ルート・フリット

ルート・フリットRudi Dil "Ruud" Gullit1962年9月1日 - )は、オランダアムステルダム出身の元サッカー選手、サッカー指導者。現役時代のポジションはフォワードミッドフィールダーディフェンダー

ルート・フリット
名前
本名 ルディ・ジル・フリット
Rudi Dil Gullit
愛称 ルディ、黒いチューリップ
ラテン文字 Ruud Gullit
基本情報
国籍 オランダの旗 オランダ
スリナムの旗 スリナム
生年月日 (1962-09-01) 1962年9月1日(61歳)
出身地 アムステルダム
身長 193cm
体重 88kg
選手情報
ポジション FW / MF / DF
利き足 右足
ユース
1967-1975 オランダの旗 メールボーイズ
1975-1979 オランダの旗 DWS
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1979-1982 オランダの旗 HFCハールレム 91 (32)
1982-1985 オランダの旗 フェイエノールト 85 (30)
1985-1987 オランダの旗 PSV 68 (46)
1987-1993 イタリアの旗 ミラン 117 (35)
1993-1994 イタリアの旗 サンプドリア 31 (15)
1994 イタリアの旗 ミラン 8 (3)
1995 イタリアの旗 サンプドリア 22 (9)
1995-1998 イングランドの旗 チェルシー 49 (4)
通算 465 (175)
代表歴
1979  オランダ U-21 4 (1)
1981-1994[1] オランダの旗 オランダ 66 (17)
監督歴
1996-1998 イングランドの旗 チェルシー(選手兼任)
1998-1999 イングランドの旗 ニューカッスル
2004-2005 オランダの旗 フェイエノールト
2007-2008 アメリカ合衆国の旗 ロサンゼルス・ギャラクシー
2011 ロシアの旗 テレク・グロズヌイ
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj

日本のメディアに対してフリットではなくグーリットと呼んで欲しいと本人が強く希望したため[2]、以降はグーリットと表記されることも多くなったが、フリットとの表記の方が一般的である。1987年のバロンドール受賞者で、ACミランでプレーした「オランダトリオ」と言われたオランダ人のひとりであった。息子のマキシムもサッカー選手である[3]

クラブ経歴

1988年のフリット

1979年、HFCハールレムでデビューを飾り、1981-82シーズンにはチームをリーグ第4位、UEFAカップ出場権へと導くなどの活躍から[4]、1982年にフェイエノールトへ移籍、ヨハン・クライフとともにリーグ優勝に貢献する。1985-86シーズンからPSVアイントホーフェンでプレー、8期振りのリーグ制覇に貢献するなど、主にはリベロとしてのプレーながら、2シーズンで46ゴールを決める活躍を見せた[5]

ユベントスも獲得を心試みていたが[4]、1987年に当時、ディエゴ・マラドーナに次ぐ推定約12億円の移籍金でイタリアセリエAACミランへ移籍[6]マルコ・ファン・バステンフランク・ライカールトとともに「オランダトリオ」としてACミランの黄金期を支え、数々のタイトルをもたらした。この年バロンドールを受賞した(この時、シルヴィオ・ベルルスコーニが、自分のチームのフリットに受賞させるため、票を買収したのではないかという疑惑が報じられた[7]。)1987年8月23日のコッパ・イタリアバーリ戦で初出場を果たすと、その試合でゴールを決めた。リーグ戦デビューとなった9月13日のピサ戦でセリエA初ゴール、ユベントスナポリインテル・ミラノといった、優勝を争うチームとの対戦でゴールを決めるなど[4]、1987-88シーズン久しく優勝から遠ざかっていたミランにリーグ優勝をもたらした[4]

1988-89シーズン、チャンピオンズカップ決勝ステアウア・ブカレスト戦では2ゴールを決め、優勝に大きな貢献したが[8]、1989-90シーズンに膝を故障、1989年のトヨタカップを欠場するなど、治療とリハビリに一年間を費やした[6]。以降1992年までに合計5回、膝の手術を強いられ、怪我を抱えながらプレーすることとなる[4]

1990年12月、トヨタカップオリンピア戦ではクロスでライカールトの先制点をアシストし、3-0での優勝に貢献[9]。1991-92シーズン、ファビオ・カペッロが監督に就任するとこれまでのFWではなく、主に右サイドハーフとして起用される様になった[10]。このシーズンは怪我に悩まされ、第26節から31節までを欠場したが[11]、リーグ無敗優勝に貢献した。

