大丸

大丸(だいまる、DAIMARU)は、J.フロント リテイリンググループの大丸松坂屋百貨店が運営する日本の百貨店である。

株式会社大丸
The Daimaru, Inc.
大丸心斎橋店本館
種類 株式会社
市場情報
東証1部 8234
1951年11月22日 - 2007年8月28日
大証1部(廃止) 8234
1949年5月16日 - 2007年8月28日
本社所在地 日本の旗 日本
542-8551
大阪府大阪市中央区南船場四丁目4番10号
本店所在地 542-8501
大阪府大阪市中央区心斎橋筋一丁目7番1号
設立 1920年大正9年)4月16日
(株式会社大丸呉服店)
業種 小売業
事業内容 百貨店事業
資本金 202億8304万4920円
売上高 4,670億円
(2009年2月期中間予想・単独)
総資産 2,839億200万円
(2009年2月期中間・単独)
従業員数 3,292人
(2007年8月31日現在・単独)
決算期 2月末日
主要株主 J.フロント リテイリング 100%
主要子会社 博多大丸高知大丸下関大丸(2020年3月直営店化)、ピーコックストア
関係する人物 下村彦右衛門正啓
里見純吉
北沢敬二郎
井狩彌治郎
下村正太郎
外部リンク https://www.daimaru.co.jp/
特記事項:1717年創業。2010年3月1日に株式会社松坂屋と合併し、株式会社大丸松坂屋百貨店となり解散。

また、株式会社大丸: The Daimaru, Inc.)は、2010年2月28日までこれを運営していた企業である。

概要

歌川広重『名所江戸百景』より「大伝馬町呉服店」。店の前を棟梁送りが行く。

京都発祥の老舗百貨店で呉服店を起源とする。大阪心斎橋梅田)・京都神戸東京札幌に主力店舗を構えており、心斎橋店が本店にあたる。売上高1000億円を超える店舗は存在しないが、主力店舗はどれも比較的高い売上を誇り、この6店舗だけで単体の91%の売り上げを占めている。特に本店の心斎橋店と、神戸店は高級百貨店として関西において高いブランド力を誇る。大手百貨店では唯一、京阪神を網羅している。

1717年享保2年)に下村彦右衛門正啓が現在の京都市伏見区京町北8丁目77に呉服店「大文字屋」を開業し、呉服商を出発点として両替商を兼営していた。1726年大坂心斎橋筋に進出。1728年に名古屋本町に名古屋店を開き「大丸屋」と称した(のち閉鎖)。幕末には髙島屋に対抗して幕府側についた。

1908年11月、個人商店「大丸呉服店」を株式合資会社に転換。その際に下村家当主であった第11代下村正太郎早稲田大学商科出身だった縁から、銀行家杉山義雄を専務理事として迎え入れ改革に乗り出した。杉山は専務理事就任時に資本金50万円のうち3万円を出資し、従業員や別家が20万円を出資していた[注釈 1]が、約40軒の別家は旧態依然としていたところに杉山が急激な改革を実施。これが古手の店員や別家の反感を買い、さらに不況と重なったことから杉山は退任に追い込まれる。

その後、1910年に東京信託会社の岩崎一が改革案を作成し、ついで大隈重信の斡旋により、日本生命社長の片岡直温が改革に乗り出す。同年秋には東京・名古屋の両店を閉店する一方で、京都・大阪・神戸店を拡張して再建に乗り出した。下村家も秘蔵の書画骨董を売却して約30万円を調達して資力を増強、1911年1月22日に別宅会を解散して積立金を割り戻す決定をした。1914年には大阪店が不渡り手形を出して京阪2店が休業するなど、呉服店から百貨店への転換過程では問題が続発したが、幾度もの困難を乗り越え、1928年大丸と改称して近代化に成功した。

高度成長期三越(現:三越伊勢丹ホールディングス、同社傘下の三越伊勢丹ほか)と並び「西横綱」と呼ばれた。しかし、梅田店出店に関する三菱銀行からの借入金など1000億円もの有利子負債を抱え、経営が一時悪化した。1990年ごろには梅田店や東京店の黒字転換が実現し、神戸店の周辺開発を進めたものの、バブル崩壊後に再度業績は低迷。奥田務が社長就任後、他の百貨店よりも一足早く1998年より事業構造改革に乗り出し、国内不採算店舗の閉鎖や海外店舗の全面撤退、人員削減に取り組んだ。一方で2003年には札幌店を開店し軌道に乗せている。結果として改革は成功し、収益力を業界首位級に押し上げた。

なお店名の呼称については、通常「〜てん」と案内されるが、近畿圏の各店舗に関しては以前から「〜みせ」と案内されるのが通例である[1]。直営店では、札幌店・東京店は「〜てん」、心斎橋店・京都店・神戸店・梅田店が「〜みせ」と呼ばれている。近畿圏でも同業他店舗は公式には「〜てん」を使っているところがほとんどで、「〜みせ」の呼称は珍しい。ただし阪急百貨店本店・メンズ館・食品館を除いてすべて「〜阪急」の呼び方に統一しているほか、髙島屋では一部社員が非公式ながら「〜みせ」を使っている[1]

名物は、入りカステラ饅頭に「大」の焼印が押された「大丸饅頭」であった。元々は神戸店で販売していたが、1995年阪神・淡路大震災で製造機械が壊れて販売中止となった。その後、震災後10年を記念して2005年に1週間だけ再現された。大丸梅田店[注釈 2]のほか、博多大丸福岡天神店でも販売していたが、2022年に梅田店でも販売を終えた。

2007年9月3日、東海地方を拠点とする松坂屋との経営統合を発表。共同持株会社「J.フロント リテイリング株式会社」(JFR)を設立した。2010年3月1日に松坂屋を存続会社とする合併を行い「株式会社大丸松坂屋百貨店」が発足した。これに伴い法人としての株式会社大丸は解散している。

