性同一性障害

性同一性障害(せいどういつせいしょうがい)・性別違和(せいべついわ)・性別不合(せいべつふごう)は、「出生時に割り当てられた性別とは異なる性の自己意識を持ち、自らの身体的性別に持続的な違和感を覚える状態」をいう医学的な診断名および状態像。アメリカ精神医学会DSM-5では性別違和WHOICD-11では「Gender Incongruence」と呼称されるようになった。なお、2023年時点で日本の医学関連学会から構成される精神科病名検討連絡会は「Gender Incongruence」の訳語として「性別不合」を用いている[1]。以前は性転換症とも呼ばれた。

性同一性障害せいどういつせいしょうがい
概要
分類および外部参照情報
ICD-10 F64
ICD-9-CM 302.5
MedlinePlus 001527
MeSH D005783

日本では2004年に施行された、性同一性障害者の性別の取扱いの特例に関する法律に基づき、要件を満たしている性同一性障害者は戸籍上の性別変更を申し立てることができる。名の変更は、性同一性障害の身体治療状況に関わらず、戸籍法107の2条に基づいて申し立てることができ、裁判官に正当な理由があると判断されれば許可され変更できる。

性同一性障害の者は、gender identity disorder当事者の略としてGID当事者(ジーアイディーとうじしゃ)などと呼ばれる。

なお、体の性の変異に関わる性分化疾患同性愛など性的指向は、それぞれ性同一性とは別個の概念であり、性同一性障害とは別のものである。また異性装も別の概念であり、異性装者でも性同一性障害とは一切関わりのない場合がある(後述参照)。

性同一性障害のデータ
ICD-10 F64
DSM-IV-TR 302.85
統計
世界の患者数 不明
日本の患者数 不明
学会
日本 GID学会

日本精神神経学会

世界 WPATH
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概念

人は、意識するしないにかかわらず「自身がどのような人間か、社会の中でどのように振るまう存在かという自己の認識(自己同一性、アイデンティティー)」をもって生きており、そのうち特に「自身がどの性別に属するかという感覚、どのような男性や女性、或いは性別的ありかたを持っているかについての自己の認識」を性同一性という。

性同一性は、医学界におけるGender Identity (gender [性] - identity [同一性])[2] への伝統的な訳語であり[3]、「男性または女性としての自己の統一性、一貫性、持続性[4]」「自身がどの性別に属するかという感覚、男性または女性であることの自己の認識[5][6]」という意味をもつ。その他の訳語として「性の自己意識」「性の自己認知」「自己の性意識」「性自認」、カタカナ表記として「ジェンダー・アイデンティティ」があり、いずれもほぼ同義である[7]

人々のうち大多数の者の性同一性は、生物学的性別と一致する。身体が男性で性同一性は男性、身体が女性で性同一性は女性である。人々のうち性同一性障害を抱える者の性同一性は、生物学的性別と一致しない。身体が男性で性同一性は女性、身体が女性で性同一性は男性である。この「同一性」とは、「心の性と身体の性が同一」という一致不一致の意味ではなく、アイデンティティー(同一性)、「環境の変化や時間の経過の中でも一貫して連続性を保ち続けている」という意味においての「同一性」である[8]。性同一性障害は、性同一性そのものに異常や障害があるわけではなく、また性同一性が“無い”わけでもない。性同一性障害を抱える者も、そうでない大多数の者も、一様に人はそれぞれに性同一性を持っており、いずれも概して正常である。大多数の者(シスジェンダー)は性同一性と身体の性とが一致し、生来からそれを疑うことなく意識しないほどに至極当然であるため、自身の性同一性を客観的に実感したり認識したりすることが難しい。

性同一性は、性的指向(恋愛の対象とする性別)とは切り離すことのできる概念であり、性同一性がどちらの性別であるかに関して、性的指向はその基軸にはならない。性的指向は相手がいることで成り立つが、性同一性はあくまで自分一人の問題[9]、自己の感覚や認識である。人は物心ついた頃から、おおむね幼年期や児童期頃には(身体的性別とは別に)自己としての性を認識するが、その多くは他者に恋愛感情を持つことで初めて認識するわけではない。性同一性は、単なる(社会的・文化的な)「男らしさ、女らしさ」とも別である。たとえば女性的な男性がすなわち性同一性が女性というものではない。「自分は男らしくない男性」と自覚していても、自己としての性の意識が男性であれば、性同一性は男性である[6]

多数の人々は、性的特徴に基づいて出生時に割り当てられた性別と齟齬のない性同一性を有するが、自身の身体の性別を認識しながらも、自身の性同一性が一致しない人々もいる。そのなかで著しい苦痛を感じる状態を医学的に性同一性障害と呼んできた歴史がある。

過去、性別は身体の形状や、性染色体によって決定される一意的なものと考えられてきた。しかし、先天的に染色体、生殖腺、もしくは解剖学的に性の発達が非定型的である状態にある性分化疾患の症例を研究するうち、性分化疾患の場合、身体の性と性同一性はそれぞれ必ずしも一致しない場合があることがわかった[10]。性同一性障害は、何らかの原因で、生まれつき身体的性別と、性同一性に関わる脳の一部とが、それぞれ一致しない状態で出生したと考えられるようになった[11][12]

性同一性障害を抱える者は、身体の性別と性同一性の齟齬に違和感をもったり嫌悪感を覚えながら、生活上のあらゆる状況において身体上の性別に基づいて生活し、また周囲から扱われることを強いられるため、精神的に著しい苦痛を受けることも少なくない。そうした著しい苦痛に対しては、精神医学的な立場からの治療・援助が必要になる場合もあるほか、自身の性同一性に沿った性別での生活や、身体への移行することがある。この性別の移行は容易なものではなく、性別の社会的扱いで混乱に巻き込まれることも多く、法的・公的な扱いとの齟齬もあって、社会生活で不本意な扱いを強いられることもある。

日本では、こうした性同一性障害を抱える人々への治療の効果を高め、社会生活上のさまざまな問題を解消するために、2003年7月16日に性同一性障害者の性別の取扱いの特例に関する法律を公布、翌年の2004年7月16日に施行した。この法律により、定められた要件を全て満たせば、戸籍上の性別を変更できるようになった。日本国外では、多くのヨーロッパ諸国、アメリカやカナダのほとんどの州で、1970年代から1980年代から立法や判例によって性同一性障害者の法的な性別の訂正を認めている[13]。日本を含めこれらの国の法律は、性別適合手術を受けていることを要件の一つにしているが、新たに21世紀になってから立法したイギリスとスペインでは、性別適合手術を受けていることを要件とせずに法的な性別の訂正を認める法律を定めた[14]。反対にハンガリーでは2020年に性別変更自体を不可とし、翌年にはハンガリーにおける反LGBT法の施行により未成年の性教育に対してLGBTの描写を禁じた[15]