1992-93シーズン、10月4日のフィオレンティーナ戦でシーズン初出場を果たすと2ゴール2アシストの活躍、4月10日のミラノダービーではゴールを決めたが[4]、怪我や、外国人枠の問題から、ベンチ外になることもあり、チャンピオンズカップ決勝のオリンピック・マルセイユ戦でもベンチ外となった[4][8]。常時出場出来ないことへの不満から、シーズン中にはベルルスコーニ会長やフロントに対する不満を公の場でも口にした[12]

1993-94シーズンインテルJリーグへの移籍も報じられたが、FCバイエルン・ミュンヘンフランツ・ベッケンバウアーが自ら獲得に乗り出し、メディカルチェックも受けるなど、契約寸前であったが、夫人の強い反対で移籍を取りやめた[12]。またトリノフランチェスコリアギレラとのトリオでのタイトル獲得を目指し獲得を目指していたが[12]UCサンプドリアにレンタル移籍[13]エリクソン監督はFWの一角として起用した。8月29日の開幕戦ナポリ戦でゴールを決める好調なスタートを切り[14]、古巣との初対戦ということで大きな注目を集めた[15]10月31日のACミラン戦において、カタネッチの先制点をアシストしただけでなく[15]、ボレーシュートで決勝ゴールを決め3-2で勝利した[15][4][16]。リーグ戦では15ゴールを決め[13]、ミランとの優勝争いの末、リーグ優勝は逃したがリーグでは3位、コッパ・イタリアでは準決勝のパルマ戦、2ndレグで決勝ゴールを決め[14]、決勝のアンコーナ戦では直接FKから相手のオウンゴールを誘発、更にロンバルドの得点をアシストするなど優勝に貢献した。これらのチームの躍進に貢献し、翌シーズンにミランに返り咲きを果たした[4]

1994-95シーズン、復帰したミランでは、カペッロからFWとして起用された。スーペルコッパ・イタリアーナでは古巣サンプドリア戦では同点ゴールを決め、優勝に貢献した。開幕戦のジェノア戦でシモーネの決勝ゴールをアシスト、9月11日、第2節のカリアリ戦でゴール[4]、9月18日、第3節のラツィオ戦では2ゴールを挙げたが[4]、前線で孤立することが多く、以降ノーゴールが続くなど、この複帰は成功せず[13]、シーズン途中にメッリとのトレードでサンプドリアに再び移籍、22試合に出場し9ゴールを決めたが、前年程の活躍は出来なかった。

1995-96シーズン、チェルシーへ移籍、ここでは当初リベロとしてプレーしたが[13]、しばらくするとMFとしてプレーした[13]。9月16日、リーグ第6節のサウサンプトン戦で移籍後初ゴールを決め[17]FAカップ準決勝のマンチェスター・ユナイテッド戦ではゴールを決めたが[17]、1-2と敗れタイトルを逃した。シーズン中にはチーム率いていたグレン・ホドル監督がイングランド代表監督に就任すると、その後任として現役のままプレーイングマネージャーに就任、このシーズンは初めてフルシーズンDFとしてプレーしたにも関わらず、PFA年間ベストイレブンに選出された。1996-97シーズン、10月26日、第11節のトッテナム戦でのゴールが[17]、現役最後のゴールとなった。

1997-98シーズン、リーグ戦6試合カップ戦1試合の出場、最後のリーグ戦出場は1998年1月17日エヴァートン戦で16分間プレー、1月28日リーグカップ準決勝アーセナル戦の1stレグに出場したのが選手として最後の出場となった。

代表経歴

オランダ代表では、1981年9月1日のスイス戦で代表デビューを飾る[18]。1982年9月22日のアイルランド戦で代表初ゴールを決めた[18]

1988年、ヨーロッパ選手権ではグループリーグのイングランド戦で2アシストで勝利に貢献[18]、決勝のソビエト戦でゴールを決め[18]、オランダの初のメジャータイトルをもたらした。

1990年、1990 FIFAワールドカップワールドカップには欧州王者として優勝候補の一角に挙げられていたが、チーム内は監督交代など内紛を抱え、膝の故障からようやく回復したばかりで大会への参加も危ぶまれたが、ベーンハッカー監督は存在感の大きさと影響力に期待してワールドカップ本大会メンバーに選出した[6]。予選リーグのアイルランド戦で1ゴールを決めたものの[18]満足なプレーをすることが出来ない中、少しずつ調子を取り戻していた決勝トーナメント1回戦で、この大会を制する西ドイツと対戦。守備の要であったライカールトの退場などもあり、1-2で敗退した。

1992年、EURO1992において準決勝デンマーク戦では1点リードを許す中ライカールトのゴールをアシストしたが、2-2からPK戦の末(6-7)で敗れた[18]。1993年4月28日、ワールドカップ予選、イングランド戦に出場した後は、代表からの引退を表明し[12]、代表から遠のいた[18]

