花園近鉄ライナーズ

花園近鉄ライナーズ(はなぞのきんてつライナーズ、: Hanazono Kintetsu Liners)は、大阪府東大阪市をホストエリアとしてJAPAN RUGBY LEAGUE ONEに所属しているラグビーチームである。

花園近鉄ライナーズ
クラブカラー   エンジ
 
愛称 ライナーズ
創設年 1929年
本拠地 東大阪市
グラウンド 東大阪市花園ラグビー場
収容人数 26544(第1グラウンド)
1300(第2グラウンド)
代表 小林純(顧問)
今里良三(統括)
駒喜多学(部長)
ヘッドコーチ 向井昭吾
所属リーグ JAPAN RUGBY LEAGUE ONE D1
ファースト
ジャージ
セカンド
ジャージ
公式サイト
https://hanazono-liners.jp/

概要

日本屈指の歴史と実績を有する、社会人ラグビーの名門チームである。ホームグラウンドは東大阪市花園ラグビー場(かつての近鉄花園ラグビー場)。愛称の「ライナーズ」は近畿日本鉄道が運行する近鉄特急アーバンライナー」に由来し、ラグビーでのスピード感と力強さを表現している。チームマスコットは近鉄特急アーバンライナーnext』をモチーフとした「トライナー君」が務めていたが、「花園近鉄ライナーズ」への改称を機にロゴ・エンブレムを一新するとともに、チームマスコットも近鉄特急『ひのとり』をモチーフにした「ライナマン(LINER MAN)」に交代した[1]

歴史

黎明期

1927年大阪電気軌道(通称大軌)社員の有志が集まり高安工場敷地でラグビーの練習を行った(この時、後の近鉄グループ総帥と呼ばれる佐伯勇も参加している)。この練習がきっかけで本格的にメンバーを募集しチームが出来た。その後、花園ラグビー場が開設された1929年に大阪電気軌道ラグビー部として正式に創設された。

戦前・戦中は組織だった全国大会は無かったが、1936年(昭和11年)3月の大阪実業団大会優勝を始め、同大会準優勝3回を誇る。しかし戦争が深まるにつけ次々に部員が召集され、あまり試合も練習も出来なくなっていった。またホームグラウンドである花園ラグビー場も農場や軍事教練場となってしまった。なお1941年(昭和16年)3月15日には大軌と同社の傘下会社・参宮急行電鉄が合併し関西急行鉄道(関急)となり、さらに1944年(昭和19年)6月1日関急と南海鉄道が合併し近畿日本鉄道(近鉄)が発足した。

黄金期

1947年(昭和22年)第2回国民体育大会関西予選で優勝し、金沢で行われた第2回国民体育大会に出場する。当時ステータスの高かった国体に出場できたことは大変な栄誉であった。またこの終戦間もない時代の遠征には物資難・食糧難・資金難など幾多の困難があったが、OBや社員の協力で参加することができた。

1948年度の第1回全国社会人ラグビーフットボール大会(各地域リーグの上位チームによるトーナメント、以下 全国社会人大会)に出場。しかし決勝で九州代表の配炭公団に 3-57 と大敗し準優勝に終わる。その後も八幡製鉄等の台頭により、優勝を争える力がありながら、なかなか頂点には届かなかった。加えて1952年度については、全国社会人大会の出場も逃した。巻き返しを図るため、近鉄の選手として初めて日本代表選手となった中島義信が同年度限りで現役を引退すると、翌シーズンより監督に就任することになった。

その甲斐もあり、1953年度に九州電力と両チーム優勝の形で初優勝。宿敵・八幡製鉄が九州電力に地区予選で敗れ出場を逃したという事情があったとはいえ、悲願の「日本一」を達成した。以後、中島が監督時代に、近鉄は同大会で5回の優勝を果たすことになる。

また、1956年に九州電力を決勝で破って、第1回大会以来続いていた九州勢の連続優勝を途絶えさせた。以後、第27回大会までに、優勝8回、準優勝9回に輝いている。特に、八幡製鉄とは全国社会人大会で1951年度から1968年度まで実に12回対戦。うち決勝戦では8回顔を合わせ、社会人チームの二強の一角としても長らく君臨した。戦績は近鉄の2勝10敗(決勝では1勝7敗)と大変分が悪く、加えて1958年度は決勝で、1968年度は準決勝で、それぞれ八幡に敗れて同大会3連覇を阻止された。

