北母子里駅
北母子里駅(きたもしりえき)は、北海道(空知支庁)雨竜郡幌加内町字母子里にあった北海道旅客鉄道(JR北海道)深名線の駅(廃駅)である。事務管理コードは▲121414[1]。
| 北母子里駅 | |
|---|---|
![]() 北母子里駅(1994年8月31日) | |
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きたもしり Kita-Moshiri | |
| 所在地 | 北海道雨竜郡幌加内町字母子里 |
| 所属事業者 | 北海道旅客鉄道(JR北海道) |
| 所属路線 | 深名線 |
| キロ程 | 99.0 km(深川起点) |
| 電報略号 | キモ |
| 駅構造 | 地上駅 |
| ホーム | 1面1線(廃止時) |
| 開業年月日 | 1941年(昭和16年)10月10日 |
| 廃止年月日 | 1995年(平成7年)9月4日 |
| 備考 | 深名線廃線に伴い廃駅 |

歴史
駅構造
廃止時点で、島式ホーム(片面使用)1面1線を有する地上駅であった。ホームは線路の北側(名寄方面に向かって左手側、旧上り線)に存在した[10]。そのほか深川方から駅舎側に分岐し駅舎東側の旧貨物ホームへの行き止まりの側線を1線有していた[10]。かつては島式ホーム1面2線を有する列車交換可能な交換駅で、駅舎側(北側)が下り線、外側(南側)が上り線となっていた[11]。使われなくなった駅舎側の1線(下り線)は、交換設備運用廃止後は撤去されたが、ホーム前後の線路は分岐器の名残で湾曲していた[10]。
無人駅となっていたが、有人駅時代の駅舎が残っていた。駅舎は構内の北側に位置し構内踏切で側線及び旧下り線跡を渡りホーム西側とを結ぶ通路で連絡した[10]。当駅所在地は1978年(昭和53年)2月に氷点下41.2度という戦後の公式日本最低気温を記録したことで有名であり、真冬は氷点下30度以下になることも多かったが、当駅設置の温度計は氷点下30度までしか計測出来ない物であった[11]。その後同年3月に国鉄総裁の高木文雄が当駅を訪れた際にその話を聞き、後日氷点下60度まで計れる寒暖計を特注して当駅と朱鞠内駅に贈呈している[12]。当駅待合室に駅ノートがあり、耐寒体験に訪れた人々の思い出が記されていたとのことである[10]。
駅周辺
駅跡
廃駅後しばらく駅舎が残っていたが1998年(平成10年)に解体され[14]、跡地はNTTの携帯電話中継の基地局となった[15]。また、プラットホームは2000年(平成12年)時点では残存している[15]。2011年(平成23年)時点でも同様で、ルポルタージュによると生い茂る雑草に埋もれていたという[14]。
脚注
注釈
- 植民地の運営管理の他、盗伐を監視するための事務所。実際、他の植民地では業者と組んで大規模な盗伐が行われた事件例がある(演習林60年の歩み)。
出典
- 日本国有鉄道営業局総務課 編『停車場一覧 昭和41年3月現在』日本国有鉄道、1966年、224頁。doi:10.11501/1873236。2022年12月10日閲覧。
- 『北海道 駅名の起源』(第1版)日本国有鉄道北海道総局、札幌市、1973年3月25日、115頁。ASIN B000J9RBUY。
- 大蔵省印刷局(編)「鉄道省告示 第204号」『官報』第4425号、国立国会図書館デジタルコレクション、1941年10月6日。
- 『停車場変遷大事典 国鉄・JR編 II』、848頁、1998年JTB発行。
- “「通報」●函館本線江部乙駅ほか49駅の駅員無配置について(旅客局)”. 鉄道公報 (日本国有鉄道総裁室文書課): p. 1. (1984年11月9日)
- 当時、川中島があったためとされる。このほか、幌加内町史では「国(部落)ある沢」の意としているが、通常村には「コタン(kotan)」を使うことが一般的である。
- “アイヌ語地名リスト モク~リ P131-140”. アイヌ語地名リスト. 北海道 環境生活部 アイヌ政策推進室 (2007年). 2017年10月19日閲覧。
- 『北海道大学 演習林60年の歩み』1963年3月発行、P109。
- 新幌加内町史 P219。
- 書籍『JR・私鉄全線各駅停車1 北海道630駅』(小学館、1993年6月発行)77ページより。
- 書籍『国鉄全線各駅停車1 北海道690駅』(小学館、1983年7月発行)206ページより。
- 新幌加内町史 2008年3月発行、 P589。
- 書籍『北海道道路地図 改訂版』(地勢堂、1980年3月発行)15ページより。
- 書籍『北海道の鉄道廃線跡』(著:本久公洋、北海道新聞社、2011年9月発行) p.180
- 書籍『鉄道廃線跡を歩くVII』(JTBパブリッシング、2000年1月発行) p.36-37