沿革

浪花百景』より「松屋呉服店」。大阪店の屋号が「松屋」なのは、つぶれかけていた名跡を譲り受けての開店だったため。
  • 1717年享保2年) - 下村彦右衛門正啓、京都伏見の生家に古着商「大文字屋」開業(大丸創業)。
  • 1726年(享保11年) - 大坂木挽町北之丁に大坂店(おおさかだな)「松屋」を開店、現金正札販売を始める(現:心斎橋店所在地)。
  • 1728年(享保13年) - 名古屋本町四丁目に名古屋店(なごやだな)を開店、初めて「大丸屋」を称する。
  • 1736年元文元年) - 京都・東洞院船屋町に大丸総本店「大文字屋」開店。経営理念を「先義後利」と定める。
  • 1743年寛保3年) - 江戸日本橋大伝馬町三丁目に江戸店(えどだな)開店。
  • 1748年 (寛延元年) 5月15日 - 創業者の下村彦右衛門正啓が逝去。
  • 1895年 (明治28年) 10月15日 - 3日間大売出し。20円以上買上げ客2000人余に食事を出し、話題になる[2]
  • 1907年明治40年)12月 - 資本金50万円で「株式合資会社大丸呉服店」を設立。本店は東京市日本橋区通旅籠町。
  • 1910年(明治43年) - 本店を東京市から京都市へ移転。東京店、名古屋店を閉店。
  • 1912年(明治45年) - デパート形式「京都大丸」開店(現:京都店所在地)。鉄筋木造3階建て。
  • 1913年大正2年) - 神戸元町神戸支店開業。商標マークを改め登録。女子販売員を採用。
  • 1914年(大正3年) - 本店を京都市から大阪市へ移転。京都店を「合資会社大丸呉服店」として分離独立。
  • 1920年(大正9年)4月16日 - 資本金1,200万円で「株式会社大丸呉服店」を設立。本店は大阪市南区心斎橋筋。
  • 1925年(大正14年) - 定款の営業目的を「百貨陳列販売業他」に変更。
  • 1927年昭和2年) - 神戸店が明石町(現在地)に移転。
  • 1928年(昭和3年)
    • 6月1日 - 「株式会社大丸呉服店」を「株式会社大丸」に商号変更。
    • 12月1日 - 「合資会社大丸呉服店」を「株式会社京都大丸」に商号変更。
  • 1931年(昭和6年)7月1日 - 「株式会社大丸」が「株式会社京都大丸」を吸収合併し、京都店とする。
  • 1947年(昭和22年) - 高知大丸開店。
  • 1949年(昭和24年) - 鳥取大丸を関係百貨店とする。
  • 1949年(昭和24年) - 大丸ドレスメーカー女学院(現:ディーズファッション専門学校)を京都店6階に開校。
  • 1950年(昭和25年) - 下関大丸開店。
  • 1951年(昭和26年) - 別子大丸を関係百貨店とする。
  • 1953年(昭和28年) - 博多大丸開店。文化服装学院フランスからクリスチャン・ディオールを招き大阪でもファッションショーを開催したことをきっかけに、ディオールと独占契約(1964年まで)。
  • 1954年(昭和29年) - 東京駅八重洲口に東京店開店。初日に20万人が来店。日本初のパートタイマー制を導入。
  • 1959年(昭和34年) - オリジナル紳士服「トロージャン」誕生。
  • 1960年(昭和35年) - スーパーマーケット業態のピーコック産業株式会社(現:イオンマーケット)を設立。
  • 1961年(昭和36年) - 日本の小売業界で売上ナンバー1を達成(1960年下期から1968年下期まで連続)。
  • 1964年(昭和39年) - ジバンシィと独占契約。
  • 1968年(昭和43年) - 発送代行業務の子会社「大興運輸株式会社」設立。
大丸心斎橋店南館(2021年撮影)
  • 1971年(昭和46年) - 町田店開店。和歌山店開店。米子大丸を関係百貨店とする。
  • 1972年(昭和47年) - 松坂屋と共同配送開始。
  • 1974年(昭和49年) - 今治大丸を関係百貨店とする。
  • 1975年(昭和50年) - 別子大丸を新居浜大丸へ社名変更。
  • 1976年(昭和51年) - デパート業界初の商品のデメリット表示を実施。
  • 1977年(昭和52年) - 新長田店開店。
  • 1980年(昭和55年)
    • 3月1日 - 須磨店と芦屋店が開店。
    • - 町田店を町田大丸へ分社化。
  • 1983年(昭和58年)
    • 3月1日 - CISを導入、新しいマークを制定。
    • 4月27日 - 梅田店開店。
    • - ホームショッピング事業部(現:大丸ホームショッピング)新設。
  • 1984年(昭和59年) - クレジット事業部(現:JFRカード)新設。
  • 1987年(昭和62年) - 神戸店周辺店舗1号店(現:旧居留地38番館)開店。米子大丸閉店。
  • 1988年(昭和63年) - 株式会社大丸クレジットサービス、株式会社大丸ホームショッピング、株式会社大丸情報センターを設立。長崎大丸開店。
  • 1990年平成2年) - 株式会社大丸友の会を設立。
  • 1992年(平成4年) - 大興運輸株式会社が株式会社アソシアに商号変更。
  • 1993年(平成5年) - 大阪・ミナミアメリカ村ビッグ・ステップをオープン。
神戸市灘区内にあった神戸配送センターの、1階部分が完全に押し潰された。この崩壊で配送積み込みのために駐車中のトラックの後部を、一階部分の張り出した屋根のひさし部分が直撃して跳ね上がっている。(1995年1月25日、撮影)
  • 1995年(平成7年)
  • 1997年(平成9年)- 神戸店が復興グランドオープン。
  • 1998年(平成10年) - 和歌山店閉店。
  • 2000年(平成12年) - 町田大丸閉店。
  • 2001年(平成13年) - 新居浜大丸閉店。
  • 2003年(平成15年) - 札幌店開店。
  • 2005年(平成17年) - 大丸Dカードを発行。
  • 2006年(平成18年) - アソシア株を日本郵政公社へ譲渡、株式会社JPロジサービスへ商号変更。
  • 2007年(平成19年)
    • 9月3日 - 株式会社松坂屋と経営統合。持株会社J.フロント リテイリング株式会社」を設立。
    • 京都店「日本生命四条ビル」「京都ダイヤビル」に周辺店舗をオープン。
    • 神戸店「NTT西日本神戸ビル」「ブロック44(神戸御幸ビル)」に周辺店舗をオープン。
  • 2008年(平成20年) - 今治大丸閉店。
  • 2010年(平成22年)3月1日 - 株式会社松坂屋と合併し、新会社「株式会社大丸松坂屋百貨店」発足。存続会社は松坂屋で、法人としての大丸は解散。
  • 2020年令和2年)3月1日 - 株式会社下関大丸を吸収合併し、下関大丸を直営店化。店名を大丸下関店に改称[3]

歴代社長

大丸呉服店社長
  • 11代 下村正太郎:1907年 - 1928年
大丸社長

創業者 下村彦右衛門正啓

1688年元禄元年)、京都伏見京町北八丁目に生まれる。1748年 (寛延元年) 5月15日没。

父・下村三郎兵衛兼誠は摂津国茨木武将中川氏の家臣の子孫で、大坂の陣の後で商人になった。正啓はその第五子で三男として後継ぎとなり、19歳の時に父祖の古着屋「大文字屋」を継いで行商を始めた[4]。30歳で京都伏見に小店舗を開いたのち、八文字屋甚右衛門と共同出資で心斎橋筋に「下村松屋」を開店、名古屋店から「大丸」を名乗り、1731年から単独経営となった。律儀で誠実な性格で、「現金正札販売」をモットーに豪商となっても先義後利の人であったことから、大塩平八郎の乱の際にも義商であるとして襲撃を免れたと言われる[5]

背が低く頭が大きく、耳たぶが垂れ下がった風貌で、人情に厚く商売を成功させたことから、「福助人形伝説」の一人として伝えられるようになった[6]

経営理念「先義後利」

創業者の下村彦右衛門正啓が、1736年元文元年)、大丸総本店「大文字屋」開店時に定めた経営理念。

先義(而)後利(者栄)=義を先にして利を後にする者は栄える。

「義」とは「商売における正しい道」「公共のために尽くす気持ち」を意味し、「顧客第一主義に徹すれば、利益は自ずからついてくる」という考え方に徹した。

下村は毎年冬になると施餓鬼(せがき)として、貧しい者に食べ物や古着や金銭を施し、人の集まる寺社に大丸マークつきの灯籠手ぬぐいを大量に寄付するなど、今で言うボランティア活動を行って利益を社会還元していた。

このため1837年天保8年)の大塩平八郎の乱では、百姓一揆により利を優先させた富豪や大商人はことごとく焼き討ちに遭っていたのに対し、「大丸は義商なり、犯すなかれ」と部下に命じていたため、焼き討ちを免れたと伝えられている。

この精神は、現在も大丸の企業理念として継承されている。

商標大丸マーク

創業時の「大文字屋」の名は、京都五山の送り火の「大文字」にちなんで付けられた。名古屋進出にあたり「丸」の中に「大」の字をあしらった商標を使い始め、広く一般に「大丸」と呼ばれるようになった。「丸」は宇宙を表し、「大」の文字は「一」と「人」を組み合わせて成り立っていることから、「天下一の商人になろう」という志を示した。

江戸進出に際しては、このマークを染め抜いた萌黄地風呂敷を大量に作り商品を包んで運んだ。その風呂敷が派手で非常に目立つものだったため、江戸っ子の間で話題となり、開店前から多くの人に認知されるようになった。風呂敷自体が江戸前期には銭湯に行くときにすら使われていなかったのにもかかわらず、大流行することになった。

大丸屋江戸店での風呂敷の売上は、1750年寛延3年)には14,500枚だったが、1828年文政11年)には60,670枚と4倍に増加。商人ばかりでなく、一般庶民が品物を運ぶ際に使う当たり前の道具として定着することになった[7]。かくして大丸屋は、越後屋(現:三越)、白木屋(現:東急百貨店)と並ぶ江戸三大呉服店と称されるまでになったのだった。

