服部擔風
人物
1867年(慶応3年)尾張国海西郡鯏浦に生まれた[1]。戦国時代の土豪服部友貞の子孫で、大地主の家の次男であった。幼名は粂之丞(くめのじょう)。幼いころから、兄と共に尾張藩儒者森村大朴に漢籍を学び、大朴は粂之丞の熱心さに感心し、漢詩をつくるよう勧められ、現在の一宮市出身の漢詩人の大家森春涛らの影響を受けた粂之丞は、名を擔風と改め、詩の研究とともに詩作に励み、1891年(明治24年)「梅花唱和(ばいかしょうわ)の詩」を東京日日新聞(現在の毎日新聞)に発表した。 その後、弥富で詩の講義や詩作の指導に取り組み、この地域で漢詩が盛んになることに尽力した[1]。1964年、老衰により弥富町の自宅で96歳で没した[2]。
彼が使用した1902年(明治35年)築で約20m2の木造平屋の書斎「藍亭(らんてい)」は弥富市森津にの森津の藤公園に移築され、2017年(平成29年)4月に一般公開されている[1]。
年譜
脚注
- 酒井博章 (2017年4月19日). “擔風の功績 後世に 弥富市 漢詩手掛けた書斎 公園に移築”. 中日新聞 (中日新聞社): p. 朝刊 尾張総合版 15
- 『出版年鑑 1965年版』出版ニュース社、1965年。
日本芸術院賞受賞者 | |||||||||||||||||
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| 太字は恩賜賞受賞者。名跡は受賞時のもの。表記揺れによる混乱を避けるため漢字は便宜上すべて新字体に統一した。 | |||||||||||||||||
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