ペドロ・アルモドバル

ペドロ・アルモドバル・カバジェロ(Pedro Almodóvar Caballero、1949年9月25日 - )は、スペイン映画監督脚本家映画プロデューサー

ペドロ・アルモドバル
Pedro Almodóvar
Pedro Almodóvar
2017年
本名 Pedro Almodóvar Caballero
生年月日 (1949-09-25) 1949年9月25日(74歳)
出生地 スペインの旗 スペインシウダー・レアル県カルサーダ・デ・カラトラーバ
国籍 スペインの旗 スペイン
職業 映画監督脚本家映画プロデューサー
活動期間 1974年 -
主な作品
欲望の法則
神経衰弱ぎりぎりの女たち
アタメ
ハイヒール
キカ
ライブ・フレッシュ
オール・アバウト・マイ・マザー
トーク・トゥ・ハー
バッド・エデュケーション
ボルベール〈帰郷〉
抱擁のかけら
私が、生きる肌
ジュリエッタ
ペイン・アンド・グローリー
パラレル・マザーズ
 
受賞
アカデミー賞
脚本賞
2002年トーク・トゥ・ハー
外国語映画賞
1999年オール・アバウト・マイ・マザー
カンヌ国際映画祭
監督賞
1999年『オール・アバウト・マイ・マザー』
脚本賞
2006年ボルベール〈帰郷〉
エキュメニカル審査員賞
1999年『オール・アバウト・マイ・マザー』
ユース賞
2011年私が、生きる肌
ヴェネツィア国際映画祭
脚本賞
1988年神経衰弱ぎりぎりの女たち
栄誉金獅子賞
2019年
ベルリン国際映画祭
テディ賞
1987年欲望の法則
ヨーロッパ映画賞
監督賞
2002年『トーク・トゥ・ハー』
2006年『ボルベール〈帰郷〉』
脚本賞
2002年『トーク・トゥ・ハー』
新人監督賞
1988年『神経衰弱ぎりぎりの女たち』
世界的貢献賞
2013年
全米映画批評家協会賞
特別賞
1988年『神経衰弱ぎりぎりの女たち』『マタドール 炎のレクイエム
ニューヨーク映画批評家協会賞
外国語映画賞
1988年『神経衰弱ぎりぎりの女たち』
1999年『オール・アバウト・マイ・マザー』
2004年バッド・エデュケーション
ロサンゼルス映画批評家協会賞
監督賞
2002年『トーク・トゥ・ハー』
外国語映画賞
1999年『オール・アバウト・マイ・マザー』
2019年ペイン・アンド・グローリー
ニュー・ジェネレーション賞
1987年『欲望の法則』
放送映画批評家協会賞
外国語映画賞
1999年『オール・アバウト・マイ・マザー』
2009年抱擁のかけら
アリエル賞
イベロアメリカ映画賞
2019年『ペイン・アンド・グローリー』
英国アカデミー賞
監督賞
1999年『オール・アバウト・マイ・マザー』
オリジナル脚本賞
2002年『トーク・トゥ・ハー』
非英語作品賞
2000年『オール・アバウト・マイ・マザー』
2002年『トーク・トゥ・ハー』
2011年『私が、生きる肌』
ゴールデングローブ賞
外国語映画賞
1999年『オール・アバウト・マイ・マザー』
2002年『トーク・トゥ・ハー』
ゴヤ賞
監督賞
1999年『オール・アバウト・マイ・マザー』
2006年『ボルベール〈帰郷〉』
2019年『ペイン・アンド・グローリー』
脚本賞
1988年『神経衰弱ぎりぎりの女たち』
2019年『ペイン・アンド・グローリー』
セザール賞
外国映画賞
1992年『ハイヒール
1999年『オール・アバウト・マイ・マザー』
EU(欧州連合)作品賞
2002年『トーク・トゥ・ハー』
名誉賞
1999年
その他の賞
ナショナル・ボード・オブ・レビュー賞
外国語映画賞
1988年『神経衰弱ぎりぎりの女』
1999年『オール・アバウト・マイ・マザー』
2002年『トーク・トゥー・ハー』
2006年『ボルベール 〈帰郷〉』
備考
第70回カンヌ国際映画祭 審査委員長(2017年)