1913年大正2年)に類似商標と区別するため、おめでたい「七五三」にちなんで「一」の左端に3本、「人」の字の下端左に5本、右に7本のひげをつける改定を行って登録、以来70年に渡って親しまれた[8]

1983年のCIによりシンボルマークは「孔雀(ピーコック)」をデザイン化したものに変更され、現在に至っている。ただし正式な社章は現在も「七五三ひげの大丸」で、呉服の包装・一部店舗(心斎橋店・南館屋上や下関店など)の外装にも残されている。

「七五三ひげの大丸」を掲げる大丸下関店(2023年9月)

2010年3月の大丸松坂屋百貨店の発足後は、各店の正面入口脇の店名の銘板の表示も、「丸に大」のマークと「大丸 創業1717年」と記されるようになった。ちなみにそれ以前の銘板は、上部に「丸に大」のマークが孔雀の羽で縁取られ、その下に「株式会社大丸 The Daimaru, Inc. 」と記されたものであった。特に心斎橋店のものは「創業1717年」の文言が当初から記されていた。なお、梅田店の正面入口の銘板は孔雀をモチーフとしたCIマークに「DAIMARU UMEDA」と記されたものであったが、2011年4月19日の増床グランドオープンに合わせ「丸に大」のマークのものに変更された。

日本国外ブランドの独占契約・プライベートブランドの開発

大丸は積極進取の側面もあり、早くから日本国外ブランドとのライセンス契約や、プライベートブランドの開発も行ってきた。ただし、新・百貨店モデルへの移行により、プライベートブランドはほぼ廃止されている。

クリスチャン・ディオール

1953年昭和28年)にクリスチャン・ディオールと独占契約を結び、ライセンスによる国内生産が始まった。店内に「ディオール・サロン」を開設、輸入されたディオールの型紙を使用し、自社でオーダーメイドの服を製造した[9]。そのお披露目として、大阪、京都、神戸で初のファッションショーも開催している(東京初のファッションショーは1927年の三越銀座店)。これは日本初の海外デザイナーとの提携となり(従来は外資法により禁じられていた)、他の百貨店も追従したばかりではなく、アパレル業界全体に広がっていった[10]

買付と京都地区での製作を担当した礒村春を校長として、その洋裁教育を伝搬すべく、大丸ドレスメーカー女学院(現:ディーズファッション専門学校)を京都店6階に開校した。

1964年からはカネボウがディオールの独占販売権を獲得、1997年秋からはクリスチャン・ディオール・ジャポン社が独自に店舗展開を開始[11]。現在、大丸各店にはショップを出店する形(鳥取を除く)になり、大丸以外の百貨店にも出店している[12]

ジバンシィ

ディオールと入れ替わりに1964年からジバンシィと独占契約。オードリー・ヘプバーン御用達ブランドで、長らく大丸の顔ともいうべきブランドだった。

独占契約の関係により、12代目下村正太郎は日産・ローレル ジバンシィバージョン(C31型)を保有しており、1983年にユベール・ド・ジバンシィとオードリー・ヘプバーンが大丸でのイベントのために来日した際には移動用車両として使われた。その後、長らく大丸ヴィラにてナンバーがない状態で保管されていたが、2022年に日産自動車へ寄贈されヘリテージコレクションに収蔵されている。

紳士服トロージャン

トロイの戦士」を意味する大丸の紳士服で、日本で最初のプライベートブランドである。1959年に開始され、既製紳士服の先駆けとなった。十字屋提携時代は十字屋・清水屋でも取り扱いがあった。J.フロント リテイリングになってからは松坂屋でも取り扱うようになった。

当時の日本には、既製服製造のための大規模な工場が少なく生産効率が低かった。このため既製服のサイズは「特大」「大」「中」「小」の4種類に限定されており、紳士服はテーラーで注文して作ることが一般的だった。

大丸は「日本人の体型によりフィットする洋服」として開発すべくアメリカ既製服界に精通し、自らもテーラーを経営する奈古済一(なこせいいち)を招聘し技術指導を要請した。当時最新鋭の20数種のプレスマシンなどの技術を導入し、アメリカ式の流れ作業のシステムで製造工程の合理化を行った。

サイズの呼称も、「Y体」「A体」「AB体」「B体」など29種類を展開したのもトロージャンが初で、それが業界全体に広がることになった。日本人の前屈体型にフィットさせるため肩の形状も変更し、これに合わせて湾曲したハンガーも開発した。これも業界初の試みだった。

発売時の価格は、ウール100%の生地を使用したスーツで13,000円からで、オーダースーツと変わらない価格水準で大成功を収めた。

CMには、1966年にダーク・ダックス[注釈 3]、1970年代はジュリアーノ・ジェンマなどを起用し話題を呼んだ[13]。晩年にも「お台場仕立て、脇ざし、尻シック、キュプラ裏地」などワンランク上の仕様を採用するなど、進化を続けていた[14]。しかし、2020年夏に突如取り扱いを終了した。

店舗

心斎橋店

大丸心斎橋店
DAIMARU SHINSAIBASHI MISE
大丸心斎橋店北館
店舗概要
所在地 542-8501
大阪市中央区心斎橋筋1丁目7番1号
座標 北緯34度40分26.1秒 東経135度30分3.4秒
開業日 1726年 (享保11年) [注釈 4]
商業施設面積 77,000 m²
営業時間 10:00-22:00 (フロアにより異なる)
前身 そごう心斎橋本店(北館)
後身 心斎橋PARCO(2代目店舗、北館)
最寄駅 心斎橋駅
外部リンク 大丸心斎橋店

大丸における本店である。北館(心斎橋パルコ)・本館・南館及び周辺の複数の路面店で構成される。大阪のメインストリートである御堂筋と、心斎橋の賑わいの中心である心斎橋筋商店街に面している。売上高は708億円(2022年)で、大阪府内・大阪市内ではあべのハルカス近鉄本店に次ぐ4番手に留まっている[15]。本店だが売上高では神戸店(839億円)の方が多く、「大丸」ブランドでは2番目の売上である[16]

沿革
  • 1726年 大坂島之内の木挽町北之丁(現・中央区心斎橋筋一丁目)に大坂店「松屋」開店。
  • 1867年 大坂地図「浪華名所独案内」に「大丸呉服店」として記載された。
  • 1920年4月16日 「株式会社大丸呉服店」の「本店」に定めた。同年、失火により全焼[17]
  • 1922年再興のため店舗新築。第1期工事完成。設計はウィリアム・メレル・ヴォーリズ
  • 1925年9月 第2期工事竣工。中央玄関上部にテラコッタ(陶製)のピーコック(孔雀)が掲げられた。ピーコックはファッションのシンボルとして、以来大丸のシンボルとなった。
  • 1933年 第3期工事が完成。アール・デコの重厚な近代建築を今も伝える建築物として、DOCOMOMO JAPAN選定 日本におけるモダン・ムーブメントの建築に選定されている。本館・南館の2館体制時の店舗面積は37,490m2だった。
  • 1983年 梅田店の開店を控え、3月より大阪店から心斎橋店に改称。
  • 2009年11月14日 隣接するそごう心斎橋本店が営業不振により閉店したため建物を買収。大丸の北館としたため77,000m2の最大規模の店舗となった。
  • 2011年度下半期 ファッションデザイナー 小篠綾子の生涯を描いたNHK連続テレビ小説カーネーション』が放送された。11月に主人公が「心斎橋百貨店」に制服を売り込みに行くエピソードがあったが、1932年当時心斎橋にあった百貨店はこの大丸心斎橋店だけである。その縁で、放送終了後の2012年4月25日-5月1日に期間限定で岸和田コシノショップが出店した[18]。また、娘コシノヒロコも同店は勿論、ほとんどの大丸にショップを出店している。
  • 2015年12月30日 この日をもって、建て替えのため本館は一時閉館。以降、2019年9月15日まで北館と南館の2館体制で営業を継続。北館は、パルコにリニューアルするため同日限りで閉館した。
  • 2019年9月20日 新本館リニューアルオープン。 売り場全体の65%は、定期賃貸借契約(定借)によるテナントで構成され、不動産事業であるファッションビルやショッピングモール形式と小売事業である百貨店のハイブリッド型に転換した。また、従来型の百貨店に比べてファッションフロアの比率を下げている。ポケモンセンタージャンプショップ、コンビニのローソンなど、従来の百貨店においては異例のテナント構成となっている[19]
  • 2020年11月20日、本館リニューアル完成後にリニューアル工事に入っていた北館が、同じJ.フロント リテイリング傘下のファッションビル「心斎橋PARCO (パルコ)」としてオープン[20]

