.50
MLB:1年 100000000----61.120000100000.001.50

年度別守備成績

投手守備
年
度
球
団
投手(P)
試

合
刺

殺
補

殺
失

策
併

殺
守
備
率
1988 CIN 10000----
MLB 10000----
内野守備
年
度
球
団
遊撃(SS)二塁(2B)三塁(3B)一塁(1B)
試

合
刺

殺
補

殺
失

策
併

殺
守
備
率
試

合
刺

殺
補

殺
失

策
併

殺
守
備
率
試

合
刺

殺
補

殺
失

策
併

殺
守
備
率
試

合
刺

殺
補

殺
失

策
併

殺
守
備
率
外野守備
年
度
球
団
中堅(CF)
試

合
刺

殺
補

殺
失

策
併

殺
守
備
率

表彰

記録

背番号

コーチ歴

脚注

  1. “June 3, 1988 Cincinnati Reds at Los Angeles Dodgers Play by Play and Box Score” (英語). Baseball-Reference (1988年6月3日). 2016年9月17日閲覧。

関連項目

外部リンク

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