生い立ち

シウダー・レアル県カルサーダ・デ・カラトラーバで4人兄弟のひとりとして出生。父は字がほとんど読めず、ラバでワイン樽を運搬する仕事で一生のほとんどを過ごしたため、アルモドバルは母に依頼された地元の非常勤講師から読み書きを教わった。8歳のとき、両親から司祭になることを期待され、スペイン西部の町カセレスの寄宿学校に送られた。カセレスでは学校の近くにカルサーダにはなかった映画館があり、ここで初めて映画に触れた。後に「私が映画館から学んだものは、司祭から受けたものよりもはるかに真の教育となった」と述べている。神学校での性的虐待を描いた『バッド・エデュケーション』は、少年時代のアルモドバル自身の体験を基にした半自伝的映画である。

アルモドバルは両親の希望に反して映画監督になる夢を抱き、1967年にマドリードに移ったが、フランシスコ・フランコ・バーモンデ独裁政権によって国立映画学校が閉鎖されてしまった。路頭に迷った彼はフリーマーケットの売買で食いつなぐなどさまざまな仕事をした後、国営電話会社の職を得て12年間勤務した。ここでは午後3時に仕事が終わっていたため、アルモドバルは残りの時間を目標に費やすことができた。

スペインがフランコ政権から民主化へ移行するなかで起こった反権威的な音楽・絵画・映像などの芸術活動に加わった。パンクバンドに属していたこともある。反体制派の雑誌に漫画を寄稿したり、実験的な演劇集団と交流するうち、カルメン・マウラと出会った。

キャリア

22歳のとき8mmカメラを購入し、1974年最初の短編映画を撮った。資金難に苦しみながらもカルメン・マウラらの助けを借りて1980年に自主制作した初の長編映画『ペピ、ルシ、ボンとその他大勢の娘たち』は、4年にわたって深夜上映が続くほどのカルト的人気を博し、予算の7倍の興行収入を叩き出した。

以後ほぼ1年に1本のペースで矢継ぎ早に作品を発表。初期から中期はその独特なストーリーと世界観、強烈な色彩感覚などから国内外で熱狂的なファンを獲得。7本目の『神経衰弱ぎりぎりの女たち』でヴェネツィア国際映画祭脚本賞を受賞、アカデミー外国語映画賞にノミネートされるなど、世界に名を知られる存在となった。

中期の『ハイヒール』(1991年)あたりから作風に円熟味が増し、続く『キカ』(1993年)はセンセーショナルを巻き起こし、新たな作風を獲得していった。息子を失った母親を描いた『オール・アバウト・マイ・マザー』(1999年)でアカデミー外国語映画賞をはじめ多数の賞を受賞。これ以降作品を出すたびに世界の映画賞にノミネートされるようになった。続く『トーク・トゥ・ハー』で、非英語映画としては『男と女』(1966年)以来となるアカデミー脚本賞を受賞するなど、スペインを代表する映画監督の一人となった。

『オール・アバウト・マイ・マザー』『トーク・トゥ・ハー』に続く「女性賛歌三部作」の3作目として製作され、第59回カンヌ国際映画祭コンペティション部門に出品された『ボルベール〈帰郷〉』(2006年)は、脚本賞と主演女優賞(ペネロペ・クルスカルメン・マウラロラ・ドゥエニャス、ブランカ・ポルティージョ、ヨハナ・コボ、チュス・ランプレヴら6名全員に対して)を獲得した。