梅田店

1983年開店。大阪駅駅ビル(大阪ステーションシティサウスゲートビルディング(2011年3月16日「旧・アクティ大阪」より改称)地下2階から地上15階。

店舗面積は従来40,416m2だったものが、2011年3月から順次増床部分が開業した後、同年4月19日のグランドオープン時には既存部分と合わせて64,000m2となった。

「新百貨店モデル」の集大成として、ハンズポケモンセンターオーサカ(2010年11月26日に先行して開店)など、大規模なテナントが出店している。

京都店

大丸京都店
DAIMARU KYŌTO MISE
店舗概要
所在地 600-8511
京都府京都市下京区四条通高倉西入立売西町79番地
座標 北緯35度0分15.4秒 東経135度45分43.2秒
開業日 1736年
商業施設面積 50,830 m²
営業時間 10:00-20:00 (フロアにより異なる)
最寄駅 烏丸駅四条駅
外部リンク 大丸京都店

1717年、創業者の生地にて創業。伏見京町北8丁目京阪電鉄丹波橋駅北方で、京都の中心地ではなく郊外だった。

1729年に「仕入れ店」を置いた柳馬場綾小路は、現在地より東南東方向200mに位置した。

1736年大丸総本店「大文字屋」を構えた東洞院船屋町は、市営地下鉄烏丸御池駅付近と現在地より1駅北隣に位置していた。

また、1863年に新選組が揃いの割羽織を調達に訪れたのは、これとはまた別に設けられた「松原店」で、松原通御幸町・寺町間の北側[21]。京阪電鉄清水五条駅から鴨川の東岸だった(大丸ではなく四条の呉服屋「菱屋」だったという異説もある)。

1912年、「京都大丸」が市内中心部の四条烏丸に開店。ここが現在の京都店の所在地である。現・京都店の店舗面積は50,830m2。心斎橋店と同じくヴォーリズ設計であるが、四条通側の外壁は改装されている。なお、下村家の邸宅であった京都・烏丸丸太町上ルの大丸ヴィラ「中道軒」はチューダー・ゴシック様式の豪壮な建築として知られている。日本占領期には米第6軍司令官宿舎に当てられた。

この建物の他、5つの「周辺店舗」がある。

松坂屋高槻店も運営上、京都店の分店扱いとなっている。

なお、付近の四条河原町に位置する若者向け百貨店の「藤井大丸」と当店とは関係はない。

大丸京都店(上、1932年以前)

神戸店

神戸店店内の様子

売上高は839億円(2022年)[16]で、阪神神戸三宮駅に直結する神戸阪急(旧:そごう神戸店)を抑えて、売上高において神戸市内および兵庫県内最大であり[16]、「大丸」ブランドの店舗としては大丸の本店にあたる心斎橋店(708億円)よりも多く、同ブランドでは最大の売上高の店舗である(大丸松坂屋としては松坂屋名古屋店が最大)[16]。神戸一の繁華街である三宮元町エリアの地域一番店。

須磨店

  • 1980年開店:神戸市須磨区中落合二丁目2番4号
  • 神戸市営地下鉄西神・山手線「名谷駅」前「須磨パティオ」地下1階-地上4階。店舗面積13,076m2
  • 1980年「株式会社ダイマル」須磨店として開店。2001年に直営化、神戸店の分店となった。
  • 2020年3月 開業40周年に合わせ、大規模リニューアルを実施。3月の第1期リニューアルでは、1・2階の百貨店売り場を再編・改装したほか、3階にヘアサロンや手芸店など地域密着型のテナントを導入した。[22]

芦屋店

  • 1980年開店:兵庫県芦屋市船戸町1-31
  • JR芦屋駅直結店舗、店舗面積4,300m2
  • 1980年「株式会社ダイマル」芦屋店として開店。2001年に直営化、神戸店の分店となった。
大丸インテリア館 ミュゼ エール

東京店

大丸東京店
建替え前の旧大丸東京店(2007年)

1954年10月、東京駅八重洲口直結の株式会社鉄道会館 八重洲本館に開店(賃貸入居)[23]。店舗面積31,500m2。東京駅直結のターミナルデパートであった。

旧「大丸呉服店」が明治期に閉店して以来、44年ぶりの東京再進出を果たした。開店初日には20万人が来店した。東京店開業以来、東京駅と京都駅には「行きも大丸、帰りも大丸」というキャッチコピーの広告が掲示されるようになった。

開店の際には、東京ではすでに月賦の「大丸百貨店」(現:井門エンタープライズ)がチェーン展開していたため、名前の競合が問題になり2社間で協議が持たれた。その結果、百貨店の(下村)大丸には百貨店をつけず「株式会社大丸」、月賦の(井門)大丸には百貨店をつけ「株式会社大丸百貨店」とすることが取り決められた。(井門)大丸には、広告宣伝においては愛称として「ライフアップ大丸」とも称し、マークは(下村)大丸とは全く異なるデザインを使用していた[24]

しかし、中規模店であり、客単価の低い旅行客などの利用が多かったため、1987年度まで長年赤字が続き、巨大なキオスクと揶揄されるほど、三越伊勢丹など他の都内の百貨店よりグレードが低い店と言われていた。このため、1985年閉店の八王子店や1987年業態転換の町田店も合わせて東京から完全撤退するとの噂もあった。しかし、このままでは新規採用や出店・海外事業に支障をきたしかねないと判断し、50億円から70億円の予算を投じて開業以来初となる大改装を行った。内容は天井に起伏を持たせて豪華さを出したり、1階正面入り口のエスカレーターを撤去して開放感を持たせたほか、売場も婦人服、紳士服や雑貨などの高級品中心の店作りに転換し、12階のギャラリーフロアに所在した支店長室などを撤去して「大丸ミュージアム」を新設するといったものだった。梅田店の建設に携わった米国のシェイクス&ジョンソン社に委託して、1990年4月16日に完成した[25]。 2007年10月31日にいったん旧店舗を閉店。ペデストリアンデッキ「グランルーフ」と駅前広場整備のため建物は取り壊された。同年11月6日にグラントウキョウノースタワー(現在地)に移転。住所など詳細はグラントウキョウを参照。2段階に分けて建替えられ、第1期分では地下1階 - 13階 店舗面積34,000m2に入居。第2期工事終了後の2012年10月5日に46,000m2に増床してグランドオープン。地下3階駐車場も完備した。

札幌店

札幌駅南口JRタワー西ブロック。店舗面積45,000m2。札幌駅直結のターミナルデパートである。

京阪神や東京でしか取り扱わなかった商品の販売や立地環境の良さも手伝い、2009年からは地元の老舗百貨店の丸井今井を抜いて札幌市の地域一番店となった。

西武旭川店が2016年9月末に閉店したため、日本百貨店協会の加盟百貨店では最北に位置する店舗となっている。

なお、札幌市中央区南1条に所在する大丸藤井セントラルは全くの別会社である。

下関店

下関店(下関大丸時代)
シーモール下関と隣接する大丸下関店(2021年3月)


山口県下関市JR下関駅東口にある複合商業施設「シーモール下関」の核店舗として出店[26]。地下1階-地上7階建てで店舗面積は約24,000㎡。かつては連結子会社の株式会社下関大丸が運営する「下関大丸」であったが、2020年3月1日に株式会社大丸松坂屋百貨店が株式会社下関大丸を吸収合併・直営店化し、店舗名は「大丸下関店」に改められた[26]