1956年度の第9回大会では1回戦から決勝までの全4試合すべてを無失点で優勝し「完全シャットアウト優勝」と言われた。この記録は以後一度も並ばれることは無かった。また同大会では、全55回のうち53回出場および50年連続出場という偉業を成し遂げたことも有名である。

1958年度に開幕した関西社会人リーグ創設時のメンバー[注 1]でもあり、第1回大会から11連覇、計17回優勝している(トップウェストでの優勝はカウントしていない)。

1961年度には日本選手権の前身であるNHK杯に出場し準優勝した。

1966年度、1967年度、1974年度には日本選手権でも優勝した。

なお、1969年度(1970年1月)は全国社会人大会で優勝し、第7回日本選手権の出場権を得たが出場を辞退した。この年の日本選手権はバンコクタイ)での第2回アジア選手権と日程が重複していた。多数の日本代表選手を輩出していた関西社会人Aリーグは事前に全7チームの監督名で日本協会に日本選手権の日程変更を申し入れていた。しかし大学の試験時期でもあり日本協会は日程変更せず、全国社会人大会優勝の近鉄はもちろん、準優勝のトヨタ自工、ベスト4の三菱重工京都らは関西勢の総意として棄権した。そのため日本協会は、ベスト4のもう1チームの富士鉄釜石(後の新日鉄釜石)に出場を打診し、富士鉄釜石もこれを了承し日本選手権に出場した。

低迷期

1974年度の日本選手権優勝を最後に、坂田好弘(現関西ラグビーフットボール協会会長)、小笠原博(元ワールド監督)らの日本代表経験を持つ選手らが引退し、さらに1976年度シーズン後に今里良三(元日本代表監督、元近鉄ライナーズ部長)や原進(のちのプロレスラー、阿修羅・原)も現役引退。その後若返りを図ったが強化は思うようにいかなかった。

1977年度と1988年度の関西社会人Aリーグで優勝し、その後もAリーグに残留し全国社会人大会の連続出場記録を更新し続けたものの、目立った成績は挙げられなかった。

全国社会人大会には、第1回(1948年度)から最後の大会となる第55回(2002年度)までの間に、実に53回(歴代1位)の出場を果たした。この間、優勝8回(歴代4位)、準優勝9回(歴代2位)、通算137試合(歴代2位)、通算82勝(歴代2位)、50大会連続出場(1953年度-2002年度、歴代1位)という輝かしい記録を残した。

トップリーグ発足後

2003年度に開幕したジャパンラグビートップリーグに参加し、同時に「近鉄ライナーズ」のチーム名が定められた。2003年度のリーグ戦では3勝8敗で12チーム中10位に終わり入れ替え戦に回ったが、九州電力に47-24で勝利して降格を免れた。

しかし、翌2004年度は2勝9敗で12チーム中11位に終わり、大会規定によりトップウェストAリーグへの自動降格が決定した。チームはこれまで企業の福利厚生を目的とした部活の一環として経営してきたが、2005年度からは企業のシンボルスポーツとしての独立組織に一新させる方針で、運営予算も増額された。また責任者としてOBの今里良三(元日本代表、元近鉄監督、元日本代表監督)を抜擢した。

2005年度はトップウェストAリーグを7戦全勝で優勝し、チャレンジマッチ(トップイーストトップウェストトップキュウシュウの3地域の代表による順位決定戦)に進出。翌2006年度からトップリーグが14チームに拡大されるため、3チーム中2位までに入れば自動昇格による復帰を果たすことができたが、日本IBMビッグブルーに 0-39、コカ・コーラウエストジャパンに 12-15 と連敗し、入れ替え戦でもトップリーグで全敗した福岡サニックスブルースに20-46で敗れ、復帰を果たせなかった。

2006年度はトップウェストAリーグを2連覇して、チャレンジマッチに再挑戦。自動昇格をかけた三菱重工相模原との最終戦に 31-32 の僅差で敗れ自動昇格を逃した。さらに、その後に行われたIBMとの入れ替え戦でも終盤間際に同点 (29-29) に追いつかれた。この場合、大会規定でトップリーグのチームが残留するため、近鉄は2年連続してトップリーグへの復帰を果たせなかった。