2001年にアメリカ芸術科学アカデミーの外国名誉会員に選出され、2009年には映画芸術への貢献に対してハーバード大学から名誉博士号を授与された。

2017年、第70回カンヌ国際映画祭の審査委員長を務める事が発表された[1]

特徴

メロドラマやポップカルチャーのスタイルを利用しながら、複雑な脚本やブラック・ユーモア、光沢のある色彩を使用する。人間の欲望や情熱、同性愛、家族や個人のアイデンティティといった問題をテーマにすることが多い。

女優はカルメン・マウラビクトリア・アブリルペネロペ・クルス、男優はアントニオ・バンデラスを起用することが多い。

同性愛者であることを公言している。

作品

映画

公開年邦題
原題(英題)
役職備考
1980ペピ、ルシ、ボンとその他大勢の娘たち
Pepi, Luci, Bom y otras chicas del montón (Pepi, Luci, Bom and Other Girls Like Mom)
監督・脚本日本未公開・DVD未発売
1982セクシリア
Laberinto de pasiones (Labyrinth of Passion)
監督・脚本
1983バチ当たり修道院の最期
Entre tinieblas (Dark Habits)
監督・脚本
1984グロリアの憂鬱
¿Qué he hecho yo para merecer esto? (What Have I Done to Deserve This?)
監督・脚本
1986マタドール〈闘牛士〉 炎のレクイエム
Matador (Matador)
監督・脚本
1987欲望の法則
La Ley del deseo (Law of Desire)
監督・脚本
1988神経衰弱ぎりぎりの女たち
Mujeres al borde de un ataque de nervios (Women on the Verge of a Nervous Breakdown)
監督・脚本
1990アタメ
¡Átame! (Tie Me Up! Tie Me Down!)
監督・脚本
1991ハイヒール
Tacones lejanos (High Hells)
監督・脚本
1993キカ
Kika
監督・脚本
1995私の秘密の花
La flor de mi secreto (The Flower of My Secret)
監督・脚本
1997ライブ・フレッシュ
Carne trémula (Live Flesh)
監督・脚本
1999オール・アバウト・マイ・マザー
Todo sobre mi madre (All About My Mother)
監督・脚本
2002トーク・トゥ・ハー
Hable con ella (Talk to Her)
監督・脚本
2004バッド・エデュケーション
La mala educación (Bad Education)
監督・脚本
2006ボルベール〈帰郷〉
Volver
監督・脚本
2009抱擁のかけら
Los abrazos rotos (Broken Embraces)
監督・脚本
2011私が、生きる肌
La piel que habito (The Skin I Live In)
監督・脚本
2013アイム・ソー・エキサイテッド!
Los amantes pasajeros (I'm So Excited)
監督・脚本
2014人生スイッチ
Relatos salvajes (Wild Tales)
製作
2016ジュリエッタ[2]
Julieta
監督・脚本
2019ペイン・アンド・グローリー
Dolor y gloria
監督・脚本
2020ヒューマン・ボイス
The Human Voice
監督・脚本短編映画
2021パラレル・マザーズ
Madres paralelas (Parallel Mothers)
監督・脚本
2023ストレンジ・ウェイ・オブ・ライフ
Extraña forma de vida
監督・脚本短編映画