1994年、所属チームでの好調を受け、多くの代表復帰待望論があり[19]アメリカW杯を戦う代表メンバーとして召集され、大会直前の1994年5月27日、スコットランド戦で代表復帰を果たしたが[18]アドフォカート監督が採用しようとしていたアヤックスと同じシステム下でのプレーを望まなかったこと[20]、フリットにディフェンス面での貢献を求めるキャプテンのロナルド・クーマンとの意見の相違からチーム内で孤立したこともあり[19]、スコットランド戦の翌日にワールドカップのメンバー入りと以降代表でのプレーを拒否[19](アドフォカートは代わりにジョン・ボスマンを大会メンバーに召集した。)、以降二度と代表でプレーすることは無かった。

指導者経歴

1995-96シーズンからプレーイングマネージャーとなったが、正式な監督1年目となった1996-97シーズンは、ジャンルカ・ヴィアリジャンフランコ・ゾラロベルト・ディ・マッテオなどのトップ選手を加入させ、リーグは6位ながらも27年ぶりにFAカップをチームにもたらした。また、外国人としては史上初のFAカップ優勝監督ともなった。翌1997-98シーズン、チームは好調であったが監督を解任された。

1998-99シーズン開幕直後にニューカッスル・ユナイテッドの監督に就任するが、13位に低迷し、1年で辞任する。

しばらく解説者をした後、2004-05シーズン、フェイエノールトの監督に就任。当時所属していたディルク・カイト小野伸二らを指導したが、リーグ4位に低迷し、シーズン終了後に辞任した。

2007年11月8日、メジャーリーグサッカーロサンゼルス・ギャラクシーの監督に就任した。しかし、9ヵ月後の2008年8月に個人的理由により辞任した。

2011年1月、ロシア・プレミアリーグテレク・グロズヌイの監督に契約期間1年半で就任した。しかし、リーグ戦13試合で3勝しかできず、6月に解任された。

2016年8月、ディック・アドフォカートがオランダ代表の第2アシスタントを突然退任したことで急遽後任候補に挙がったが、KNVBとの交渉の中で「スタッフ内に変動があった場合に再交渉できる権利」と「良いオファーがあった場合に退任できる権利」と契約に盛り込むことを要求し、アドフォカートの突然の退任の二の舞を避けたかったKNVBのテクニカル・ディレクター ハンス・ファン・ブロイケレンが認めなかったこと、さらに第1アシスタントのマルコ・ファン・バステンがすでにFIFAからのアプローチを受けて退任を決意していたが、それをファン・ブロイケレンが明かさず、ファン・バステンから直接聞いたことにフリットが激怒したために交渉は破断した[21]

選手としての特徴

抜群の身体能力とボール扱いに長けたテクニックを持ち、ストライカーから、右サイドや中央の攻撃的ミッドフィルダー、守備的ミッドフィルダー、そしてディフェンダーまであらゆるポジションを高いレベルでプレーした[22]

エピソード

*ユース時代の初期は身長の高さ、筋力の発達、俊敏性の高さ故にGKでのプレーを打診されたというエピソードを持つ。*ACミラン在籍時、イタリア紙のインタビューでサッカーにおいて最も優れている能力について質問をうけ、跳躍力と答えた。

  • 1989年6月にスリナム系オランダ人によるオランダ代表(通称:カラフル・イレブン)がスリナムに遠征した際にスリナム航空764便墜落事故に遭遇し、選手18名中15名が死亡した(3名の生存者の内競技に復帰できた者は1名のみ)。このカラフル・イレブンにフリットも選出されていたが、所属クラブの意向で辞退した為に命拾いしている。

代表歴

  • オランダ代表 1981年-1994年 66試合17得点
    • FIFAワールドカップ出場 1回 (1990年イタリア大会ベスト16)
    • UEFA欧州選手権出場 2回 (1988年西ドイツ大会優勝、1992年スウェーデン大会ベスト4)

タイトル

選手時代

HFCハールレム
フェイエノールト
PSVアイントホーフェン
  • エールディヴィジ:2回(1985-86、1986-87)
ACミラン
UCサンプドリア
オランダ代表
個人