関連会社の店舗

松坂屋については当該項目を参照。

連結子会社運営店舗

博多大丸 福岡天神店[27]
1953年開店。1975年現在地に移転。福岡市中央区天神1-4-1 福岡市営地下鉄 天神南駅 3番出口。
本館(西日本渡辺ビル)地下2階-地上8階+東館「エルガーラ」地下2階-地上6階。店舗面積44,192m2
法人としては本体に次ぐ規模にあり、J.フロントグループにおいても九州地区の重要拠点と位置づける。
高知大丸
1947年開店。高知県高知市帯屋町一丁目6番1号。
とさでん交通はりまや橋」電停下車、京町商店街。店舗面積16,068m2
本館・東館に分かれており、ともに地下1階 - 地上5階(6階は屋上)で連絡通路がある。それとは別にダイマルウエストなどがある。
2002年に高知西武(旧:とでん西武)が閉店して以降、高知県内では唯一の百貨店である。

非連結関連会社運営店舗

大丸コム開発
1982年設立(大丸企画開発)。J.フロントリテイリング株式会社の100%出資会社で、以下の商業施設の管理運営業務ほか、新規開発やリニューアルも行っていた。「大丸松坂屋百貨店 不動産事業部」を経てこれら業務は「パルコ」に移管している。


自主編集売場

サロン・ド・グゥ・ブランシェ
特選ブランド・インポート雑貨のセレクトショップ。京都店[28]
michikake(ミチカケ)
梅田店に2019年開業の、女性の生理用品等を扱うショップ。若手社員のアイデアによる、生理中の従業員を現すバッジの着用は議論を呼んだ。

過去には以下のような売場が存在した。

サロン・ド・グゥ・ブランシェ
心斎橋店、神戸店、福岡天神店。
サロン・ド・グゥ
特選ブランドウェアのセレクトコーナー。神戸店、京都店、札幌店。
サロン・ド・グゥ・オム
メンズ特選ブランド・インポート雑貨のセレクトコーナー。心斎橋店、神戸店、東京店。
ufufu girls(うふふガールズ)
18歳から34歳の若い女性をターゲットにした、低価格帯のカジュアルな衣料品・雑貨のフロア。
2009年11月14日に心斎橋店北館の地下1・2階に開設し好評となった。その後2010年度は、4月22日には京都店の1・2階に、10月22日には松坂屋銀座店の本館1・2階に開設された。翌2011年度は、2月23日には神戸店の3階に、3月23日には札幌店2階に、また梅田店でも増床リニューアルオープンにあわせ(同年4月19日にグランドオープン)、同店の1階と5階に開設された。さらに2012年度は、3月2日に松坂屋名古屋店の南館2階にも開設された。

過去に存在した店舗

日本国内店舗

  • 町田店・町田大丸 プラザビーミー
    東京都町田市原町田6-2-6 小田急町田駅西口、小田急百貨店隣。
    1971年に東京店に続く関東地区2号店「大丸町田店」として開店。1980年ごろ「町田大丸」に分社、「プラザビーミー」としてリニューアル。2000年2月27日に閉店。
    建物は丸井に売却され、翌2001年2月21日に「マルイビィ (OIOI be) 町田」としてオープン、のち「町田モディ」となった。
    町田大丸と直接の関係はないが、大丸ホームショッピング受注センターと配送センターが隣接地域(相模原市南区上鶴間本町)にあったが、町田大丸閉店の数年後に閉鎖された。
  • 八王子大丸
    1972年開店。1985年閉店[29]。東京都八王子市横山町18-7 JR中央線八王子駅北口 甲州街道沿い。
    午後6時30分の閉店5分前に、ロバート・マクスウェル「引き潮」の楽曲に乗せた終了放送「ラストポエム」が流れた。
    八王子は前述の町田とともに「絹の道」として輸出用の生糸が運ばれた交通の要衝で、大丸の江戸進出時の風呂敷のことが「八王子織物史」で語られるほど大丸と八王子は縁の深い町だった。
    八王子市は東京近郊(都心から50km)のベッドタウンとして注目され、1970年には人口が25万を突破した。この時期に大型店舗の出店が相次ぎ、1969年伊勢丹1970年西武百貨店に続き、八王子では3番目の百貨店として開店した。なお、丸井八王子店ダイエー八王子店よりも後の出店である。当時の八王子駅北口では各店がしのぎを削っていた。
    大丸はかつての中心街であった甲州街道沿いの商店街にあったが、閉店の引き金になったのは、1983年の八王子駅北口駅ビル八王子ナウ」の建設とそこにそごう八王子店が進出したことだった。なお、一番駅寄りだった伊勢丹の方が先に撤退している。
    大丸が撤退したビルは、その後、「サイドウォーク」という名称で営業し、1987年忠実屋によりファッションビルFAM(ファム)」として営業されたが1994年に閉店。その後は長年空きビルとなっており、当時の黒須隆一八王子市長からも商店街衰退の象徴として問題視する発言がなされた[29]。忠実屋を合併したダイエーが2001年2月9日に本館および別館の土地・建物を日本中央地所とセントラル地所に売却[30]。建物は解体され、2003年3月に長谷工コーポレーションにより高層マンション「マクシスタワーズアーバンデュオ」が建設された。
  • ららぽーと横浜
    横浜市都筑区池辺町4035-1(JR横浜線鴨居駅より徒歩7分)2007年開店-2013年1月31日閉店。店舗面積4,000m2。東京店の分店扱い。食品売り場に特化した業態「大丸フードマーケット」としての出店。
  • 浦和パルコ
    さいたま市浦和区東高砂町11-1 ( JR東日本東北本線浦和駅」東口正面「浦和パルコ」地下1階)2007年開店-2017年7月31日閉店。店舗面積4,000m2。ららぽーと横浜店と同様、東京店の分店扱い。食品売り場に特化した業態「大丸フードマーケット」としての出店。閉店後、ヤオコー浦和パルコ店となっている。
大丸新長田店
大丸新長田店
  • 新長田店
    神戸市長田区若松町5-5-1、ジョイプラザに1977年開店。2013年1月31日閉店[31]
    店舗面積9,091m2。神戸店の分店扱いの生活密着型店舗。後継テナントには西友が入る。
  • 和歌山店
    和歌山市元寺町1-25 富士アイスビル 和歌山バス「ブラクリ丁」バス停前。1971年開店-1998年閉店。
    売り場面積4000平方mの小型店、心斎橋店の分店扱い。
    閉店後、和光デンキのアウトレット店、ダイソーなどを経て、現在はドン・キホーテ和歌山店となっている。
  • 山科店
    1998年開店。京都市山科区竹鼻竹ノ街道町91
    JR西日本東海道本線京阪京津線京都市営地下鉄東西線 山科駅2番出口「ラクト山科ショッピングセンター B棟 地下1階-地上2階(開店時は4階まで)。
    店舗面積5,960m2(開店時は9,260m2)。京都店の分店であり、「やましな店(みせ)」とも呼ばれている。近年は衣料品販売が低迷し、2010年8月31日以降、規模を縮小した。
    (2011年4月29日から地上3階から地上4階はニトリラクト山科店が入居)。
    2019年3月31日をもって営業終了[32]
  • 鳥取大丸
    1937年「丸由(読みは「まるゆ」)百貨店」として開店。1949年に大丸と業務提携し「鳥取大丸」に社名変更[33]、1975年現在地に移転[34]。大丸の出資比率14%[35]
    鳥取県鳥取市今町2-151、JR山陰本線鳥取駅前(ホテルニューオータニ鳥取隣)。地下1階 - 地上5階。店舗面積11,973m2[36]
    建物は、ホテルニューオータニ鳥取ともども黒川紀章の設計によるもの。別館「アネックス203」、ファッション館「アクア」、鳥取空港売店もある。
    2022年8月31日をもって商号、商標のライセンス契約が満了となることに伴い、「鳥取大丸」としての営業を終了。同年9月1日より再び創業時の表記である「丸由(読みは「まるゆう」)百貨店」に屋号を変更[37][38]し、9月3日より再スタート。社名変更した「株式会社丸由」と大丸松坂屋百貨店の業務提携は継続。
  • 米子大丸
    鳥取県米子市西福原2-1-10 JR境線 富士見町駅下車 外浜産業道路 ホテルサンルート向かい 1963年12月「米子ストア」開店。1971年「米子大丸」に社名変更。1987年に現「米子しんまち天満屋」に営業譲渡。現「米子しんまち天満屋」が開店する1990年まで、米子駅前通り東町にあった米子大丸をそのまま、株式会社米子天満屋が経営していた。
  • 別子大丸・新居浜大丸(旧:別子百貨店)
    愛媛県新居浜市西原町3丁目1-26 せとうちバス「西原町3丁目」停留所下車 昭和通り商店街。地上4階建て、売り場面積7,457m2
    1950年「別子百貨店」開店。1951年、資本参加により「別子大丸」、1975年「新居浜大丸」に社名変更。
    2001年イオン新居浜ショッピングセンター開設を前に閉店、大丸跡地には現在、地元スーパー「ママイ」の店舗が建っている。(一時期閉店したがリニューアルし再オープン)
  • 今治大丸(旧:大洋デパート)
    愛媛県今治市常盤町4-1-18 せとうちバス「今治バスセンター」そば 1962年「大洋デパート」開店。1974年、資本参加により「今治大丸」に社名変更。2008年12月31日閉店。
  • 長崎大丸(旧:岡政百貨店)
    長崎市浜町4-11 1934年5月22日「岡政百貨店」開店。1969年3月提携。1987年、岡政100%出資の新会社「株式会社長崎大丸」を設立。1988年営業権の譲渡。2003年、企業再編により博多大丸に吸収合併「博多大丸長崎店」となった。2011年7月31日閉店。店舗面積9,176m2。店舗解体済み。2014年秋、エフ・ジェイホテルズにより「ホテルフォルツァ長崎」が新築オープンする[39]
  • 高知大丸四万十プラザ
    土佐くろしお鉄道中村駅徒歩3分。高知県四万十市駅前町274番地。500m2ほど。
    高知大丸唯一の支店であった。玩具店としてかつて一世を風靡したハローマックの跡地に出店し、建物もそのまま使用していた。2021年2月28日閉店[40]