定義

性同一性障害は、Gender Identity Disorder (gender [性] - identity [同一性] - disorder [障害]) の訳語であり、医学的な疾患名である[16]。国際的な診断基準として、世界保健機関が定めた国際疾患分類「ICD-11」、米国精神医学会が定めた診断基準「DSM-5」があり、医師の診察においてこのいずれかの診断基準を満たすとき、性同一性障害(現在は性別不合もしくは性別違和)と診断する[17]

「ICD-11」では「体験されたジェンダーと指定された性との間の顕著な不一致」と説明している[18]。「性の健康に関連する状態群」に分類し、精神疾患としては扱っていない(「ICD-10」では「精神および行動の障害」に分類されていた)[18]

日本の「性同一性障害者の性別の取扱いの特例に関する法律」では、同法における「性同一性障害者」の定義を、

この法律において「性同一性障害者」とは、生物学的には性別が明らかであるにもかかわらず、心理的にはそれとは別の性別(以下「他の性別」という。)であるとの持続的な確信を持ち、かつ、自己を身体的及び社会的に他の性別に適合させようとする意思を有する者であって、そのことについてその診断を的確に行うために必要な知識及び経験を有する二人以上の医師の一般に認められている医学的知見に基づき行う診断が一致しているものをいう。性同一性障害者の性別の取扱いの特例に関する法律、第二条[19][20]

としている[19][20]

類似の用語との違い

トランスジェンダー

出生時点の身体の観察の結果によって医師により割り当てられた性別が、自身の性同一性(ジェンダー・アイデンティティ)と異なる人々を総称してトランスジェンダーと呼ぶ[21][22][23][24][25][26]。トランスジェンダーの人々の中には医療的なケア(ジェンダー・アファーミング・ケア)を受けるために性同一性障害の診断をもらう人々もいるが、性同一性障害と診断されなければトランスジェンダーではないということにはならない[27][28]

一部の人々は、性別違和の経験や性別適合手術を受けることがトランスジェンダーであるための条件であると考えており、この考え方はトランスメディカリズムと呼ばれている[29][30]。このトランスメディカリズムはジェンダー本質主義医療化に基づいた発想とみなされており、障害の医学モデルに関連する誤った定義だと批判されている[29][31][32]

トランスセクシュアル(トランスセクシャル)

当初、「トランスセクシュアル(transsexual)」という用語は[21][23]、「セクシャル」いわゆる身体性別に対し医学界において医学的もしくが自己の身体性に強烈で持続的な嫌悪感を持ち外科的な処置(性別適合手術など)によって自分の身体を性同一性と一致させた人々を指していた[33][34][35][35]

ただ、トランスセクシュアルは精神疾患と結び付けられてきた過去もあり、この医学界でよく用いられたトランスセクシュアルという名称を不快に感じる当事者もいるので、性別移行の有無に限らずあえて使わない人もいる[23][36]。そのため、性同一性障害の診断をもらってもトランスセクシュアルのラベルを用いるかどうかは個人で異なる。なお、「transsexual(トランスセクシュアル)」と「transsexualism(トランスセクシュアリズム)」の2つの用語は意味が異なり、後述するとおり「transsexualism」(日本語では「性転換症」)は完全に医学的な用語である[37]

名称の変遷

性転換症

世界保健機関(WHO)の『疾病及び関連保健問題の国際統計分類』(ICD)において、以前の「ICD-10」では「性転換症(Transsexualism)」【F64.0】が用いられていたが、2019年の「ICD-11」からは「性転換症」という言葉を使わずに「性別不合(Gender Incongruence)」という言葉を用い、これを「青年期または成人期の性別不合」【HA60】と「小児期の性別不合」【HA61】の2つに区分している[18][38]

この「ICD-11」の「青年期または成人期の性別不合」【HA60】と「小児期の性別不合」【HA61】の2つは、アメリカ精神医学会の『精神障害の診断と統計マニュアル』(DSM)、とくに2013年の「DSM-5」における「青年および成人の性別違和」【302.85】と「子どもの性別違和」【302.6】に相当する[18]

性別違和症候群

性別違和症候群は、元来、性転換症よりも、広範な概念を持つ。1980年のDSM第3版で性同一性障害が診断名として採択された。

  • 日本での初出は 小此木啓吾、及川卓 著『性別同一性障害』、中山書店〈現代精神医学体系(8)〉、1981年、NCID BB1078796X

2013年のDSM-5(第5版)では再び性別違和(同じ gender dysphoria だが症候群がない)の診断名となった。

性別違和の用語は、ハリーベンジャミン国際性別違和協会が、2006年に世界トランスジェンダー健康専門協会(: World Professional Association for Transgender Health)と改称されるまで性同一性障害と同意の内容を示すのもとしてアメリカ精神医学会を中心に使用されてきた。

なお「gender dysphoria」の中の「dysphoria」は違和感を意味し、ギリシャ語の「δυσφορια」に由来する(悪や苦痛を意味するδυσと、耐えることを意味するφοροςとの合成語で「不快」の意味)。現在も性別適合手術を受けていなくても当事者の法的性別変更を許可した英国のジェンダー承認法において当事者に言及する際用いられているほか、オランダなどで米国の精神医学の紹介に関して性同一性障害の別称としてこの「性別違和症候群」という表現が用いられている。