受賞歴

部門作品結果
ベルリン国際映画祭 1987年テディ賞欲望の法則受賞
ロサンゼルス映画批評家協会賞 1987年ニュー・ジェネレーション賞『欲望の法則』受賞
1999年外国語映画賞オール・アバウト・マイ・マザー受賞
2002年監督賞トーク・トゥ・ハー受賞
外国語映画賞次点
2006年外国語映画賞ボルベール〈帰郷〉次点
2019年外国語映画賞ペイン・アンド・グローリー受賞
フォトグラマス・デ・プラータ 1987年作品賞『欲望の法則』受賞
1990年作品賞アタメ受賞
2006年作品賞『ボルベール〈帰郷〉』受賞
アカデミー賞 1988年外国語映画賞神経衰弱ぎりぎりの女たちノミネート
1999年外国語映画賞『オール・アバウト・マイ・マザー』受賞
2002年監督賞『トーク・トゥ・ハー』ノミネート
脚本賞受賞
2019年国際長編映画賞『ペイン・アンド・グローリー』ノミネート
ヴェネツィア国際映画祭 1988年脚本賞『神経衰弱ぎりぎりの女たち』受賞
ゴールデングローブ賞 1988年外国語映画賞『神経衰弱ぎりぎりの女たち』ノミネート
1991年外国語映画賞ガイヒールノミネート
1999年外国語映画賞『オール・アバウト・マイ・マザー』受賞
2002年外国語映画賞『トーク・トゥ・ハー』受賞
2006年外国語映画賞『ボルベール〈帰郷〉』ノミネート
2009年外国語映画賞抱擁のかけらノミネート
2011年外国語映画賞私が、生きる肌ノミネート
2019年外国語映画賞『ペイン・アンド・グローリー』ノミネート
英国アカデミー賞 1988年非英語作品賞『神経衰弱ぎりぎりの女たち』ノミネート
1998年外国語作品賞ライブ・フレッシュノミネート
1999年監督賞『オール・アバウト・マイ・マザー』受賞
外国語作品賞受賞
オリジナル脚本賞ノミネート
2002年外国語作品賞『トーク・トゥ・ハー』ノミネート
オリジナル脚本賞受賞
2004年外国語作品賞バッド・エデュケーションノミネート
2006年外国語作品賞『ボルベール〈帰郷〉』ノミネート
2009年外国語作品賞『抱擁のかけら』ノミネート
2011年外国語作品賞『私が、生きる肌』受賞
2016年外国語作品賞ジュリエッタノミネート
2019年外国語作品賞『ペイン・アンド・グローリー』ノミネート
全米映画批評家協会賞 1988年特別賞『神経衰弱ぎりぎりの女たち』
『マタドール 炎のレクイエム』
受賞
1999年外国語映画賞『オール・アバウト・マイ・マザー』3位
2002年作品賞『トーク・トゥ・ハー』3位
監督賞2位
外国語映画賞2位
2021年脚本賞『Parallel Mothers』2位
ニューヨーク映画批評家協会賞 1988年外国語映画賞『神経衰弱ぎりぎりの女たち』受賞
1999年外国語映画賞『オール・アバウト・マイ・マザー』受賞
2002年作品賞『トーク・トゥ・ハー』次点
監督賞次点
外国語映画賞次点
2004年外国語映画賞『バッド・エデュケーション』受賞
2006年外国語映画賞『ボルベール〈帰郷〉』次点
2009年外国語映画賞『抱擁のかけら』2位
ボストン映画批評家協会賞 1999年外国語映画賞『オール・アバウト・マイ・マザー』受賞
ナショナル・ボード・オブ・レビュー賞 1988年外国語映画賞『神経衰弱ぎりぎりの女たち』受賞
1999年外国語映画賞『オール・アバウト・マイ・マザー』受賞
2002年外国語映画賞『トーク・トゥ・ハー』受賞
2006年外国語映画賞『ボルベール〈帰郷〉』受賞
ヨーロッパ映画賞 1988年新人監督賞『神経衰弱ぎりぎりの女たち』受賞
1998年作品賞『ライブ・フレッシュ』ノミネート
1999年作品賞『オール・アバウト・マイ・マザー』受賞
2002年作品賞『トーク・トゥ・ハー』受賞
監督賞受賞