2007年度のトップウェストAでは上位3強プレーオフ制度があり、3位以内に入ればチャレンジマッチ出場をかけたプレーオフに出場できる。トップリーグから降格してきたワールドファイティングブルと、ホンダヒートに敗れたものの、辛うじて3位でプレーオフ進出を決めた。プレーオフではホンダ、ワールドを撃破して、トップウェスト3連覇を果たし、チャレンジマッチ1の出場権を得た。チャレンジマッチではマツダブルーズーマーズ横河電機に快勝して1位でトップリーグ復帰を決めた。また33年ぶりに日本選手権に出場し、1回戦で慶應義塾大学を破ったが、続くトヨタ自動車戦は大接戦の末 (43-53) 敗れた。

2008年度はピーター・スローンをヘッドコーチに招聘し、トップリーグ昇格チームながら開幕2連勝、上位チームには勝てなかったが善戦しボーナスポイントを獲得した。下位チームには確実に勝ち、2試合を残して自動降格を回避した。また最終節を待たずに10位以上が決定し入替戦も回避して残留を確定した。最終順位は14チーム中9位であったが、復帰1年目としては好成績であった。

2009年度は更なるステップアップを目指し、大西将太郎高忠伸伊藤太進田中正純など関西出身の実力者を補強。さらにレオン・マクドナルドというビッグネームの補強もあったが、負傷者とコンビネーション不足などが影響し、11位となり入替戦に回った。しかし入替戦では横河に勝ちトップリーグ残留を決めた。

2010年度はリコ・ギアが加入。また、コンビネーションも向上し、しばらく勝てなかった神戸製鋼トヨタ自動車を破るという金星を挙げた。最終順位はトップリーグ最高タイの9位であった。なお、ピーター・スローンヘッドコーチの契約満了に伴い前田隆介コーチが2011年度より監督に就任することになった。

2011年度は開幕3連勝などの快進撃で、チームとしてはトップリーグで最高位の5位に食い込んだ。翌2012年度は中位チームとの対戦で取りこぼしが多く7位で終了した。

2016年3月には前田隆介監督の退任に伴い坪井章が監督に就任した。しかし2017年度は最終順位で16位(最下位)となり、トップチャレンジリーグに自動降格となった。

2018年度は、ヘッドコーチに前15人制女子日本代表監督である有水剛志が就任。トップチャレンジリーグの1stステージは全勝で通過したが、2ndステージで失速し3位となった。入れ替え戦に出場したが、日野レッドドルフィンズに敗れ、1シーズンでの昇格はならなかった[2]

2019年度、バックスコーチにショーン・ヘッジャーを迎えアタックを一新。トップリーグカップのプール戦を4勝1敗で終えるも、神戸製鋼戦での敗戦が響き、決勝トーナメント進出を逃した。

2021年7月16日、有水剛志HCの後任としてU-20日本代表のHCをつとめた水間良武HCを招聘、新リーグJAPAN RUGBY LEAGUE ONEの初年度は、DIVISION2(2部リーグ)に振り分けされることになった[3]。同日、チーム名称に花園ラグビー場を入れた「花園近鉄ライナーズ」への名称変更を発表した[4]2022年シーズンの2部リーグ戦は、8勝2敗で6チーム中2位となり、上位3チームによる順位決定戦で2部リーグ優勝を果たした[5]。また、1部への自動昇格が決まった[6]

2022-23年シーズンは、DIVISION1(1部リーグ)で活動。開幕から14連敗の後、2023年4月14日にコベルコ神戸スティーラーズを34-33で破った[7]。最終的にリーグ戦は、1勝15敗で12チーム中12位となった[8]。DIVISION2で全勝優勝した浦安D-Rocksと入替戦を行い、2戦2勝でDIVISION1に踏みとどまった。

2023年7月3日、ヘッドコーチに元日本代表監督である向井昭吾が就任[9]

