真光寺町
真光寺町(しんこうじまち)は、東京都町田市の町名。「丁目」の設定のない単独町名である。郵便番号は195-0051[3]。
真光寺町 | |
|---|---|
![]() 和光中学校・高等学校 | |
![]() 真光寺町 真光寺町の位置 | |
| 北緯35度36分9.52秒 東経139度27分45.41秒 | |
| 国 |
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| 都道府県 |
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| 市町村 |
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| 地域 | 鶴川地域 |
| 面積 | |
| • 合計 | 1.017 km2 |
| 人口 | |
| • 合計 | 1,575人 |
| • 密度 | 1,500人/km2 |
| 等時帯 | UTC+9 (日本標準時) |
| 郵便番号 |
195-0051[3] |
| 市外局番 | 042 (相模原MA)[4] |
| ナンバープレート | 多摩 |
地理
町田市の北部に位置する。
北と北東は神奈川県川崎市麻生区黒川、東は真光寺一丁目、南には真光寺三丁目、南西は鶴川四丁目と大蔵町、西は小野路町と接する。
河川
- 真光寺川 - 真光寺町にある水源から真光寺一丁目に流れる。
歴史
武蔵国都筑郡余戸郷に属し、その後、多摩郡小山田庄三矢田郷に属し、その後、多摩郡柏木領に属した。
地名の由来
村の中央にあった池が夜になると光ったので「真光池」と呼ばれ、1388年(嘉慶2年)11月に天台宗の僧の長弁が寺院を開き「真光寺」としたことに由来すると伝わる[5]。
沿革
- 1590年(天正18年) - 徳川家康の領地になり、旗本 飯田右馬之助昌有の知行地になる。
- 1696年(元禄9年) - 幕府直轄地になる。
- 1698年(元禄11年) - 分割され、一部が旗本 漆戸兵助義格の知行地になる。
- 1704年(宝永元年) - 残りが旗本 岡部和泉守長興の知行地になる。
- 1868年(慶応4年、明治元年) - 武蔵知県事の管轄となり、その後神奈川県に移管される。
- 1871年(明治4年) - 区制により第三〇区となる。
- 1873年(明治6年) - 区番組制により第八区四番組となる。
- 1874年(明治7年) - 大区小区制により第八大区一小区となる。
- 1884年(明治17年) - 連合戸長役場制により小野路村戸長役場の管轄となる。
- 1889年(明治22年) - 真光寺村と大蔵村、小野路村、金井村、広袴村、能ヶ谷村、野津田村、三輪村が合併し、南多摩郡鶴川村大字真光寺となる。
- 1893年(明治26年) - 神奈川県のうち、西多摩郡、南多摩郡、北多摩郡を東京府に移管され、東京府南多摩郡鶴川村大字真光寺となる。
- 1943年(昭和18年) - 東京都制により、東京都南多摩郡鶴川村大字真光寺となる。
- 1958年(昭和33年) - 町田町、鶴川村、忠生村、堺村が合併し、町田市真光寺町となる。
- 1968年(昭和43年)8月1日 - 真光寺町、大蔵町、能ヶ谷町、広袴町の一部より、鶴川一〜六丁目を新設。
- 1999年(平成11年)2月27日 - 真光寺町と広袴町の一部より、真光寺三丁目を新設。
- 2003年(平成15年)5月31日 - 真光寺町と広袴町の一部より、真光寺一丁目と二丁目を新設。
交通
道路
- 東京都道・神奈川県道19号町田調布線(鶴川街道)
- 東京都道・神奈川県道139号真光寺長津田線(鶴川街道、真光寺十字路交差点が起点)
施設
- 鶴川サナトリウム病院
- 観泉寺
- 飯守神社
- 電力事業所
出典
- “土地・気象 【町田市統計書 第50号2016(平成28)年度発行】”. 町田市 (2017年3月21日). 2018年1月21日閲覧。
- “町丁別世帯数・人口表”. 町田市 (2018年1月15日). 2018年1月21日閲覧。
- “郵便番号”. 日本郵便. 2018年1月21日閲覧。
- “市外局番の一覧”. 総務省. 2018年1月21日閲覧。
- 森山兼光 『町田郷土誌』 1996年6月(久美堂)
- “市立小・中学校の通学区域”. まちだ子育てサイト(町田市) (2018年4月1日). 2018年4月1日閲覧。
関連記事
- 柳宗理 - 真光寺町に居住していた。
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