脚本賞受賞
2004年作品賞『バッド・エデュケーション』ノミネート
監督賞ノミネート
2006年作品賞『ボルベール〈帰郷〉』ノミネート
監督賞受賞
脚本賞ノミネート
2009年監督賞『抱擁のかけら』ノミネート
2013年世界的貢献賞-受賞
2016年作品賞『ジュリエッタ』ノミネート
監督賞ノミネート
2019年作品賞『ペイン・アンド・グローリー』ノミネート
監督賞ノミネート
脚本賞ノミネート
ゴヤ賞 1988年作品賞『神経衰弱ぎりぎりの女たち』受賞
監督賞ノミネート
脚本賞受賞
1990年作品賞『アタメ』ノミネート
監督賞ノミネート
1995年監督賞私の秘密の花ノミネート
1999年作品賞『オール・アバウト・マイ・マザー』受賞
監督賞受賞
2002年作品賞『トーク・トゥ・ハー』ノミネート
監督賞ノミネート
2004年作品賞『バッド・エデュケーション』ノミネート
監督賞ノミネート
2006年作品賞『ボルベール〈帰郷〉』受賞
監督賞受賞
2011年作品賞『私が、生きる肌』ノミネート
監督賞ノミネート
2016年作品賞『ジュリエッタ』ノミネート
監督賞ノミネート
2019年作品賞『ペイン・アンド・グローリー』受賞
監督賞受賞
脚本賞受賞
ダヴィッド・ディ・ドナテッロ賞 1989年外国監督賞『神経衰弱ぎりぎりの女たち』受賞
2000年外国映画賞『オール・アバウト・マイ・マザー』受賞
ナストロ・ダルジェント賞 1989年外国監督賞『神経衰弱ぎりぎりの女たち』受賞
1998年外国監督賞『ライブ・フレッシュ』受賞
2005年外国監督賞『バッド・エデュケーション』受賞
2007年ヨーロッパ映画賞『ボルベール〈帰郷〉』受賞
セザール賞 1991年外国映画賞『アタメ』ノミネート
1993年外国映画賞『ハイヒール』受賞
1999年名誉賞-受賞
2000年外国映画賞『オール・アバウト・マイ・マザー』受賞
2003年EU作品賞『トーク・トゥ・ハー』受賞
2007年外国映画賞『ボルベール〈帰郷〉』ノミネート
カンヌ国際映画祭 1999年監督賞『オール・アバウト・マイ・マザー』受賞
エキュメニカル審査員賞受賞
2006年脚本賞『ボルベール〈帰郷〉』受賞
放送映画批評家協会賞 1999年外国語映画賞『オール・アバウト・マイ・マザー』受賞
2009年外国語映画賞『抱擁のかけら』受賞
シカゴ映画批評家協会賞 1999年外国語映画賞『オール・アバウト・マイ・マザー』受賞
ロンドン映画批評家協会賞 1999年外国語映画賞『オール・アバウト・マイ・マザー』受賞
2006年外国語映画賞『ボルベール〈帰郷〉』受賞
国際映画批評家連盟賞 1999年グランプリ『オール・アバウト・マイ・マザー』受賞
2006年グランプリ『ボルベール〈帰郷〉』受賞
ゴールデン・ビートル賞 1999年外国映画賞『オール・アバウト・マイ・マザー』受賞
ボディル賞 2000年非アメリカ映画賞『オール・アバウト・マイ・マザー』受賞
2003年非アメリカ映画賞『トーク・トゥ・ハー』受賞
フランス映画批評家協会賞 2002年外国語映画賞『トーク・トゥ・ハー』受賞
2006年外国語映画賞『ボルベール〈帰郷〉』受賞
スペイン映画批評家協会賞 2006年作品賞『ボルベール〈帰郷〉』受賞
監督賞受賞
2019年作品賞『ペイン・アンド・グローリー』受賞
監督賞受賞
オリジナル脚本賞受賞

書籍

  • 『ペドロ・アルモドバル 愛と欲望のマタドール』 フレデリック・ストロース編、石原陽一郎訳
「映画作家が自身を語る」フィルムアート社、2007年11月。ISBN 4-8459-0712-7

脚注

外部リンク

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