他の概念や疾患との別

「同性愛」(ホモセクシュアル、ゲイ、レズビアン)
しばしば同性愛(ホモセクシュアル、ゲイ、レズビアン)と混同されることがあるが、これらは概念が異なり、両者には根本的な相違がある。同性愛は「恋愛の対象がどちらの性別であるか」の性的指向に関する概念であり、性同一性障害は「自己の性の意識はどちらの性別であるか」の性同一性に関する概念である[39]
同性愛は、男性が“男性として”男性を愛する、または女性が“女性として”女性を愛するものであり、自身の性別に違和感を持っているわけではなく、反対の性になりたいわけでもない[40]。性同一性障害は、恋愛の対象がどちらの性別であれ、その人自身が、性の自己意識と身体の性との不一致により、自身の生物学的性別への違和感、身体とは反対の性への一体感を持つ。たとえば、男性同性愛者の性同一性は男性であり、自分が男性であることにも、男性として扱われることにも違和感がなく、“男性として”男性を愛している。性同一性障害当事者 (MtF) の性同一性は女性であり、自分の身体が男性であること、男性として扱われてしまうことに違和感をもつ。誰を好きであるから性別に違和感を持つという表面的な程度ではなく、根源的に「身体の性別が違う」という感覚を有している。
性同一性障害において「心の性」「心は男性・女性」といった表現があるが、他方で、性的指向を基準とした「心の性」の記述、たとえば男性同性愛者を指して時に「心が女性」という形容や認識がなされ得る。この言葉上の混同により、当事者による「自分は性同一性障害で心の性が女性」との説明に、他者にはあるいは「男性が好きということか。つまり同性愛」と受け取られかねない。性同一性障害における「心の性」とはあくまで「性同一性 gender identity」という用語を便宜的に平たく表現したものであり、そして男性同性愛者は性同一性が女性であるから恋愛の対象が男性というわけではない。
性的指向と性同一性とは別の概念であり、別個に捉える必要がある。性同一性がどちらの性別であるかに関して、性的指向はその基軸にはならない。性同一性障害を有する有さないに限らず、異性愛、同性愛は存在する。性的指向は相手がいることで成り立つが、性同一性はあくまで自分一人の問題である[9]。たとえば「ある女性が、女性を愛する(同性愛)。すなわち性同一性(心の性)が男性ということであり、その女性同性愛者は性同一性障害である」という理解は全くの誤りである。もしその女性自身に性の自己意識と身体の性との不一致を抱えていたとしたら性同一性障害であり、抱えていないとしたら性同一性障害ではない。このとき、その女性がどちらの性別を恋愛の対象としているかは別の事柄である。
性同一性障害の当事者のうち、FtM の恋愛対象は女性、MtF の恋愛対象は男性である場合が多く[41]、これらは同性愛ではなく異性愛となる。
「異性装」(男装、女装)
性同一性障害の当事者は、大多数の人々と同じく、あくまで性の自己意識に基づく服装をしているのみであり、男装女装などの異性装とは異なる[42]。人が異性の装いをする理由はさまざまにあると見られるが、服装の好みによるもの、性的嗜好によるもの、サブカルチャーにおける服飾などであり、いずれも性の自己意識に基づく装いが由来ではない。どのような様態であれ、身体の性とは反対の性別の装いである事由が、性の自己意識と生物学的性別との不一致によるもの以外のあらゆる事例は性同一性障害と見ることはできない。また異性装者は、純粋にそれを楽しむためや、あくまで趣味と捉えていることが多い。性同一性障害を抱える者は、家族や親類との関係や仕事への就業と雇用、外科的手術、戸籍上の名や性別の変更など、まさに一つの人生そのものの問題であり、とても趣味や楽しみと呼べるものではない。加えて、「男装」「女装」という言葉は、「女性(男性)が、男(女)の装いをする」という、つねに身体的性別を前提および明示とする表現であるため、性同一性障害の当事者は、他者から「男装」「女装」との誤解や呼称をされることを嫌悪する場合がある[42]
「ニューハーフ」
ニューハーフ和製英語new-half)とは、女性のようにふるまう男性を指し[43]、日本における造語である。並びに「トランスジェンダー」という言葉が日本へ流入する前の1980年代に産まれた、トランス女性やMtFに対する造語でもある[44][45]。また、疾患名である性同一性障害と全く同義ではない[46]。ニューハーフと呼ばれる人のなかには、性別に違和感を持たない男性(近年は女装家と呼び、ニューハーフとは分けるようになっている)もおり、またその一方で、性同一性障害を抱える者もいる。他方、多くの性同一性障害の当事者はごく一般的な仕事に就いており、職業的な意味合いのニューハーフではない。また、ニューハーフは自ずと身体的性別が公にあることを前提とする職業となり、GID当事者の多くはそうした特殊な環境を希望しない。性同一性障害を抱えることと、個人としていずれか特定の職業に対する適性の有無とも全く関連はない。とくに性同一性障害が広く知られていなかった過去において、性同一性障害が理由で一般的な仕事に就くことができない、あるいはこうした仕事にしか就けないものと思い込んで、「ニューハーフ」に従事する当事者も多くいたが、適性がないと感じて悩む事例もまた多くあった[47]
「おかま」
おかま」とは「肛門」[48]の別名で、転じて男性同性愛者を指すものとなった俗語であるが、現在では差別用語とされる[48]。性同一性障害 (MtF) は男性同性愛者と同じではない。また、本来この言葉は性的な意味合い(肛門による性行為の意)があり、かつ同性愛者に対する侮蔑の意図を含むため、もとより他者への呼称に使われるべきものとは言えない[49]。また、世間では「おかま」の本来の意味合いを知らないまま混同し、「女っぽい男」「男を好きな男」「女の格好をした男」など、いわば「一般の男性像とかけ離れた者」に対して、なんとなくうやむやに使いつづけられているのが現状である。ただ、「女っぽい男」はその人の性格であり、「男を好きな男」は同性愛であり、「女の格好をした男」は女装であり、それぞれは全て別々で異なる概念である[48]
「性嗜好」
性同一性障害は、大多数の人々と同じくあくまで性の自己意識に基づいた服装をしているものであり、性的快感を求めるための手段や性的欲望を満たす目的として異性装を行うなどの性嗜好ではない[39]

性同一性障害の当事者の一部には、上記の概念のうち主として「同性愛」あるいは「ニューハーフ」と重なることはあるが、これらはその個人としてのありかたの一つであり、多くの当事者は上記の全ての概念と重ならない。諸々の概念はそれぞれとしての事象であり、それぞれとして明確に区別して考える必要がある。

性同一性障害を抱える者は、性の自己意識と身体の性とが一致しない以外は一般の人々となんら変わりはない[50]。そして多くの当事者は、性の自己意識に基づく性別での普通の生活をすることを第一義としている。身体的性別も公にしたがらないため、いたずらに自身が性同一性障害の当事者であることをわざわざ周囲の人に告げることもない。とくに、戸籍上の性別の変更をすでに終えた当事者の場合、自身が性同一性障害であったことすら意識せず平静な日々を送っていることも多い。性同一性障害の当事者が世に表立つことはほとんどないため、大多数の人々は性同一性障害の実際を目にする機会は少ないといえる。

性同一性障害を専門の一つとするある医師は、インターネット上での性同一性障害に関する情報において、なかには誤謬のあるものや、悪質な嘘偽りも多く存在する、との旨を記している[51]。ある者が「性同一性障害」という言葉を用いた時、もしくはある者が「自分は性同一性障害」と自称した時、その者が、同性愛や趣味による男装や女装のことを性同一性障害だと誤認して用いている場合もあり得る[52]

診断

国際的な診断基準として、世界保健機関が定めた国際疾患分類「ICD-11」、米国精神医学会が定めた診断基準「DSM-5」がある。また、診断と治療のガイドラインとして、国際的な組織である世界トランスジェンダー・ヘルス専門家協会(WPATH)」による『Standards of Care for the Health of Transgender and Gender Diverse People(SOC)』がある。日本では、日本精神神経学会による『性同一性障害に関する診断と治療のガイドライン』があり、2002年に第2版、2006年に第3版、2012年の第4版が発表されている[53]

「ICD-11」では、「青年期または成人期の性別不合」と「小児期の性別不合」に分けられる[18]。いずれも、反対の性への移行願望ではなく「体験されたジェンダーと指定された性との間の顕著な不一致」を重視する概念として位置づけられている[18]

