久里浜
久里浜(くりはま)は、神奈川県横須賀市東部の地名。黒船来航の地である浦賀に岬を隔てて隣接し、ペリー艦隊の一行が上陸した場所として知られる。
| 久里浜地区 くりはま | |
|---|---|
| 国 |
|
| 地方 | 関東地方 |
| 都道府県 | 神奈川県 |
| 自治体 | 横須賀市 |
| 面積 |
10.424km² |
| 世帯数 |
23,936世帯 |
| 総人口 |
51,362人 |
| 人口密度 |
4,927.28人/km² |
| 横須賀市役所久里浜行政センター | |
| 北緯35度13分35.8秒 東経139度42分21.6秒 | |
| 所在地 |
〒239-0831 神奈川県横須賀市久里浜6-14-2 |
![]() 久里浜地区 | |

この項目では横須賀市久里浜行政センター管轄内(岩戸、内川、内川新田、久比里、久村、久里浜、久里浜台、佐原、神明町、長瀬、ハイランド、舟倉、若宮台の13地区)にほぼ相当する地域の諸元および歴史について説明する。
概要
久里浜は横須賀市の南東部に位置する地域である。平作川沿いに平地が広がり、丘陵がその平地を囲むように立地する。東部には平作川が注ぐ久里浜港(浦賀水道)が立地している。
平地部は交通の便が比較的に良いため、人家や商業施設が多い。特に京急久里浜駅周辺にはアーケード付きの商店街や大型ショッピングモールが立地しており栄えている。丘陵部には住宅地が広がるが、一部は公園(くりはま花の国)が造成され、自然が保持されている。沿岸部は港湾、工業地域として開発されており、東南部にはJERA横須賀火力発電所が立地する。港の中央部には人工砂浜が造成され、公園として利用されている。
面積・人口
下表は2014年10月1日時点での情報である。
| 面積 [* 1] | 人口 [* 2] | 人口密度 [* 3] | 郵便番号 | |
|---|---|---|---|---|
| 久里浜台 | 0.165 | 1,841 | 11,158 | 239-0827 |
| 長瀬 | 0.656 | 2,343 | 3,572 | 239-0826 |
| 久比里 | 0.610 | 3,745 | 6,139 | 239-0828 |
| 若宮台 | 0.193 | 2,234 | 11,575 | 239-0829 |
| 舟倉 | 0.447 | 3,277 | 7,331 | 239-0805 |
| 内川 | 0.439 | 115 | 262 | 239-0836 |
| 内川新田 | 0.010 | 308 | 30,800 | 239-0837 |
| 佐原 | 1.814 | 6,088 | 3,356 | 239-0835 |
| 岩戸 | 0.979 | 7,602 | 7,765 | 239-0844 |
| 久村 | 0.396 | 1,684 | 4,253 | 239-0834 |
| 久里浜 | 2.576 | 15,552 | 6,037 | 239-0831 |
| 神明町 | 1.058 | 103 | 97 | 239-0832 |
| ハイランド | 1.071 | 9,897 | 9,241 | 239-0833 |
| 計 | 10.414 | 54,789 |
- 注釈
- 単位はkm2 住民基本台帳登載人口 (b) 町丁目別人口 - 横須賀市
- 単位は人
- 単位は人/km2
歴史
江戸時代
平作川の河口に位置する久里浜は、もともと川と海が混在する湿地であまり人も住まない地であったが、1660年(万治3年)に砂村新左衛門が8年間かけ新田(内川新田)を開発した。難工事だったらしく、地元には人柱伝説も残っている。しかし、工事のおかげで飛躍的に石高が上昇したという。怒田城跡から浦賀へ向かう丘陵地帯を御林(おんばやし)といい、浦賀奉行を支配した江戸幕府の御用林で、江戸大火災時の復興に利用された。
嘉永6年(1853年)6月3日、浦賀に位置する浦賀奉行が協議の結果、来航したペリー艦隊の陸戦隊300人と交渉し、この地でアメリカ側の親書を受け取った。当時の久里浜はただの漁村だったというが、岬を隔てて浦賀に隣接し、大人数が集結するに適した浜があったため上陸の地に選ばれた。
明治 - 敗戦
維新後は帝都防衛の要として、横須賀の他の地域同様軍事施設が多く作られた。1889年(明治22年)、町村制の施行により三浦郡久里浜村が成立した。1937年(昭和12年)に久里浜村は横須賀市に編入された。
1938年(昭和13年)に現在の久里浜駐屯地の前身にあたる海軍通信学校が開校した。1942年(昭和17年)に東京急行電鉄(大東急)により、久里浜駅(現在の京急久里浜駅)が開業する[注釈 1]。2年後の1944年(昭和19年)には、軍事目的で建設された横須賀線久里浜駅が開業する。また首都から近く、多数の兵員の上陸が可能な浜であることから、本土決戦での両軍の米軍上陸想定地点となった。
戦後・現在
敗戦後、旧日本軍施設は米軍に接収されたのち返還され、法務省、国土交通省、自衛隊などの施設・研究所、文教施設、工業団地などに生まれ変わった。埋め立て地には、3本煙突がランドマークとなっている横須賀火力発電所が立地し、東京湾フェリーの就航によって房総半島への玄関口としての役割も担うようになった。
残っていた田畑は姿を消し、平野だけでなく丘陵部にも宅地開発が進んだ(湘南ハイランドなど)。京浜地域のベッドタウン化が進んだ結果、人口は急激に増加し各種インフラも整えられた。ただ、平成期に入ってからは人口は頭打ちか微減傾向にある。
現在は観光開発も行われており、くりはま花の国やペリー公園には多くの観光客が訪れている。主な地域イベントとして、毎年7月開催の「久里浜ペリー祭」(花火大会・パレードなど)がある。
久里浜にある施設
教育
交通

郊外型店舗・スーパーマーケットチェーン



公的機関
- 防衛装備庁艦艇装備研究所久里浜地区
- 陸上自衛隊久里浜駐屯地
- 国土交通省国土技術政策総合研究所横須賀庁舎
- 独立行政法人港湾空港技術研究所
- 国立病院機構久里浜医療センター(アルコール使用障害治療施設)
- 独立行政法人国立特別支援教育総合研究所
- 横浜刑務所横須賀刑務支所
- 久里浜少年院
- 市営久里浜公園水泳プール
寺院
- 八幡神社
- 住吉神社
- 久里浜天神社
- 若宮神社
- 伝福寺
- 慈眼院
- 長安寺
- 正業寺
- 法善寺
- 宗円寺
- 等覚寺
- 妙寿教会
- 久里浜福音教会
主要産業施設
- グローバル・ニュークリア・フュエル・ジャパン
- 日清オイリオグループ研究所
- JVCケンウッド久里浜技術センター
- 東京電力横須賀火力発電所
- 久里浜工業団地(比較的小規模な工場が平作川沿いに連なる)
- 久里浜テクノパーク
- 京浜急行電鉄車両管理区
- 京急ファインテック久里浜事業所
久里浜を舞台にした作品
脚注
注釈
- この工事により古墳の一部が破壊された。
出典
- “オープンデータライブラリ - 人口情報 - 住民基本台帳登載人口(町丁目別)” (XLSX). 横須賀市 (2023年4月27日). 2023年8月28日閲覧。 “(ファイル元のページ)”(CC-BY-4.0)
参照方法
- 『横須賀市 (都市地図 - 神奈川県) 』昭文社 5版 (2011/01) ISBN 4398914234
- よこすか 横須賀市教育委員会公式サイト(2011年10月15日閲覧)