監督時代

チェルシーFC

出典

  1. “Ruud Gullit - Goals in International Matches” (英語). The Rec.Sport.Soccer Statistics Foundation. http://www.rsssf.com/miscellaneous/gullit-intlg.html
  2. ワールドサッカーグラフィック 1993年9月号 45ページ
  3. ルート・フリット氏の17歳の息子マキシムがオランダ2部でデビュ”. soccer-king. 2020年8月26日閲覧。
  4. “Ruud Gullit, 'Il Tulipano nero' icona del Grande Milan” (English). www.goal.com. https://www.goal.com/it/notizie/ruud-gullit-il-tulipano-nero-icona-del-grande-milan/zmk0n7jydfvw1uyltilror1t5 10 September 2020閲覧。
  5. スペクタクルを『後ろ』から起こしたPSV◎サッカー世界遺産第21回 ページ1”. soccermagazine.jp. 2020年8月26日閲覧。
  6. トヨタカップ 1990年 大会公式パンフレット p.22
  7. Paulo Futre, dal Pallone d'Oro sfiorato all'infortunio che gli spezzò la carriera”. GOAL (2023年2月23日). 2023年8月23日閲覧。
  8. “Gullit Milan Maestro” (English). www.beinsports.. https://www.beinsports.com/en/uefa-champions-league/news/ruud-gullit-milan-maestro/1461077 2020年9月1日閲覧。
  9. “1990年、ミランを世界一に導いたライカールト”. www.goal.com. https://www.goal.com/jp/news/3850/%E3%82%AF%E3%83%A9%E3%83%96%E3%83%AF%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%89%E3%82%AB%E3%83%83%E3%83%97/2014/12/04/6757832/%EF%BC%91%EF%BC%99%EF%BC%99%EF%BC%90%E5%B9%B4%E3%83%9F%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%92%E4%B8%96%E7%95%8C%E4%B8%80%E3%81%AB%E5%B0%8E%E3%81%84%E3%81%9F%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%88 2020年9月1日閲覧。
  10. “ゾーンプレスを脅威に昇華した “オランダトリオ”の破壊力”. www.footballista. https://www.footballista.jp/special/79263 31 September 2020閲覧。
  11. “Ruud Gullit 1991/92” (English). www.transfermarket.com. https://www.transfermarkt.com/ruud-gullit/leistungsdatendetails/spieler/101045/plus/0?saison=1991&verein=&liga=&wettbewerb=&pos=&trainer_id= 2020年9月1日閲覧。
  12. ワールドサッカーグラフィック 1993年9月号 vol.3 p.44-47 ビクターエンターティンメント
  13. “Gullit The Black Turip” (English). www.footballhistory.org. https://www.footballhistory.org/player/ruud-gullit.html 2020年9月1日閲覧。
  14. “Ruud Gullit All goals Sampdoria” (English). www.transfermarket.com. https://www.transfermarkt.com/ruud-gullit/alletore/spieler/101045/plus/0?saison=&verein=1038&liga=&wettbewerb=&pos=&minute=&pos=&torart=&stand= 2020年9月1日閲覧。
  15. 週刊サッカーマガジン 1993年11月24日 no.431 p.104-108 ベースボールマガジン社
  16. “UC Sampdoria - AC Milan Oct31 1993 SerieA Match sheet” (English). www.transfermarket.com. https://www.transfermarkt.com/spielbericht/index/spielbericht/2215827 2020年9月1日閲覧。
  17. “Ruud Gullit All goals Chelsea” (English). www.transfermarket.com. https://www.transfermarkt.com/ruud-gullit/alletore/spieler/101045/plus/0?saison=&verein=631&liga=&wettbewerb=&pos=&minute=&pos=&torart=&stand= 2020年9月1日閲覧。
  18. “Ruud Gullit National Team” (English). www.transfermarket.com. https://www.transfermarkt.com/ruud-gullit/nationalmannschaft/spieler/101045 2020年9月1日閲覧。
  19. 週刊サッカーダイジェスト 1994/6/29号 p16-17
  20. “Gullit walks out on the Dutch squad” (English). www.heraldscotland.com. https://www.heraldscotland.com/news/12694668.gullit-walks-out-on-the-dutch-squad/ 2020年9月1日閲覧。
  21. http://www.foxsports.nl/nieuws/artikel/1307498/gullit-van-basten-vertrekt-bij-oranje
  22. 田嶋幸三『これだけは知っておきたい(30) サッカーの大常識』株式会社ポプラ社、2006年、101ページ、ISBN 4-591-09115-5
  23. “日本のLOTTO”. www.lotto. https://www.lottosport.jp/about/ 2020年9月10日閲覧。
  24. “Ruud Gullit and the Struggle for South African Freedom日”. www.africasacountry.com. https://www.africasacountry.com/2014/03/ruud-gullit-and-the-struggle-for-south-african-freedom/ 2020年9月10日閲覧。
  25. トヨタカップ 1989年 大会公式パンフレット P.25

外部リンク

This article is issued from Wikipedia. The text is licensed under Creative Commons - Attribution - Sharealike. Additional terms may apply for the media files.