「青年期または成人期の性別不合」は、体験されたジェンダーと指定された性との間の顕著な不一致として、以下の2つ以上があてはまると診断される[18]。この不一致は少なくとも数ヵ月間持続していなければならない[18]

  • 一次および/または二次性徴(思春期では予期される二次性徴)に対する強い嫌悪または不快感
  • 一次および/または二次性徴(思春期では予期される二次性徴)の一部または全部をなくしたいという強い欲求
  • 体験されたジェンダーの一次および/または二次性徴に対する強い欲求
  • 体験されたジェンダーの人として扱われたいという強い欲求

「小児期の性別不合」は、思春期前の小児における体験されたジェンダーと指定された性との間の顕著な不一致として、以下の全てがあてはまると診断される[18]。不一致の体験が約2年間持続していることが診断には必要となる[18]

  • 自分の性器が指定された性とは異なったものでありたいという強い欲求、または自分の性別が指定された性とは違うという強い主張
  • 自分の性器に対する強い嫌悪感、または予期された二次性徴に対する強い嫌悪感、および/または自分が体験するジェンダーに一致した一次および/または予期される二次性徴に対する強い欲求

実際に性同一性障害を有する者は、幼児期や児童期の頃からすでに何らかの性別の違和感を覚えることが多い[54]

「青年期または成人期の性別不合」と「小児期の性別不合」いずれも性別異型的な行動や嗜好のみでは診断できず、臨床的な有意な苦痛や社会的な機能障害はどちらも診断に必須ではない[18]

日本精神神経学会による2012年の第4版『性同一性障害に関する診断と治療のガイドライン』では、診断はおよそ次のように行われる。

  1. 生活歴の聴取
  2. 性別違和の実態の整理(ICDやDSMを参考とする)
    • 自らの性別に対する継続的な違和感・不快感
    • 反対の性に対する強く持続的な一体感
    • 反対の性役割を求める
  3. 身体的性別の判定
    • 染色体、ホルモン、内性器、外性器の診察・検査
  4. 除外診断
    • 統合失調症などの精神障害によって、本来のジェンダー・アイデンティティを否認したり、性別適合手術を求めたりするものではないこと。(注 「統合失調症等他の精神疾患に罹患していることをもって、画一的に治療から排除するものではない」)
    • 文化的社会的理由による性役割の忌避や、もっぱら職業的又は社会的利得のために反対の性別を求めるものではないこと。
  5. 診断の確定
    • 以上の点を総合して、身体的性別とジェンダー・アイデンティティが一致しないことが明らかであれば、これを「性同一性障害」と診断する。
    • 性分化疾患、性染色体異常などが認められるケースであっても、身体的性別とジェンダー・アイデンティティが一致していない場合、これらを広く「性同一性障害」の一部として認める。
    • 性同一性障害に十分な理解をもつ精神科医が診断にあたることが望ましい。2人の精神科医が一致して「性同一性障害」と診断することで診断は確定する。2人の精神科医の意見が一致しない場合は、さらに経験豊富な精神科医の診察結果を受けて改めて検討する。

性同一性障害の診察や診断には、そのことに関する正確な知識、充分な理解を持つことが望まれる。また治療者は受容的かつ共感的な態度が要求される。治療者側が、性同一性障害についての心性を理解できず、陰性感情を抱き、受容的共感的な態度が保持できない場合は、性同一性障害に対する治療者として不適切であり、治療をおこなうべきではない[55]

分類

医療者において、性別違和を主訴とする症例を「primary」と「secondary」(「一次性」と「二次性」)にわける分類がある。また、日本では「中核群」と「周辺群」(Core & Periphery groups) という分類もある。この二つの分類法は、内容は一見すると似ているが、それぞれの概念や発祥、経緯などが別々で、同一にはできない。

医師によって分類の定義がやや異なることがあり、かつ過去において定義の変遷を経ているが、おおむね以下のような分類となる。

Primary & Secondary (一次性と二次性) [56][57][58]
Primary(一次性)
これまでどの時期においても、性の自己意識に揺らぎがない。身体的性別への違和感を持つ時期が幼児期や児童期など比較的早く、性指向が異性愛(FtM は女性、MtF は男性に対して)。
Secondary(二次性)
性の自己意識に揺らぎがあり、身体的性別への違和感をもつ時期が比較的遅く、性指向が同性愛(FtM は男性、MtF は女性に対して)または両性愛。
中核群と周辺群 (Core & Periphery groups) [59][60]
中核群 (Core groups)
性同一性障害の典型例。性の自己意識に揺らぎがなく、身体的性別への持続的な嫌悪感、身体とは反対の性への持続的な同一感があり、一貫してホルモン療法や性別適合手術などの医学的治療を強く求める。
周辺群 (Periphery groups)
自身の身体的性別への違和感を持っているが、性の自己意識に揺らぎがあったり、ホルモン療法や性別適合手術などの医学的治療を自ら望まない、あるいは迷いがある。

原因

原因は解明されていないが、「身体的性別とは一致しない性別への脳の性分化」が有力で、これが主たる原因と考えられている[61]

人の胎児における体の性分化(男性化・女性化)の機序は極めて複雑であり、数多くの段階をたどる。その過程は、一つでもうまく働かないと異常を起こし得る至妙な均衡のうえに成り立っており、多くの胎児では正常に性分化し発達する一方、性分化疾患におけるさまざまな事例など、人の体の性は必ずしも想定される状態に性分化、発達するとは限らない。胎児期の性分化では、性腺や内性器、外性器などの性別が決定された後、脳の中枢神経系にも同様に性分化を起こし、脳の構造的な性差が生じる[62]。この脳の性差が生ずる際、通常は脳も身体的性別と一致するが、何らかによって身体的性別とは一致しない脳を部分的に持つことにより、性同一性障害を発現したものと考えられる[12]

男女の脳の差が明らかになるにつれ、この生物学的な要因を根拠づけるいくつかの報告がある[11]。ヒトの脳のうち、男女の差が認められる細胞群はいくつか存在し、そのうちの分界条床核と間質核の第1核とが、人の性同一性(性の自己意識・自己認知)に関連しているとみられる示唆がある。分界条床核と間質核の第1核は、女性のものより男性のものが有意に大きいが、生物学的男性の性同一性障害当事者 (MtF) における分界条床核や間質核の第1核の大きさを調査した結果、女性のものと一致していた[63][64]