タイトル

全国大会

最上位リーグ

下位リーグ

成績

全国社会人大会戦績

年度地区成績備考
11948関西準優勝21011757-40近鉄のチーム名で出場
21949大阪ベスト42101391722
41951阪和準優勝3201441628
61953阪和優勝[注 3]3210541143両チーム優勝
71954阪和ベスト42101271413
81955阪和準優勝3201842460
91956大阪優勝440066066
101957大阪優勝440065956
111958大阪準優勝4301341717
121959大阪準優勝4301602436
131960大阪準優勝430183677
141961大阪優勝4310551441準々決勝は引分(抽選で上位進出)
NHK杯に出場
151962大阪ベスト43201411328
161963大阪準優勝4301582533日本選手権に出場
171964大阪ベスト43201471730
181965大阪準優勝4301581741
191966大阪優勝440012813115日本選手権に出場
201967大阪優勝44001092089日本選手権に出場
211968大阪ベスト43201903159
221969大阪優勝440013926113
231970大阪ベスト82101341717
241971大阪ベスト4320116213149
251972大阪ベスト82101342311
261973大阪準優勝430114832116
271974大阪優勝4310574215準決勝は引分(抽選で上位進出)
日本選手権に出場
281975大阪ベスト8210150491
291976大阪ベスト82101591940
301977大阪ベスト43201502723
311978大阪ベスト82101441628
321979大阪ベスト8211055748準々決勝は引分(抽選で敗退)
331980大阪ベスト432015866-8
341981大阪ベスト821012933-4
351982大阪1回戦敗退1001929-20
361983大阪1回戦敗退1001636-30
371984大阪ベスト821011939-20
381985大阪1回戦敗退1001722-15
391986大阪1回戦敗退1001420-16
401987大阪1回戦敗退10011820-2
411988関西1回戦敗退10011315-2
421989関西1回戦敗退1001650-44
431990関西1回戦敗退10012151-30
441991関西ベスト821012444-20
451992関西1回戦敗退10011951-32
461993関西1回戦敗退1001345-42
471994関西1回戦敗退10012031-11
481995関西予選プール敗退310256126-70
491996関西予選プール敗退310240141-101
501997関西予選プール敗退300364143-79
511998関西予選プール敗退310278191-113
521999関西ベスト84202126171-45
532000関西ベスト821015174-23
542001関西1回戦敗退1001755-48
552002関西ベスト842021071034

トップリーグ創設以前

年度所属リーグDiv.順位試合勝利引分敗戦得点失点得失差備考
1958関西社会人リーグ1部優勝4400631746
1959関西社会人リーグ1部優勝55001122488
1960関西社会人リーグ1部優勝660015726131
1961関西社会人リーグ1部優勝550015717140
1962関西社会人リーグ Aリーグ1部優勝3300511734
1963関西社会人リーグ Aリーグ1部優勝33001063103
1964関西社会人リーグ Aリーグ1部優勝3210381226
1965関西社会人リーグ Aリーグ1部優勝44001199110
1966関西社会人リーグ Aリーグ1部優勝550019033157
1967関西社会人リーグ Aリーグ1部優勝65011646797同率優勝
1968関西社会人リーグ Aリーグ1部優勝65011565898
1969関西社会人リーグ Aリーグ1部4位63031185167
1970関西社会人リーグ Aリーグ1部3位64021425488同率
1971関西社会人リーグ Aリーグ1部優勝650120365138
1972関西社会人リーグ Aリーグ1部優勝660028056224
1973関西社会人リーグ Aリーグ1部優勝660021832186
1974関西社会人リーグ Aリーグ1部優勝660017758119
1975関西社会人リーグ Aリーグ1部3位64021527775
1976関西社会人リーグ Aリーグ1部2位650122072148
1977関西社会人リーグ Aリーグ1部優勝650120489115同率優勝
1978関西社会人リーグ Aリーグ1部4位630318711968同率
1979関西社会人リーグ Aリーグ1部5位6204122152-30
1980関西社会人リーグ Aリーグ1部2位750221012981
1981関西社会人リーグ Aリーグ1部6位7205114156-42
1982関西社会人リーグ Aリーグ1部5位730413011515
1983関西社会人リーグ Aリーグ1部4位740321195116
1984関西社会人リーグ Aリーグ1部3位74121446282同率
1985関西社会人リーグ Aリーグ1部2位750219379114同率
1986関西社会人リーグ Aリーグ1部3位740320013367
1987関西社会人リーグ Aリーグ1部3位750218610086
1988関西社会人リーグ Aリーグ1部優勝76011739677
1989関西社会人リーグ Aリーグ1部4位74031171089
1990関西社会人リーグ Aリーグ1部5位730418114734
1991関西社会人リーグ Aリーグ1部3位740316115011
1992関西社会人リーグ Aリーグ1部4位7403203242-39
1993関西社会人リーグ Aリーグ1部7位7205149192-43
1994関西社会人リーグ Aリーグ1部5位731320017030同率4位。順位は抽選による
1995関西社会人リーグ Aリーグ1部5位7304137252-115三すくみで4位。順位は当該チーム間の得失トライ差による
1996関西社会人リーグ Aリーグ1部5位7214222334-112
1997関西社会人リーグ Aリーグ1部4位730429525738三すくみで4位。順位は当該チーム間のトライ数による
1998関西社会人リーグ Aリーグ1部5位7304138224-86
1999関西社会人リーグ Aリーグ1部5位7304184268-84
2000関西社会人リーグ Aリーグ1部4位7313193210-17
2001関西社会人リーグ Aリーグ1部4位7403195236-41
2002関西社会人リーグ Aリーグ1部5位7304227280-53

