愧
愧(き)(梵: apatrāpya[1]、अपत्राप्य)は、仏教が教える善のひとつ。「自己の罪に対する畏怖」、もしくは「他を観察することによっておのれの過失を恥じること」[2]。他人に対して恥じること[3]。しばしば「慚愧」として扱われる。
涅槃経には、「慚はみづから罪を作らず、愧は他を教へてなさしめず。慚は内にみづから羞恥す、愧は発露して人に向かふ。慚は人に羞づ、愧は天に羞づ。これを慚愧と名づく。無慚愧は名づけて人とせず、名づけて畜生とす。」と説かれている。
脚注
出典
- 岩波仏教辞典 1989, p. 312.
- 櫻部・上山 2006, p. 114.
- 中村 2002, p. 96.
関連項目
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