ロマン・マース
経歴
1933年にプロのロードレース選手となり、1935年のツール・ド・フランスにおいて、全区間マイヨ・ジョーヌを保持して総合優勝を果たした(区間3勝)。
主要レースにおける勝利はこれだけだが、一方で、「大魚を逸したケース」もいくつかある。1936年のパリ〜ルーベでは、体勢的には有利のように思われたが、審判がジョルジュ・スペシェに勝利の判定を下した。また1938年のパリ〜ブリュッセルでは、ゴールまで残り約500m付近において、後続に100mほどの差をつけていたが、競技場に入ってから周回数を間違え、結果、マルセル・キントに優勝をさらわれてしまった。
また1939年のツール・ド・フランスでは、第2ステージA終了後にマイヨ・ジョーヌを着用するなど好調だったが、第8ステージ途中でクラッシュに遭いリタイアを余儀なくされてしまった。
外部リンク
- ロマン・マース - サイクリングアーカイヴス(英語)
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