また、性ホルモンに関わる遺伝子に特徴が示されている研究結果もある。

  • 分界条床核
    • 性に関わりの深い分界条床核 (BNST) は、男性のものは女性よりも1.4倍ほど有意に大きい。特に分界条床核の神経細胞のうち、ソマトスタチン陽性神経細胞の数が男性のものは女性より多い[65]。脳の研究をおこなっているオランダの学者スワーブ Dick F. Swaab らによる調査[66] では、性同一性障害の当事者 (MtF) 6名の脳を死後に解剖した結果、分界条床核の大きさは、男性のものより有意に小さく、女性のものとほぼ同じであった[11][63]。分界条床核(人間の性に深い関わりがあるとされる神経細胞群で、男性のものは女性よりも有意に大きい)の体積を測定したある調査[67] では、男性、女性、男性同性愛者、性同一性障害 (MtF) のそれぞれ複数名が被験者となったが、当事者 (MtF) は女性とほぼ等しく、男性同性愛者は男性とほぼ同じ傾向を示した(性的指向と分界条床核の大きさとの関連は見られなかった)[11]。ソマトスタチン陽性神経細胞の数も明らかに少ない[68]。この6名の当事者は、性別適合手術(精巣摘出)を受けており、エストロゲンを投与していたが、分界条床核の大きさは成人における性ホルモンの影響を受けない。前立腺がんの治療のためにエストロゲンの投与を受けた男性における分界条床核の大きさの減少はみられず、また副腎皮質腫瘍によるアンドロゲン産生や閉経後のためにエストロゲンが低下している女性において、分界条床核の大きさに平均値との差は認められない[69]。当事者における分界条床核の大きさは成人後の性ホルモンが原因ではないことがわかる[70](当事者 (MtF) 6名の性的指向は、うち3名が女性、2名が男性、1名が両方に対して。また、この調査において男性同性愛者の分界条床核の大きさは男性異性愛者と等しく、有意な差はみられなかった。性的指向との関連はみられず、性同一性との関連の示唆がある)。
  • 間質核の第1核
    • 前視床下部の間質核 (INAH) は4つの亜核からなる。間質核の第1核の大きさには男女の差があり、女性と比べて男性のほうが約3.5倍大きい[71]。オランダの学者スワーブ Dick F. Swaab らによると、性同一性障害 (MtF) 5名の脳を調べた結果、間質核の第1核の大きさは5例すべてにおいて女性とほぼ同じであった[72](男性異性愛者と男性同性愛者との有意な差はみられなかった[73])。
  • 性ホルモン関連の遺伝子
    • 性同一性障害の研究をしているスウェーデンの学者ランデン Mikael Landén による遺伝子に関する研究結果[74] があり、性同一性障害の当事者 (MtF) の遺伝子に特徴が示唆されている。性ホルモンに関わるアロマテーゼ遺伝子、アンドロゲン受容体遺伝子、エストロゲン遺伝子の繰り返し塩基配列の長さを調べた結果、当事者 (MtF) においてはこれが長い傾向を示した。これは、男性ホルモンの働きが弱い傾向であることを示している[75]

治療

性同一性障害の診断と治療の指針である日本精神神経学会「性同一性障害に関する診断と治療のガイドライン (第3版)」では、社会への適応のサポートを中心とする精神科領域の治療と、身体的特徴をジェンダー・アイデンティティと適合する性別へ近づけるための身体的治療ホルモン療法乳房切除性別適合手術美容整形医療脱毛など[76])で構成される。性同一性障害に対する診断と治療への理解と関心、充分な知識と経験を持った医師らによる医療チーム(診療科はおもに精神科、形成外科、泌尿器科、産婦人科など)が診断と治療をおこなう。

性同一性障害の診療の始めが精神科領域の治療であるのは、おもに精神的サポートや助言、当事者の「人生をどのように生きるか」などの希望を明らかにするため、除外診断をおこなうなどのためにある。身体的治療は、精神科領域の治療の後も性別の不一致による苦悩が続き、本人自らが身体的治療を希望する場合において、医療者による適応の判定を経て、本人の自己責任と自己決定のもとに選択する。身体的治療への移行は、精神科領域の治療と性同一性障害の診断の確定を省くことはできない。

なお、性同一性障害に対し、「心のほうを身体の性に一致させる」という治療は、以下の経験的、現実的、倫理的な理由によりおこなわれない。

  • 性同一性障害の典型例では、過去の治療においてジェンダー・アイデンティティの変更に成功した例がなく[77]、そのような治療は不可能だと判明している。性同一性障害に対する治療は、とくに日本国外において長い歴史があり、過去に幾度もジェンダー・アイデンティティを身体に合わせようとさまざまな療法が試みられてきたが、いずれもジェンダー・アイデンティティを変えることはできなかった[78]。性同一性障害の典型例では生物学的な要因が推測され、ジェンダー・アイデンティティの変更は不可能と考えられている。
  • 性同一性障害の当事者自身はジェンダー・アイデンティティの変更を望まないことが多いので、治療の継続が困難である。また、すでに当事者自身が、その身体の性別としての扱いに応えるべく努力し生きてきたという事実もある。いかに厳然と反対の性の身体で生まれようとも、いかに周りから常にその性別として扱われようとも、ついに最後まで屈することのなかった「性同一性」である。当事者自身も、さんざん悩み抜いた末に性別の移行を決断し医療機関を訪れている[79]
  • ジェンダー・アイデンティティは人格の基礎の多くを占めており、人に対する人格の否定につながる。人格と身体を比較したとき、人格を優先することこそ、人の倫理に沿う考えであるといえる[80]。性同一性障害の原因は、身体とは反対の性への脳の性分化が推測されているが、たとえば「脳を身体の性別に一致させる」という脳に対する外科手術は現在の医療水準では不可能であり[81]、またたとえ仮に可能であったとしても倫理的に大きな問題がある。

精神科領域の治療

精神科領域の治療としては、当事者のQOL(生活の質)の向上を目的として次のようなことを行う。

  • 非寛容によりもたらされがちな自己評価の低さを改善させる。
  • ジェンダー・アイデンティティやそれに基づく自己同一性を再確認させ、「自分は何者であるか」を明確にさせる。
  • 社会生活上に生じうる様々な困難を想定し、その対処法を検討させる。
  • 実生活経験(リアルライフ・エクスペリエンス、real life experience, RLE)を通じて、それに伴う困難も体験させた上で対処法を検討する。
  • 抑うつなどの精神症状を伴っている場合には、その治療を優先して行なう。
  • 最終的に、今後どのような治療を希望するかを冷静に決定させる。

これらの診療は性同一性障害かどうかの診断と重なる部分もあるので、平行して行われることも多い。

身体的治療

身体的治療には性同一性障害者の性別の取扱いの特例に関する法律に基づきホルモン療法を行い、特に性別適合手術は戸籍変更の上では必要不可欠な要件となる。

併せて、MtFには場合や必要に応じて、美容整形 医療脱毛 ・声帯手術・喉頭隆起切除術豊胸術 などがあり、FtMには乳房切除がある。

ホルモン療法

当事者の身体的性別とは反対の性ホルモンを投与することで、身体的特徴を本来の性(性の自己意識)に近づける治療。ジェンダー・アイデンティティに一致する性別での社会生活を容易にするとともに、身体の性の不一致による苦悩を軽減する効果が認められている。