トップリーグ

シーズン所属リーグDiv.順位試合勝利引分敗戦得点失点得失差勝点結果カップ戦日本選手権
2003-2004トップリーグ1部10位11308292510-21818リーグ戦:10位
入替戦:残留
  
2004-2005トップリーグ1部11位11209261514-25313リーグ戦:11位
トップウェストに自動降格
  
2005-2006トップウェストA2部優勝        リーグ戦:1位
トップチャレンジ1+入替戦:残留
  
2006-2007トップウェストA2部優勝        リーグ戦:1位
トップチャレンジ1+入替戦:残留
  
2007-2008トップウェストA2部優勝        リーグ戦:1位
トップチャレンジ1:トップリーグに自動昇格
 ベスト8
2008-2009トップリーグ1部9位13508319348-2928リーグ戦:9位  
2009-2010トップリーグ1部11位13418218348-13023リーグ戦:11位
入替戦:残留
  
2010-2011トップリーグ1部9位13607277344-6731リーグ戦:9位  
2011-2012トップリーグ1部5位138053413113039リーグ戦:5位  
2012-2013トップリーグ1部7位136073563084833リーグ戦:7位  
2013-2014トップリーグ1部10位7205139167-2813リーグ戦:1stステージ・プールB・6位  
75021871582927リーグ戦:2ndステージ・グループB・2位
2014-2015トップリーグ1部12位7403182178422リーグ戦:1stステージ・プールB・5位  
7403167168-125リーグ戦:2ndステージ・グループB・4位
2015-2016トップリーグ1部7位7502189193-423リーグ戦:プールA・3位
順位決定トーナメント:7位
プレシーズンリーグ:7位 
2016-2017トップリーグ1部13位153012268417-14918リーグ戦:13位
入替戦:残留
  
2017-2018トップリーグ1部16位13409213365-15217リーグ戦:レッドカンファレンス・8位
総合順位決定トーナメント:16位
トップチャレンジリーグに自動降格
  
2018-2019トップチャレンジリーグ2部3位77003018621534リーグ戦:1stステージ・1位  
31028250328リーグ戦:2ndステージ・3位
入替戦:残留
2019-2020トップチャレンジリーグ2部優勝770039510728834リーグ戦:1位
入替戦:大会中止[10]
トップリーグカップ:プール戦敗退[注 6] 
2021トップチャレンジリーグ2部2位3300158599915リーグ戦:Aグループ・1位
順位決定戦:2位
プレーオフトーナメント:2回戦敗退
 

JAPAN RUGBY LEAGUE ONE

シーズン DIVISION 最終順位 リーグ順位試合数勝点得点失点得失差 入替戦
プレーオフ
備考
2022 DIVISION2 優勝 2位/6チーム1040802502187315 優勝/3チーム
自動昇格
[11][12]
2022-23 DIVISION1 12位 12位/12チーム1651015297854-557 入替戦勝利・残留 [13][14]
2023-24 DIVISION1 12位 12位/12チーム1661015353704-351 [15]

