河合誓徳
来歴
大分県東国東郡国見町生まれ[1]。1940年、旧制宇佐中学校に入学するも、1943年、鹿児島海軍航空隊甲飛13期飛行練習生として入隊[1]。上海海軍航空隊を経て、終戦により復員[1]。1947年、京都で山本紅雲に師事[1]。1949年、国東へ戻るが陶磁の道を諦められず、諸隈貞山に弟子入りする[1]。1951年、京都の加藤利昌の下で下絵付に従事[1]。1952年、京都陶芸家クラブに加入し、6代清水六兵衛に師事[1]。1952年、日展に初入選[1]。1953年、河合栄之助の長女登志子と結婚し、河合家の後継者となる[1]。その後、1961年設立の日本現代工芸美術家協会へ活躍の幅を広げ、その作品は数多くの賞を受賞する[1]。1997年、日展理事、2000年、日本新工芸家連盟副会長、2002年、同連盟会長。2003年、日本新工芸家連盟会長、2005年、日本芸術院会員、2007年日展常務理事、2008年日展顧問などを歴任した[1]。2010年、肺炎のため82歳で死去[1]。
受賞歴
脚注
- “河合誓徳 :: 東文研アーカイブデータベース”. www.tobunken.go.jp. 2021年11月7日閲覧。
- “京都市文化功労者”. 京都市. 2022年8月19日閲覧。
日本芸術院賞受賞者 | |||||||||||||||||
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| 太字は恩賜賞受賞者。名跡は受賞時のもの。表記揺れによる混乱を避けるため漢字は便宜上すべて新字体に統一した。 | |||||||||||||||||
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