性ホルモンの投与によって、身体的変化のほか、副作用をともない、また身体的変化には不可逆的な変化も起こり得る。ホルモン療法の開始にあたっては、性同一性障害の診断の確定のうえ、性ホルモンの効果や限界、副作用を充分に理解していることや、新たな生活へ必要充分な検討ができていること、身体の診察や検査、15歳以上(未成年者は親権者の同意が必要)であることなどのいくつかの条件がある。

FtM に対してはアンドロゲン製剤を、MtF に対してはエストロゲン製剤などを用いる。

投与形態は注射剤、経口剤、添付薬があるが、日本においては注射剤が一般的に使われる。添付薬に次いで注射剤が副作用が少ないが、長期にわたる注射のために、注射部位(多くは三角筋あるいは大臀筋)の筋肉の萎縮を引き起こすことがある。

生物学的女性へのアンドロゲン製剤、および生物学的男性へのエストロゲン製剤の投与をおこなった場合、次のような変化が起こり得る。なかには不可逆的な変化もあり得る。(※ 特に、生物学的男性における精巣萎縮と造精機能喪失[82]。生物学的女性における声帯の変化[83]

生物学的女性へのアンドロゲン製剤生物学的男性へのエストロゲン製剤

作用

  • 月経の停止[84][82][85]
  • 陰核の肥大[84][85][82]
  • 乳輪の色素変化
  • 声帯の変化(声が低くなる)[85][82]
  • 皮膚の乾燥、色素沈着[85]
  • 筋肉量の増加[84]
  • 髭や体毛の増加[84][85][82]、毛の質が硬くなる[85]
  • 爪、髪、体毛が硬くなる。
  • 性欲の昂進[85]
  • 男性形への体脂肪分布の変化[85]
  • 貧血の改善[85]

副作用

作用

  • 乳房の発達、乳腺組織の増大[85][82]、乳輪の色素変化[85]
  • 精巣の萎縮と造精機能喪失[82][85]、これによる勃起不全[85]
  • 皮脂の分泌量が低下し、皮膚がきめ細やかになる[85]
  • 筋肉量の減少[85]
  • 髭や体毛の減少[85]
  • 頭髪の増加、はげの改善[85]
  • 爪、髪、体毛が柔らかくなる。
  • 性欲の減退[85]
  • 女性形への体脂肪分布の変化(骨盤周囲への体脂肪の増大)[85]
  • 前立腺肥大症の場合には症状が改善[85]

副作用

  • 血栓症の危険が増大[84][85]
  • 心不全心筋梗塞脳梗塞の危険が増大[85]
  • 高プロラクチン血症の発現の可能性[84]
  • 肝機能障害の発現の可能性[84]
  • 乳汁の分泌、下垂体腺腫の可能性[85]
  • 血色素の減少(貧血気味になる場合がある[85]
  • 抑うつ的な気分や情緒不安定になる頻度が高くなるという報告があり、有意な差は認められなかったとの報告もある[85]
  • 体重の増加[86]

医学的対処を求めて受診する性同一性障害患者の中には、早急なホルモン療法の適用を望む者も多いが、ガイドラインにそった治療においては、性同一性障害の診断とホルモン療法の適応判定を省くことはできない。また、世界では第二次性徴を停止させる思春期ブロック療法もあるが、日本ではほとんど行われていない。

MtFの全身への性別適合手術と治療に関して

下記の性別適合手術や女性ホルモン治療の他に美容整形(顔の女性化手術(FFS)・喉頭隆起切除術[87][88][89]など)や医療脱毛・声帯手術・豊胸術などで外見を女性に近づけて生活の質を上げるために行う手術診療行為がある[90]

乳房切除

FtMの場合、アンドロゲンを投与しても乳房の縮小はほとんど起こらないので乳房切除術が必要となる場合がある。

乳房が小さい場合には乳輪の周囲を切開して乳腺など内部組織を掻き出し、余剰皮膚を切り取る方式をとる。これは瘢痕が目立たない。

乳房が大きい場合や(乳房を不快に思って圧迫するなどにより)下垂している場合には、乳房の下溝に沿って皮膚を切開する方式を用いる。乳頭は一度遊離させて適切な位置に移植する必要がある。瘢痕が目立つことも多い。

性別適合手術

外科的手法によって本来の性(性の自己意識)に合わせて形態を変更する手術療法のうち、顔面女性化手術(FFS)や喉頭隆起切除術や乳房切除術などがあるが主に内性器と外性器に関する手術を「性別適合手術」(sex reassignment surgery、SRS) という。

MtF に対しては、精巣摘出術、陰嚢皮膚切除術、陰茎切除術、女性外陰部形成術、造膣術(希望者のみ)などがある。FtM に対しては、子宮卵巣摘出術、膣粘膜切除・膣閉鎖術、尿道延長術、陰茎形成術がある。

MtF では精巣摘出および男性外性器切除術、FtM では子宮卵巣摘出によって、生殖能力(子供をつくる能力)は永久的に失われる[91]。これは不可逆で、もとに戻すことはできない。併せて、男性または女性としての新たな生殖能力も得られない。副作用としては、骨粗鬆症などの可能性から、ホルモン療法は生涯にわたって継続すべきものとなる[82]

手術の正式名称

手術療法は、過去には「性転換手術」とも呼ばれてきたが、現在では「性別適合手術」が正式な名称として用いられている[91]。原語は、英語の sex reassignment surgery であるが、“reassignment” は「再び割り当てる」という意味で、日本語訳として「性別再割り当て手術」「性別再判定手術」「性別再指定手術」がある。日本のGID学会、日本精神神経学会は「性別適合手術」を用いている。change(転換)を用いた「sex change surgery」という英語は用語として存在しない[91]

「性転換」という言葉

生物学においての「性転換」という用語は、雌雄いずれかに決定していた動植物の個体が生態として反対の性の機能を得ることに用いられる。また、当事者の性の同一性は生来から一貫しており、当事者は性別を「転換、チェンジ (change)」するものではないとして「性転換」という言葉を嫌うことがある[92][91]。他に使われる用語として「性の移行、性別移行 gender shift」「性別再割り当て、性別再割当 sex reassignment」「性別再判定」「性別再指定」がある。

現状

日本においては、法律に定められた要件を満たせば戸籍の性別変更が可能だが、そのために必要なホルモン療法や性別適合手術には健康保険の適用がなされていない。ただし、ホルモン療法については戸籍変更後であればホルモン補充療法という形で健康保険の適用を受けることができる場合がある(現在、戸籍変更後のホルモン補充療法への健康保険の適用をめぐって裁判になっており、被告国は健康保険の適用にならない旨を主張している[93])。また、性別適合手術においては経済的な負担を理由に健康保険の適用を求める当事者がいる一方、すでにある程度の当事者が自己負担で手術を受けて終えていることも性同一性障害特例法による性別の取扱いの変更数(2014年末現在までに総数5166名)[94] などから確認できる。