2023-24シーズンの順位

JAPAN RUGBY LEAGUE ONE 2023-24
Division 1 順位表
(2024年5月5日時点[16]
リーグ戦順位 チーム 試合数 勝ち点 得点 失点 得失差 最終順位 備考
1 埼玉ワイルドナイツ 16751600747275472プレーオフ進出
2 東芝ブレイブルーパス東京 16651411554373181プレーオフ進出
3 東京サンゴリアス 16501015584425159プレーオフ進出
4 横浜キヤノンイーグルス 1649100651844672プレーオフ進出
5 コベルコ神戸スティーラーズ 16459166474591885位
6 クボタスピアーズ船橋・東京ベイ 16448175544471076位
7 トヨタヴェルブリッツ 1643907498450487位
8 静岡ブルーレヴズ 1633628501513-128位
9 三菱重工相模原ダイナボアーズ 16276010457637-1809位
10 ブラックラムズ東京 16173013321203-18210位DIVISION2 3位と入替戦
11 三重ホンダヒート 1671015242744-50211位DIVISION2 2位と入替戦
12 花園近鉄ライナーズ 1661015353704-35112位DIVISION2 1位と入替戦
  • 勝ち点は、勝ち4点、引き分け2点、負け0点。
  • ただし、7点差以内の負けは1点を付与、3トライ差以上での勝ちは追加で1点を付与。
  • 同じ勝ち点である場合は下記の順番で順位を決定する。
  1. 勝ち点
  2. 勝利数
  3. ①および②が同数であったチーム間の勝ち点
  4. ①、②および③が同数であったチーム間の得失点差
  5. 全試合の得失点差
  6. 当該チーム間のトライ数
  7. 全試合でのトライ数
  8. 当該チーム間のトライ後のゴール数
  9. 全試合でのトライ後のゴール数
  10. 抽選

2023-24シーズンのスコッド

下表の年齢は、資料性に配慮し、2023年12月9日開幕時点に固定している。

カテゴリA(日本代表の実績または資格あり)は、試合登録枠17名以上、同時出場可能枠11名以上。カテゴリB(日本代表の資格獲得見込み)は、試合登録枠・同時出場可能枠ともに任意。カテゴリC(他国代表歴あり等、カテゴリ A, B以外)は、試合登録枠3名以下。

花園近鉄ライナーズ2023-24シーズンのスコッドは下記のとおり[17]