百貨店以外の商業施設

  • 大丸羽田空港店 - 羽田空港第1ターミナル マーケットプレイス4F、386.6m2。1999年開業、2017年8月25日閉店[41]。管理・運営を行っていたが、5月25日に髙島屋が撤退したのに続き、不採算のため撤退した。
  • オトカリテ - ピーコックストア千里中央店 1-3F、約5,000m2。。1970年、GMS業態のピーコックストア千里中央店として千里阪急などと同時開業。イオンモールへの移管後、2023年4月30日にピーコックストア千里中央店と共に閉店した。

日本国外店舗

  • 香港大丸百貨公司
    1960年11月3日開店。1998年12月31日閉店。
    香港 銅鑼湾(コーズウェイベイ)記利佐治街(グレートジョージストリート)と百德新街(パターソンストリート)交差点に立地。売り場面積5,400+5,600m2[42]
    香港商人・張玉良との合弁会社。大丸出資率51%。日本の百貨店のアジア進出1号店で、取り扱い商品の6割が日本製品という中流-高級路線の店だった。開店前は、香港市民に受け入れられるか不安なまま開店を迎えたが、開店初日に10万人の客が詰め掛け、準備した品物の大半が売切れてしまう等、香港市民に支持され大成功を収めた。
    香港大丸が開店した頃の店舗周辺は、倉庫が立ち並ぶ場所であったが、大丸開店後は数々のショップが出店してゆき、現在では香港随一の繁華街になった。大丸は地域のランドマークになり、ミニバスの行き先も「銅鑼湾」ではなく「大丸(DAIMARU)」と表示されていた。
    1983年には、維多利亞公園(ヴィクトリアパーク)の京士頓街(キングストン)2号店としてスーパー・マーケットを開設。2階建てで1階にスーパーが入り、2階には旭屋書店が入店していた他、様々な商品を取り扱っていた。またこの頃には、大丸の後を追う様に次々と日系百貨店が銅鑼湾地域に出店し、売上を競っていた。
    1990年代に入ると、銅鑼湾では家賃高騰が続いた。その為記利佐治街の店舗の存続は断念し、スーパー部門だけを残した[43]
    スーパー部門は引き続き人気があったが、家賃高騰が続いた上に、1997年のアジア通貨危機の影響で香港の景気も低迷して業績も悪化した結果、これ以上の経営は困難と判断され、1998年6月25日に年内閉店を発表した。発表は、香港住民に衝撃を与え、閉店を惜しむ声が数多く寄せられたほか、12月31日の閉店日には、38年の間愛されてきた老舗の撤退に際して、現地テレビ局は特集番組を放送した。
    跡地には他のテナントが入居したが、2012年からは、銅鑼湾店舗跡にイオンストアーズ香港が「マックスバリュ・プライム」を出店している。ミニバスの行き先は、現在も「大丸(DAIMARU)」のままであり、今も銅鑼湾に大丸があった事を伝える存在となっている。
  • 建台大丸百貨公司
    台湾「建台水泥」(チェンタイ・セメント)100%出資会社で、大丸とはノウハウの提供とブランドだけの提携だった。
    • 高雄 - 1999年10月23日開店。2000年閉店。建台水泥が建設した高層ビル「高雄85大楼」の地下1階から地上7階に入居。同ビルは地上85階建(高さ378m)、当時台湾一の高さということで話題になった。しかし、売上は非常に悪く、大丸側は提携契約を破棄、同店は閉店に追い込まれた。2012年、出店していたフロアは裁判所による強制競売に掛けられた[44]
    • 台中 - 1999年5月2日開店。2000年に閉店。この物件も建台水泥が設立した「台中晶華酒店」(グランドフォルモサリージェント。ホテル)1-10階に入居。同様に早期に撤退することになった。
  • タイ大丸 (現地法人:Thai Daimaru Co., Ltd.)
    1964年 創業。首都バンコックの中心地ラーマ1世通り北側のラーチャダムリに1号店を開店。
    1980年 プラカノン支店開店。バンコク・スカイトレインの新駅ができる前提で出店したが、建設が20年遅れ、同地は日本人があまり訪れることない下町エリアだったため、ネイバーフッド型スーパー・マーケットとして運営することになった。
    1980年代 タイは高度成長期に入り、1983年の ロビンソン百貨店を皮切りに外資系が続々進出した。日系もアマリンそごう(1984年)、MBK東急百貨店(1985年)ジャスコ・ラチャダー店(1985年)、そして1992年、大丸ラチャダムリ本店向いにはセントラル・ワールドが建設され伊勢丹が進出。1995年までに36の百貨店が開店した。
    1997年 アジア通貨危機により、タイの財閥大手が、チェーン店経営から手を引いたため、テスコ(イギリス)、ビッグC(イギリス)、カルフール(フランス)は本国主導に変り、市場構造が激変することになった[45]。大丸はリストラの一環として自社所有株式の25%をタイ地場資本プレミアグループに売却。プラカノン支店を閉店(跡地には高級マンション「ホープランド・エグゼクティブ・レシデンス・スクンビット46」が建設された)。
    1998年 ラチャダムリ本店を閉鎖し、郊外移転(旧店跡地にはビッグCが開店)。
    シーナカリン通り沿線ショッピングモール「セーリー・センター」にプランタン(フランス)と共に入居。すぐ隣に「シーコンスクエアー」も建設され、こちらにはロビンソンとテスコが入居。結果としてシーコンスクエアーの圧勝。プランタンはすぐに撤退し、大丸も1999年閉店することになった。
    同地は、旧店のあった市街地から遠く、従来から利用していた日本人街の住民が日常使用するには不便な場所となっていた。セーリー・センターのデベロッパーも、MBKとサイアム・ピワットに買収され2010年パラダイスパークとなった。現在ここには、日系企業としてはロフトダイソー大戸屋やよい軒CoCo壱番屋8番らーめんミスタードーナツ等が出店している。
  • 大丸シンガポール (現地法人:Daimaru Singapore Pte Ltd.)
    1987年リャンコート店を開店。スーパーマーケットを含む3店舗を展開した。2003年閉店。
    シンガポールには日系百貨店が続々進出した。伊勢丹(1972年)、ヤオハン(1974年)、三越(1977年)、名鉄百貨店(1984年)、髙島屋(1995年)、そごう(1986年)、東急百貨店(1987年)、西友(1995年)その中でも後発の大丸には日本の食料品(弁当・惣菜を含む)や書籍が充実しており、日本人ビジネスマンに支持されていたが、MRT路線から外れた不便な場所だったのが敗因。
  • 大丸オーストラリア (現地法人:Daimaru Australia Ltd.)
    • メルボルン - 1991年9月11日開店。2002年7月閉店。21,011m2。地下鉄セントラル駅直結。設計:黒川紀章
      メルボルン市の都市再開発計画に沿って、クマガイオーストラリア PTY.リミテッドが開発・建設した「メルボルンセントラル・ショッピングセンター」に出店。対象顧客はオーストラリア人で、日本人観光客や駐在員ではなかったため、欧米流のマーチャンダイジングを行った。
      しかし、オーストラリアで消費税が導入されたことにより消費が低迷、郊外型ショッピングセンターの台頭により売上が減少したことに加え、資本金の50%を出資していたクマガイ側が事業から撤退を決めたため会社清算することになった。
    • ゴールド・コースト - 1998年9月開店。2002年1月閉店。8,324m2
      100%子会社だが「大丸オーストラリア・リテイル」という別会社。仕入れをメルボルン店に依存していたため、本店より先に閉店セールを実施。予想を超える客が殺到したため、予定より1ヶ月早く売りつくし閉店した[46][47]
  • 大丸フランス - パリ17区のパレ・デ・コングレ・ド・パリ内に出店。1998年撤退。