性別適合手術を経た人のうち、世間の認識との誤解に苦しんで自殺した人の割合は全体の4割に及ぶ。また、全体の7割は自殺を考えたことがあるとされている[95]

統計

日本精神神経学会・性同一性障害に関する委員会の調査速報値
2007年度末までの全国統計
全国の主要専門医療機関受診者総数7177名
  • FtM:4146名
  • MtF:3031名
調査対象は、岡山大や埼玉医大、大阪医大、関西医大など全国9つのジェンダークリニック。一人の患者が複数の機関で受診しているケースも含まれている。
2008年度GID学会での報告
  • 岡山大学病院 FtM:572人 MtF:345名(1998-2008.2 総受診者のうち、GIDが疑われた総数)
  • 札幌医科大学附属病院 FtM:197名 MtF:83名(GID外来開設-2007.12、総受診者数)
  • 大分大学医学部附属病院 FtM:27名 MtF:7名(2003-2008.2 総受診者のうち、GID診断総数)
  • 長崎大学病院 FtM:64% MtF:36%(2004-2007.12における初診症例数の構成比)
  • あべメンタルクリニック FtM:1013名 MtF:993名(1996.3-2008.2。相談件数)
  • 川崎メンタルクリニック FtM:401名 MtF:292名(2000-2007 総受診者のうち、GID診断総数)
Harry Benjamin International Gender Dysphoria Association『Standards of Care for Gender Identity Disorders, sixth version』(2001年)の統計
  • アメリカでは、FtM は107,000人に1人、MtF は37,000人に1人
  • オランダでは、FtM は30,400人に1人、MtF は11,900人に1人

法律

日本

日本では、「性同一性障害者の性別の取扱いの特例に関する法律」第2条において、「性同一性障害者」が同法第3条第1項各号に該当する場合、請求による家庭裁判所の性別の取扱いの変更の審判によって、民法をはじめとする各法令手続き上の性別が変更されたものとみなされる[96]。一般的には、戸籍法における「男女の別」の変更を示している。

第三条の定める要件は以下のとおり[19][20]。ただし、第4号の要件については2023年10月25日に最高裁判所大法廷憲法13条(個人の尊厳・幸福追求権)に違反し無効であると判断している[97]。 併せて、主に陰茎切除術などのMtFに必須であった「変更先の性別の性器に類似した外観を持つようにするための手術を必要とする要件」(本法3条1項第5号)については高裁にて検討されていないとしてここでは判断はせずに審理を高裁に差し戻した。

一  十八歳以上であること。
二  現に婚姻をしていないこと。
三  現に未成年の子がいないこと。
四  生殖腺がないこと又は生殖腺の機能を永続的に欠く状態にあること。
五  その身体について他の性別に係る身体の性器に係る部分に近似する外観を備えていること。

2項 前項の請求をするには、同項の性同一性障害者に係る前条の診断の結果並びに治療の経過及び結果その他の厚生労働省令で定める事項が記載された医師の診断書を提出しなければならない。性同一性障害者の性別の取扱いの特例に関する法律、第三条[19][20]

このほか「障害者基本法[98]や「障害を理由とする差別の解消の推進に関する法律[99](略称は障害者差別解消法)」でも性同一性障害は広く同法の対象となっており、企業などで雇用されている当事者が保護される法律となっている。

障害者基本法第4条2項にて「社会的障壁の除去は、それを必要としている障害者が現に存し、かつ、その実施に伴う負担が過重でないときは、それを怠ることによつて前項の規定に違反することとならないよう、その実施について必要かつ合理的な配慮がされなければならない。」とした[98]

これを受け、障害者差別解消法の中でも、この「合理的配慮」の実施が、日本国政府地方公共団体独立行政法人特殊法人については義務(強制)として、また一般事業者については努力義務として位置づけられている。

日本国外

先進国の多くでは、法律によって性同一性障害者の法的な性別の訂正または変更を認めている。

ヨーロッパ
イギリスでは2004年に法律 “Gender Recognition Act 2004” を制定[100]、スペインでは2007年に法律 “Ley de identidad de género” を制定[101]、ドイツでは1980年に法律 “Gesetz über die Änderung der Vornamen und die Feststellung der Geschlechtszugehörigkeit in besonderen Fällen” (Transsexuellengesetz - TSG) を制定[102]、イタリアでは1982年に法律を制定[102]、スウェーデンでは1972年に法律を制定[102]、オランダでは1985年に民法典に規定[102]、トルコでは1988年に民法典に規定[102]
北米
アメリカでは多くの州で[103]、カナダではほとんどの州で[102]、州法によって法的性別の訂正を認めている。
オセアニア
南オーストラリア州では1988年に法律を制定[104]、ニュージーランドでは1995年に登録法を改正[104]