ヘッドコーチ: 向井昭吾

選手ポジション身長体重誕生日(年齢)登録区分
井上優士プロップ182cm105kg (2000-07-21) 2000年7月21日(23歳)カテゴリA
岩上龍プロップ180cm110kg (2000-09-29) 2000年9月29日(23歳)カテゴリA
牛窪心希プロップ177cm112kg (1997-01-21) 1997年1月21日(27歳)カテゴリA
佐々木駿プロップ174cm106kg (1989-03-06) 1989年3月6日(35歳)カテゴリA
高橋虎太郎プロップ177cm110kg (2000-02-23) 2000年2月23日(24歳)カテゴリA
田中健太プロップ177cm104kg (1994-02-03) 1994年2月3日(30歳)カテゴリA
三竹康太プロップ175cm110kg1996|4|28}}カテゴリA
文裕徹プロップ180cm110kg (1999-02-09) 1999年2月9日(25歳)カテゴリA
ラタ・タンギマナプロップ183cm118kg (1998-01-23) 1998年1月23日(26歳)カテゴリA
李城鏞プロップ172cm105kg (1995-04-28) 1995年4月28日(29歳)カテゴリA
ネスタ・マヒナフッカー167cm108kg2000|10|28}}カテゴリA
上山黎哉フッカー175cm99kg (1999-09-28) 1999年9月28日(24歳)カテゴリA
金子惠一フッカー177cm100kg (1996-08-19) 1996年8月19日(27歳)カテゴリA
廣野翔太フッカー180cm110kg (1993-12-10) 1993年12月10日(30歳)カテゴリA
福井翔フッカー172cm98kg (2000-05-06) 2000年5月6日(24歳)カテゴリA
松田一真フッカー170cm99kg (1998-08-22) 1998年8月22日(25歳)カテゴリA
アンドリュー・マカリオフッカー188cm128kg (1992-01-22) 1992年1月22日(32歳)カテゴリB
サナイラ・ワクァロック202cm120kg (1995-07-17) 1995年7月17日(28歳)カテゴリA
パトリック・タファロック194cm118kg (1999-07-19) 1999年7月19日(24歳)カテゴリB
ベン・トゥーリスロック200cm117kg (1992-03-31) 1992年3月31日(32歳)カテゴリC
松岡勇ロック190cm107kg (1984-05-01) 1984年5月1日(40歳)カテゴリA
ジョセフ・ドモニロック192cm113kg (2003-10-04) 2003年10月4日(20歳)カテゴリB
ジェームス・ブラックウェルロック193cm111kg (1995-04-01) 1995年4月1日(29歳)カテゴリB
シミオネ・シュミットロック195cm118kg (2001-04-15) 2001年4月15日(23歳)カテゴリA
ジェド・ブラウンフランカー186cm105kg (1991-03-12) 1991年3月12日(33歳)カテゴリA
菅原貴人フランカー185cm105kg1996|9|22}}カテゴリA
野中翔平 キャプテンフランカー183cm100kg (1995-11-17) 1995年11月17日(28歳)カテゴリA
宮下大輝フランカー181cm98kg (1999-08-10) 1999年8月10日(24歳)カテゴリA
村田毅フランカー186cm102kg (1988-12-15) 1988年12月15日(35歳)カテゴリA
横井隼フランカー183cm99kg (1997-07-29) 1997年7月29日(26歳)カテゴリA
石浦大貴フランカー178cm98kg (2002-01-18) 2002年1月18日(22歳)カテゴリA
梅村柊羽ナンバー8183cm100kg (2001-03-02) 2001年3月2日(23歳)カテゴリA
セルホゼナンバー8197cm112kg (1991-02-09) 1991年2月9日(33歳)カテゴリA
ツポウテビタナンバー8185cm104kg (1991-09-26) 1991年9月26日(32歳)カテゴリA
ウィル・ゲニアスクラムハーフ174cm82kg (1988-01-17) 1988年1月17日(36歳)カテゴリC
河村謙尚スクラムハーフ171cm80kg (1999-10-14) 1999年10月14日(24歳)カテゴリA
佐原慧大スクラムハーフ167cm73kg (1995-08-19) 1995年8月19日(28歳)カテゴリA
中村友哉スクラムハーフ162cm68kg (1998-06-25) 1998年6月25日(25歳)カテゴリA
人羅奎太郎スクラムハーフ166cm72kg (1998-12-11) 1998年12月11日(25歳)カテゴリA
クウェイド・クーパースタンドオフ187cm90kg (1988-04-05) 1988年4月5日(36歳)カテゴリC
ステイリンパトリックスタンドオフ178cm98kg (1992-12-15) 1992年12月15日(31歳)カテゴリA
野口大輔スタンドオフ178cm90kg (1993-06-14) 1993年6月14日(30歳)カテゴリA
吉本匠スタンドオフ171cm85kg (1997-11-16) 1997年11月16日(26歳)カテゴリA
岡村晃司センター170cm85kg (1998-06-12) 1998年6月12日(25歳)カテゴリA
小野木晃英センター171cm85kg (1997-07-31) 1997年7月31日(26歳)カテゴリA
ヴィンセント・セフォセンター191cm105kg (2003-06-06) 2003年6月6日(20歳)カテゴリB
金澤春樹センター178cm95kg (2000-11-07) 2000年11月7日(23歳)カテゴリA
小林広人センター173cm81kg (1992-11-13) 1992年11月13日(31歳)カテゴリA
トム・ヘンドリクソンセンター185cm103kg (1994-09-01) 1994年9月1日(29歳)カテゴリB
江川剛人センター184cm85kg (2000-08-19) 2000年8月19日(23歳)カテゴリA
片岡涼亮ウィング171cm85kg (1997-10-22) 1997年10月22日(26歳)カテゴリA
木村朋也ウィング175cm81kg (1998-04-04) 1998年4月4日(26歳)カテゴリA
ジョシュア・ノーラウィング180cm88kg (1996-06-11) 1996年6月11日(27歳)カテゴリA
髙野蓮ウィング175cm87kg (1996-07-19) 1996年7月19日(27歳)カテゴリA
林隆広ウィング176cm84kg (2000-02-03) 2000年2月3日(24歳)カテゴリA
リエキナ・カウフシウィング182cm98kg (1998-01-24) 1998年1月24日(26歳)カテゴリA
アカウオラ・マヌウィング178cm90kg (2001-10-27) 2001年10月27日(22歳)カテゴリA
セミシ・マシレワウィング181cm93kg (1992-06-09) 1992年6月9日(31歳)カテゴリA
竹田宜純フルバック180cm93kg (1991-04-29) 1991年4月29日(33歳)カテゴリA
竹田祐将ユーティリティーバック175cm83kg (1993-07-01) 1993年7月1日(30歳)カテゴリA