セントラル・バイイング・システム

セントラル・バイイング・システムとは本部集中仕入れのこと。

本来、日本の百貨店は、チェーンストアではないので中央仕入れは行わないものとされていたが、大丸には名古屋店に進出した江戸時代から、既にこの思想が存在した。

正札現金掛け値なし」の一物一価制を実現するため、1729年 (享保14年) 京都 柳馬場綾小路に「仕入れ店」を置いたのがその始まり。呉服の生産地である丹後桐生に担当者を常駐させ「本社集中仕入れ=セントラル・バイイング」を行う一方、販売にあたっては、「顧客目線=ダイレクト・マーケティング」もした。それこそが「先義後利」思想に基づく商売のあり方と創業者下村は考えて具体化していたのだった。 [48] 1970 - 80年代、総合スーパーの台頭に対応して、大丸の出店していない地方の百貨店との連携も模索。即ち 中央仕入れ機構「大丸・松坂屋CBS(Central Buying System)グループ[49] で、1970年1月20日 以下の10社のグループが加盟。 トロージャン他大丸商品の供給、中元歳暮期のバーゲンセール及びギフトの共同企画・配送、商品券「ショピングボンド」等の相互利用を実施した。

  • 中三(五所川原、弘前)※1994年 ジャスコ(現.イオン)と提携。
  • 十字屋(山形、仙台、足利、千葉、木更津、館山、銚子、藤沢)※1982年 ダイエーと提携。
  • 清水屋(酒田)※1982年 ダイエーと提携、1994年 中合と合併。
  • 大和(新潟、長岡、上越、富山、高岡、金沢)
  • 山陽百貨店(姫路)※2007年 DIAグループ。
  • 天満屋(岡山、倉敷、福山、広島)※伊勢丹A・D・O重複加盟。
  • 大牟田松屋 ※2004年 経営破綻のため閉店。
  • 岡政 ※後の長崎大丸。
  • 山形屋(鹿児島、宮崎、沖縄)※伊勢丹A・D・O重複加盟。

なお、上記グループのほか、以下のようなスポット提携もあった。

1962年 小田急百貨店(新宿)との商品券の相互利用。

1994年 三越と配送業務提携。東京地区を三越、大阪地区を大丸が担当。翌1995年には三越と商品提携を行い、相互の商品が各店店頭に並べられた。

消滅

1990年代に日本百貨店協会の「全国百貨店共通商品券」が登場し、「ショピングボンド」は廃止に至った。

また、加盟店の中にスーパーの傘下になるものが出てきたため、地方百貨店とのネットワークは消滅した。

消滅後、松坂屋との提携は更に深化し、J.フロントリテイリンググループを形成するに至った。

出店を断念した店舗(店名は仮称)

  • 浜松店
    静岡県浜松市にあった松菱百貨店跡地の再開発で、地元不動産業者のアサヒコーポレーション・浜松市・大丸の三者で出店基本協定を締結。営業面積約34,000m2、地下4階地上9階建の規模で2010年開店予定であった。その後、多量の地下水による難工事を理由に開店の一年延期を発表。だが実際は、一部の地権者が交渉を強硬に拒否し着工の見通しが立たないのが理由であり、後日一部マスメディアでも報道された。これにより大丸は基本合意を解除した。浜松市長も2008年9月の市議会答弁に於いて用地取得の難航を認め、2011年秋の開店は不可能という見解を示した[50]。その後、急激な景気後退による消費不振が表面化する中、2009年1月26日、大丸側も正式に出店断念を発表した[51]
  • 高槻店
    1971年、国鉄高槻駅前の再開発ビルに大阪店の分店の出店を発表。しかし、1974年春の建物完成予定が3年半を越える大幅な遅れが見込まれるうえ、石油危機による資材高騰を受け、投資額が当初予定の3倍となり採算が見込めなくなったことから1974年7月に高槻市に対し出店辞退を申し入れた[52]。その後、同ビルには1979年に松坂屋高槻店が入居。2010年の大丸と松坂屋の統合に伴い、同年3月1日より大丸京都店の分店となっている[53]
  • 池田店
    大阪府池田市で、丸池地方卸売市場移転後に跡地への出店計画があった。しかし、大阪駅増改築に合わせた梅田店の出店に計画変更した。
  • 三田店
    兵庫県三田市で、1982年(昭和57年)に三田駅前への再開発ビル建設の計画が浮上し、当社の出店が決まっていた。しかし、1993年(平成5年)に出店を断念した[54]。ライバルの阪急百貨店が再開発ビルの保留床を買い取って出店することになったが、ウッディタウンへのサティの出店などを理由に断念し、阪急も出店計画断念と報じられた。しかし、阪急は賃貸方式に変更して、再開発ビル「キッピーモール」2階にサテライト店舗に近い形の三田阪急、1階に同社系列スーパーの阪急オアシスという形式で2005年(平成17年)9月15日に開業した[55]。2020年3月期の三田阪急の売上高は13億6400万円だったが。減少傾向にあるため[56]、阪急オアシスを残し、2階の百貨店部分は2021年8月1日で閉店した[57]
  • 明石店
    兵庫県明石市で、明石駅前の再開発ビル「アスピア明石」へ20000平方メートルほどの売場面積で出店を表明していたが、阪神・淡路大震災で甚大な被害を受けた神戸店の再建を優先するため断念。代わって出店を表明したコープこうべも計画中止となり、核店舗を持たない状態で開業した同施設は苦戦している。
  • 広島店
    1960年代に広島市で、従来の地平施設であった広島バスセンターが、土地の有効活用などを目的にビルの建設について検討をし、その提案にそごう髙島屋と共に出店を申し込んだものの、当初計画で1階にバス施設の配置が計画されていたことで、店舗へのアプローチが悪いことにより早期に辞退した。その後、1974年に広島そごうが開店。

関連会社

大丸出身の著名人

野球部

1960年代は京都と大阪にそれぞれチームを持っていたが、その後京都に統合し、1981年まで活動していた。

競泳部

その他

提供番組

現在

テレビ

過去

テレビ
ラジオ

脚注

注釈

  1. 株式の譲渡については無限責任社員(出資者全7人)の同意を必要としたので、下村一族や従業員以外に株式が流れる心配はなかった。
  2. 梅田店では改装工事のため一時販売を行っていなかったが、2011年3月5日より販売を再開している。
  3. いずみたく作詞のCMソングもあった。
  4. 開業時の名称は「大阪店 松屋」
  5. 発足時(当時は新日本放送)から大株主