歴史

  • 日本
    • 1969年 - ブルーボーイ事件。十分な診断をせずに安易に性別再判定手術を行なった医師が優生保護法違反により逮捕された[105]
    • 1997年5月28日 - 日本精神神経学会が「性同一性障害に関する答申と提言」を答申。
    • 1998年10月 - 埼玉医科大学が FtM の患者に対して、日本国内初の公式な性別再判定手術をおこなった。
    • 2001年10月11日−2002年3月28日 - ドラマ『3年B組金八先生』第6シリーズにおいて、主人公の一人に性同一性障害を抱える者として描かれた。当時この番組で初めて性同一性障害を知ったという人も多く[106]、一般に広く知られるきっかけとなった。
    • 2003年4月 - 東京都世田谷区議会議員選挙において、性同一性障害の当事者がそのことを明かしたうえで立候補を表明し当選した。立候補の際、世田谷区選挙管理委員会に対して戸籍上の記載とは異なる性別での届け出をし受理された。当選後の特別区議会議長会が発行する議員名簿にも申し出どおりの性別で掲載された。
    • 2003年7月10日 - 「性同一性障害者の性別の取扱いの特例に関する法律」(性同一性障害特例法)が成立[107]
    • 2004年7月16日 - 「性同一性障害者の性別の取扱いの特例に関する法律」が施行[96]
    • 2006年5月 - 兵庫県の小学校低学年の生徒が戸籍上の性別と異なり、女児として学校生活を送っている例が紹介された。
    • 2007年12月31日 - 第58回NHK紅白歌合戦において、性同一性障害を抱える歌手が、戸籍上の性別の記載は男性であったが、女性陣の紅組として出場した。
    • 2014年3月31日 - 中古車販売会社に勤務していた女性 (戸籍における記載) が自殺したのは、性同一性障害を理由に退職強要されたことが原因であるとして、遺族が岩国労働基準監督署を相手取り、労働災害であることを認定した上で遺族補償年金が受けられるよう求め、広島地方裁判所に訴訟を起こした[108]
    • 2018年 - お茶の水大学が戸籍上男性であっても性的違和のある生徒は女性として受け入れることを表明。また、日本女子大学などの私立女子大学も同様のことを検討中と報道された[109]
    • 2020年3月13日、大阪市タクシー会社・淀川交通に勤務する運転手が、性同一性障害を理由に乗務を禁じられたり、上司らから「気持ち悪い」などの暴言を吐かれるなどしたとして、大阪地方裁判所に慰謝料と未払い賃金の支払いを求め提訴した[110]
  • 日本国外
    • 2004年 - イギリスにおいて、性別適合手術を受けなくとも当事者の法的性別の変更を認める「Gender Recognition Act 2004」(性別承認法)が成立した。
    • 2006年 - スペインにおいて、性別適合手術を受けなくとも当事者の法的性別の変更を認める「Ley de identidad de género」が成立した。
    • 2009年2月27日 - オーストリアの行政高等裁判所において、仕事と家庭の事情で性別適合手術を受けられない当事者の法的な性別変更が承認された。
【法律】性同一性障害者の性別の取扱いの特例に関する法律
名古屋高裁決昭和54・11・8及び東京高裁決平成12・2・9における戸籍訂正に関する抗告事件などを背景に、2000年9月から自由民主党において南野知惠子が中心となって性同一性障害に関する勉強会を開始。途中中断するも2003年から活動を再開し、本法案を含む性同一性障害の法律的扱いについて検討が進められた。公明党でも浜四津敏子らが検討を進めており、2003年5月には自由民主党、公明党保守新党の与党によるプロジェクトチームが発足する[111][注釈 1]
2003年6月には与党で法案がまとまり、同年7月1日の参議院法務委員会で同委員会提出の法案となることが決定。同年7月2日の参議院本会議及び7月10日の衆議院本会議において「性同一性障害者の性別の取扱いの特例に関する法律」が成立した。2003年7月16日公布で、翌年の2004年7月16日に施行した[112]。これにより、同法の定める要件を満たすとき、家庭裁判所の審判により、性同一性障害者の戸籍上の性別の変更ができるようになった[113]
2008年6月10日、改正案が衆参両院本会議で全会一致で可決、成立し、一部の要件が緩和された[114]
2023年10月25日、最高裁判所大法廷が、性別変更には生殖能力を永久的に失うことを要件とする本法第3条第1項第4号は、憲法13条(個人の尊厳・幸福追求権)に違反し無効であると判断した(詳細は後述)[97]
【判例】性同一性障害者解雇事件
性同一性障害に伴うトラブルなどを理由にして行われた懲戒解雇が解雇権の濫用にあたるとされた裁判例がある。それが2002年の性同一性障害者解雇無効事件(懲戒処分禁止等仮処分申立事件、東京地方裁判所平成14年(ヨ)第21038号、東京地裁平成14年6月20日決定 労働判例830号13頁掲載)である。この事件は、男性として雇用された被用者(原告)が女性装での就労を禁止する服務命令に違反したことを理由の一つ(ほかにも4つの理由が挙げられている)として懲戒解雇されたことに対し、従業員としての地位保全および賃金・賞与の仮払請求の仮処分を申し立てたものである。東京地裁は、性同一性障害である被用者が女性の服装・化粧をすることや女性として扱って欲しいなどの申し出をすることは理由があることだとした。そして、使用者側(被告)は被用者(原告)からのこうした申し出を受けた後も善後策を講じなかったことや、女性の格好をしていては就労に著しい支障を来すということの証明がないことを指摘して懲戒解雇を権利の濫用であるとして無効とし、賃金の支払いを命じた[115][116][117][118]
【判例】性別変更要件(生殖能力喪失)違憲決定
2023年10月25日に最高裁判所大法廷において、性同一性障害との診断を受けた生物学的男性の性別変更の申立てに対する決定(性別の取扱いの変更申立て却下審判に対する抗告棄却決定に対する特別抗告事件、最高裁判所令和2年(ク)第993号、最高裁判所大法廷令和5年10月25日決定[97])があり、同法廷は、性別変更には生殖能力を永久的に失うことを要件とする本法第3条第1項第4号は、同規定の立法目的である、性同一性障害者である男性の妊娠といった現行法令が想定していない事態を防ぐということについて、「生殖腺除去手術を受けずに性別変更審判を受けた者が子をもうけることにより親子関係等に関わる問題が生ずることは、極めてまれなこと」であり、また、「法律上の親子関係の成否や戸籍への記載方法等の問題 は、法令の解釈、立法措置等により解決を図ることが可能なもの」と判断し、加えて、性同一性障害者に対する生殖腺の摘出の治療は必ずしも行われなくなっており、「医学的にみて合理的関連性を欠く制約」であると判断し、そのため同規定は「必要かつ合理的なものということはできない」として憲法13条(個人の尊厳・幸福追求権)に違反し無効であると、15人の裁判官全員一致の意見で判断した。
なお、本件事件の申立人の(生物学的)男性は、同法第3条第1項第5号に規定する「その身体について他の性別に係る身体の性器に係る部分に近似する外観を備えている」という要件についても憲法違反であることを予備的に主張しているが、最高裁判所はこの規定について審理を尽くさせるために、原審である広島高等裁判所に審理を差し戻した。これについて、「第5号に定める要件も憲法違反であり、申立人の請求を認容して性別変更の決定をするべきである」とする3人の裁判官(三浦守草野耕一宇賀克也)の反対意見が付されている。

性別移行者および性同一性障害者が登場する主な作品

性別移行者(性同一性障害者)が登場する主な作品を表示するには右の [表示] をクリックしてください。

「性別移行者」「性同一性障害者」「トランスジェンダー」に該当する人物が登場する作品。「性同一性障害」という概念が生まれる前の作品も含む。ただし、製作に当事者が直接関わっていない作品が大半のため、実際の性同一性障害者とは状態が異なる。例えば、同性を愛しすぎたゆえに異性になることを決意する、恋愛対象によって性同一性が再形成されるなどの表現、同性愛と性同一性障害の混同、さらに異性を演じる職務にある人物や女装趣味嗜好のある人物、「ごっこ遊び」的感覚を持つ同性愛者を性同一性障害であるかのように扱う表現、「ニューハーフ」「オカマ」などの言葉を「性同一性障害者」と同義語であるかのように使用するといった誤用がある。

TVドラマ

映画

<< Female to Male >>
<< Drag Queen >>
<< Male to Female >>

小説

漫画・アニメ・ゲームetc.

脚注

注釈

  1. 与党プロジェクトチームは座長:南野知惠子、座長代理:浜四津敏子、事務局長:山下英利、事務局次長:松あきらの体制であった。それ以前の自由民主党の勉強会には馳浩陣内孝雄も関わっており、2008年の改正案の検討会には、南野、山下、浜四津、松に加え、古川俊治が参加している[111]

出典

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