過去の主な所属選手

脚注

注釈

  1. 他に京都市役所・大阪府警・川崎重工・大阪鉄道局。
  2. 1960年度-1962年度は、日本ラグビーフットボール選手権大会(日本選手権)の前身となる日本協会招待NHK杯争奪ラグビー大会(NHK杯)が開催された。
  3. 九州電力と両チーム優勝
  4. 京都市役所と両チーム優勝
  5. トヨタ自工と両チーム優勝
  6. 大会名表記は「ジャパンラグビートップリーグカップ2019

出典

  1. 花園近鉄ライナーズ 新ロゴタイプ・エンブレム・マスコットキャラクター等のお知らせ (PDF). 近鉄グループホールディングス (2021年10月2日). 2021年10月18日閲覧。
  2. “日野が残留決めた!名門・近鉄相手に2T/TL”. サンケイスポーツ (産経新聞社). (2018年12月24日). https://www.sanspo.com/article/20181224-VHUKHXZZIFP4TKWGG5UG5CVGFU/ 2018年12月28日閲覧。
  3. ラグビー新リーグ名称は「リーグONE」22年1月7日開幕 1部は神戸製鋼、パナソニックら12チーム”. ヤフースポーツ (2021年7月16日). 2021年7月16日閲覧。
  4. 近鉄が「花園近鉄ライナーズ」に名称変更”. サンスポ (2021年7月16日). 2021年7月16日閲覧。
  5. 花園近鉄ライナーズが5季ぶりに1部昇格! 三菱重工相模原ダイナボアーズを下し2部優勝 - ラグビーリパブリック (2022年5月8日). 2023年4月24日閲覧。
  6. 花園近鉄ライナーズが5季ぶりに1部昇格! 三菱重工相模原ダイナボアーズを下し2部優勝 - ラグビーリパブリック (2022年5月8日). 2023年4月24日閲覧。
  7. 花園近鉄ライナーズがD1でついに初勝利! コベルコ神戸スティーラーズ相手に劇的な逆転勝ち - ラグビーリパブリック (2023年4月14日). 2023年4月24日閲覧。
  8. 一般社団法人ジャパンラグビーリーグワン. 【公式】NTTジャパンラグビー リーグワン 順位表(2022-23)”. 【公式】NTTジャパンラグビー リーグワン. 2023年4月24日閲覧。
  9. 新加入選手および新加入スタッフのお知らせ花園近鉄ライナーズ 2023.07.03
  10. ジャパンラグビー トップリーグ2020 大会中止のお知らせ”. 日本ラグビーフットボール協会. 2020年3月23日閲覧。
  11. 一般社団法人ジャパンラグビーリーグワン. 【公式】NTTジャパンラグビー リーグワン 順位表(2022)”. 【公式】NTTジャパンラグビー リーグワン. 2023年5月25日閲覧。
  12. 花園近鉄ライナーズが5季ぶりに1部昇格! 三菱重工相模原ダイナボアーズを下し2部優勝 - ラグビーリパブリック (2022年5月8日). 2023年5月25日閲覧。
  13. 一般社団法人ジャパンラグビーリーグワン. 【公式】NTTジャパンラグビー リーグワン 順位表(2022-23)”. 【公式】NTTジャパンラグビー リーグワン. 2023年5月25日閲覧。
  14. 一般社団法人ジャパンラグビーリーグワン. 【公式】NTTジャパンラグビー リーグワン 順位表(2022-23)”. 【公式】NTTジャパンラグビー リーグワン. 2023年5月25日閲覧。
  15. 一般社団法人ジャパンラグビーリーグワン. 【公式】NTTジャパンラグビー リーグワン 順位表(2023-24)”. 【公式】NTTジャパンラグビー リーグワン. 2024年5月13日閲覧。
  16. 順位 - JAPAN RUGBY LEAGUE ONE
  17. 花園近鉄ライナーズ 選手一覧 - JAPAN RUGBY LEAGUE ONE

関連項目

外部リンク

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