出典

  1. 関西のデパート、なぜ「○○店(みせ)」 - 日本経済新聞・2014年12月6日
  2. 報知新聞
  3. “「大丸下関店」スタート:大丸松坂屋直営、改装進む”. 山口新聞 電子版 (みなと山口合同新聞社). (2020年3月2日). https://www.minato-yamaguchi.co.jp/yama/e-yama/articles/6943 2020年3月2日閲覧。
  4. 朝日日本歴史人物事典・大丸二百五拾年史
  5. 錦絵にみる大阪の風景 松屋呉服店 大阪府立図書館
  6. 呉服店もの語り
  7. 風呂敷の歴史 八王子織物史
  8. 社名雑学
  9. 1960年代の日本製プレタポルテ
  10. 「流通機能と小売業界の現状」藤川直樹
  11. Fashion Street クリスチャン・ディオール
  12. クリスチャン・ディオールのショップ
  13. TROJAN トロージャン おかげさまで50周年
  14. 大丸Facebook TROJAN HISTORY
  15. 日経MJ』第6884号、2022年8月24日、1面。
  16. 御堂筋の大丸心斎橋店の歴史
  17. 岸和田市観光振興協会公式サイト「岸ぶら」2012/04/25
  18. FASHIONSNAP.COM (2019年9月19日). 大丸心斎橋店本館が"ハイブリッド型百貨店"に、何が変わったのか?”. FASHIONSNAP.COM [ファッションスナップ・ドットコム]. 2020年10月13日閲覧。
  19. 大阪で9年ぶりパルコ復活 ミナミの新たな目玉に”. 共同通信 (2020年11月20日). 2020年11月21日閲覧。
  20. 新選組&幕末 ばんざい!!
  21. 大丸須磨店 開業40周年記念 改装リニューアル ~須磨の暮らしの真ん中に。「地域共生百貨店」~ (2020年2月17日). 2020年9月17日閲覧。
  22. 鉄道会館沿革 - ウェイバックマシン(2016年3月4日アーカイブ分)
  23. 拝啓井門義博です大丸OB会
  24. “大丸・東京店、名誉ばん回へ大改装 商品配置や天井も一新”. 朝日新聞 (朝日新聞社). (1990年1月17日)
  25. 高田泰 (2019年12月22日). “下関大丸、来春から直営の大丸下関店に 店内を大幅リニューアル”. 財経新聞 (財経新聞社). https://www.zaikei.co.jp/article/20191222/545406.html 2020年3月2日閲覧。
  26. 企業情報”. 博多大丸. 2018年7月2日閲覧。
  27. https://www.daimaru.co.jp/kyoto/branche/
  28. 高野誠二「都市整備事業の実施をめぐる都市内の政治権力構造 八王子市における旧中心商店街の活性化」『地理学評論』第78巻第11号、日本地理学会、2005年、661-687頁、doi:10.4157/grj.78.6612020年3月27日閲覧
  29. 日本食糧新聞Archived 2015年5月5日, at the Wayback Machine.
  30. “大丸新長田店:来年1月末で閉店”. 毎日jp. 毎日新聞社. (2012年6月25日). オリジナルの2012年6月28日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20120628004753/http://mainichi.jp/select/news/20120626k0000m020045000c.html 2012年6月25日閲覧。
  31. 大丸山科店の営業終了に関するお知らせ - 大丸山科店
  32. 鳥取大丸”. 鳥取大丸. 2012年4月29日閲覧。
  33. 倉持裕彌. “調査研究報告 地域生活空間 鳥取市の中心市街地商店街活性化に関する考察―社会構造の変化を踏まえて―”. TORCレポート No.26 (とっとり地域連携・総合研究センター) (2005).
  34. J.フロント リテイリング Annual Review 2011 (Report). J.フロント リテイリング. 2011-7-9. {{cite report}}: |date=の日付が不正です。 (説明)
  35. 『国土審議会調査改革部会 第4回国際連携・持続的発展基盤小委員会配付資料 人口減少下での活力ある地域社会と二層の広域圏形成に資する国土基盤の現状と課題(資料編)』(レポート)、国土審議会調査改革部会、2000年6月。
  36. 「鳥取大丸」名消える 創業時の丸由百貨店で営業継続 - 日本海新聞 2022年5月23日
  37. 大丸だった百貨店が「73年前の名称」に逆戻り、読み方の異なる「丸由」に変更 - 読売新聞オンライン 2022年5月24日
  38. エフ・ジェイ ホテルズ プレスリリース 2013年03月04日
  39. 四万十プラザ閉店のお知らせ”. 高知大丸 (2021年3月1日). 2021年7月18日閲覧。
  40. https://www.wwdjapan.com/articles/421107
  41. 日興リサーチセンター「香港―経済・産業・主贅企業の概要」1993年12月 http://www.wako.ac.jp/souken/touzai95/tz9504hyo2.html
  42. 中国語版ウィキペディアからの抜粋翻訳
  43. 台湾通信 2012.08.20
  44. 欧州企業のタイ流通・小売市場参入
  45. 大丸オーストラリア事業の撤退に関するお知らせ2001/9/25
  46. 大丸の海外事業 - 関西学院大学 経営戦略研究科
  47. 奥田務 私の経営
  48. 教育社新書 産業界シリーズ「百貨店業界」、中元歳暮期カタログ他 J.フロントリテイリング・グループ広報
  49. 2008年9月13日付日本経済新聞紙面より
  50. J.フロント リテイリング株式会社の2009年1月26日付プレスリリース「浜松市鍛冶町地区再生事業への出店の断念について」より
  51. (三百年史 2018, p. 299)
  52. J.フロント リテイリング、大丸松坂屋百貨店の組織体制、役員および部長級以上の異動について』(PDF)(プレスリリース)J.フロント リテイリング、2010年1月8日https://www.j-front-retailing.com/_data/news03/news100108_03.pdf2023年2月14日閲覧
  53. 斉藤絵美 (2005年10月26日). “JR三田駅前の商業ビル オープンから1カ月”. 神戸新聞 (神戸新聞社)
  54. “JR三田駅前に、大型商業施設”. 日本経済新聞 (日本経済新聞社). (2005年9月15日)
  55. 三田阪急 来秋までをめどに閉店へ コロナ感染拡大で客減”. 神戸新聞. 2020年12月21日閲覧。
  56. 三田阪急、16年の歴史に幕 「小さくて身近な店」惜しむ声”. 神戸新聞. 2021年8月2日閲覧。

参考文献

  • J.フロント リテイリング株式会社『大丸三百年史』2018年12月。

関連項目

  • 大丸ヴィラ(迎賓館)
  • 阪神タイガース(日本シリーズ優勝の際は、こちらで優勝セールを行う。ただし、心斎橋店・梅田店は阪神百貨店と競合するため許諾が受けられなかった)
  • オリックス・ブルーウェーブ(日本シリーズ優勝の際は、神戸店で優勝セールを行っていた。神戸市内の同業他社(そごう神戸店、当時ハーバーランドにあった神戸阪急)も行っていた)
  • 大和(石川県・富山県を地盤とする地方百貨店。創業時は大丸との提携により「宮市大丸」を名乗っており、旧社紋は大丸旧社紋の丸を加賀藩主前田氏家紋であり宮市大丸が統合した丸越の社紋の一部でもあった梅の形に置き換えた物を使用。経営統合前の大丸の株主でもあり、現在もJフロントリテイリングの株主。)
  • デッチーくん 元は京都店のマスコットキャラクター。大丸松坂屋百貨店の発足後は、松坂屋上野店のマスコットであった「さくらパンダ」とともに、同社のイメージキャラクターとなった。長崎大丸のキャラクターであった「政どん(現:でっちー)」も、デッチーくんとほぼ同じ造形である。
  • 中田ダイマル
  • 毎日放送(設立当初からの大株主。ただし、現在は株主から離れている)
  • 礒村春
  • ディーズファッション専門学校

外部リンク

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