野村万作
野村 万作(のむらまんさく)は狂言方和泉流野村万蔵家の名跡。元は六世野村万蔵の本名。
- (初世)野村万作 - 六世野村万蔵(1898年-1978年)の本名。1903年の初舞台から1923年に六世万蔵を襲名するまで、本名である「万作」を舞台名として使用した。
- 二世野村万作(1931年- ) - 六世野村万蔵の次男、本項にて詳述。1950年に舞台名として父の本名・「万作」を襲名(兄・萬(七世万蔵)の四世万之丞襲名と同時)。
| のむら まんさく 野村 万作 (二世) | |
|---|---|
![]() 文化功労者顕彰に際して公表された肖像写真 | |
| 本名 | 野村 二朗(のむら じろう) |
| 生年月日 | 1931年6月22日(92歳) |
| 出生地 | 東京都 |
| 国籍 |
|
| 職業 | 狂言方能楽師 |
| ジャンル | 舞台 |
| 活動期間 | 1934年 - |
| 活動内容 |
1934年:初舞台 1950年:父の本名・「万作」を襲名 1990年:日本芸術院賞、紫綬褒章 2007年:人間国宝 2012年:旭日小綬章 2015年:文化功労者 2022年:日本芸術院会員 2023年:文化勲章 |
| 配偶者 | 阪本若葉子(詩人) |
| 著名な家族 |
父:六世野村万蔵 兄:七世野村万蔵(野村萬) 弟:野村四郎 弟:野村万之介 子:二世野村萬斎 孫:野村彩也子 孫:野村裕基 姪孫:野村太一郎 |
| 公式サイト | 万作の会 |
二世 野村 万作( のむらまんさく、本名・野村 二朗(のむら じろう)、1931年(昭和6年)6月22日 - )は、狂言方和泉流能楽師。
概要
来歴
野村万蔵家六代当主・六世野村万蔵の次男として生まれる。1934年、3歳で初舞台を踏み、1950年に父の本名である「万作」を襲名(兄・太良(萬)の四世万之丞襲名と同時)。
年子の兄・太良(野村萬)と共に戦後の伝統芸能不遇の時代から狂言の普及に努め、広い支持を集めた。また、六世万蔵の本名に過ぎなかった「万作」の舞台名を一代で築きあげた。
以後芸術祭大賞、日本芸術院賞、紀伊國屋演劇賞、坪内逍遥大賞など受賞多数。1990年(平成2年)には紫綬褒章受章。2007年には父の六世万蔵、兄・萬(七世万蔵)に続いて人間国宝に各個認定されている。2023年には兄・萬(七世万蔵)に続き、文化勲章を受章した。
名跡の相続
父の六世万蔵の死後、兄・萬(七世万蔵)と万作で名跡を分割相続することとなった。
その後、当主名の「野村万蔵」の名跡は長男である兄・萬(太良)に引き継がれた。兄・萬(七世万蔵)の後は太良の長男・五世万之丞(八世万蔵)が「野村万蔵」の名跡を引き継ぐ予定であったが、五世万之丞(八世万蔵)が父の萬(七世万蔵)に先立ち死去した。これを受け、萬(七世万蔵)の次男・良介(九世万蔵)が亡き兄に代わり、「野村万蔵」の名跡を襲名し、今日にいたる。
また、万蔵家の次期当主が名乗る「野村万之丞」の名跡は、萬の長男・五世万之丞(八世万蔵)が襲名した。五世万之丞(八世万蔵)の死後は萬の孫(八世万蔵の甥)・虎之介が六世として相続している。
そして、次男である二朗(万作)は父の本名・「万作」と祖父の隠居名・「萬斎」を引き継ぐこととなった。当初は二朗(万作)が「萬斎」を襲名する予定であったが、二朗(万作)は尊敬する師父・六世万蔵の本名である「万作」という名前に愛着があったため、自身では「萬斎」を襲名する事はしなかった。そして、息子・武司に「萬斎」を襲名(相続)させた。
人物
『釣狐』を都合26回もつとめたことに代表されるように芸に関して情熱的な性格である事から能楽ファンは万作に早くから注目していたのだが、一般知名度は決して高くなかった。しかし、1977年に「ネスカフェゴールドブレンドの「違いの分かる男」に選ばれてCM出演をするようになると、その名と顔が一躍全国のお茶の間にまで知られる存在となった。
『世界大百科事典』の編集委員をつとめ、その「狂言」(海外公演と反響)の項目を執筆した。
年譜
- 1934年 - 『靫猿』にて初舞台
- 1950年 - 父の本名・「万作」を二世として襲名。『三番叟』『奈須与市語』を被く。
- 1956年 - 『釣狐』を被く。
- 1960年 - 『花子』を被く。
- 1978年 - 文化庁芸術祭大賞受賞。
- 1979年 - 紀伊国屋演劇賞受賞。
- 1982年 - 文化庁芸術祭優秀賞受賞。
- 1986年 - 法政大学観世寿夫能楽賞を受賞。「狸腹鼓」を被く。
- 1990年 - 日本芸術院賞受賞。
- 1995年 - 紫綬褒章受章。
- 1998年 - 坪内逍遙大賞受賞。
- 2003年 - ベスト・ファーザー イエローリボン賞受賞。
- 2006年 - 朝日賞受賞[2]。
- 2007年 - 父・六世野村万蔵、兄の野村萬に続き重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定(各個認定)された。
- 2008年 - 練馬区名誉区民に選定[3]。長谷川伸賞受賞。
- 2011年 - 練馬文化センター名誉館長就任[4]。
- 2012年 - 旭日小綬章受章[5]。
- 2015年 - 兄・野村萬(七世野村万蔵)に続き文化功労者となる[6]。
- 2022年 - 兄・野村萬(七世野村万蔵)に続き日本芸術院会員となる。
- 2023年 - 兄・野村萬(2019年受章)に続き文化勲章を受章する[7]。
出演
ドキュメンタリー
- このあたりのもの〜禍(わざわい)の時、狂言三代の見つめる遠い未来〜(2021年1月11日、NHK-BS)
出版物・参考文献
本人著書に自伝的随筆の『太郎冠者を生きる』(野村万作 著、白水社 1984年、ISBN: 4560032289、白水Uブックス 1991年)がある。
また狂言師野村万作を多角的に分析した芸談に『狂言 三人三様 野村万作の巻(最終回)』(野村萬斎・土屋恵一郎 編、岩波書店 2003年)がある。
万作の会
万作の会(まんさくのかい)は、二世野村万作を中心とした、狂言の公演をおこなう日本の団体である[8]。
「万作の会」に所属する狂言師
その他活動
- 狂言DX(デジタルトランスフォーメーション) - 万作の会をNTT西日本グループがICTでサポートし、「狂言」の普及・伝承そして活用をめざすプロジェクト[10]
- 練馬薪能 - 2016年(平成28年)に行われた練馬区独立70周年イベントの一環として石神井松の風文化公園にて初演[11]。以降、継続的に行われている[12]。
脚注
注釈
- 二世 野村萬斎は、二世 野村万作・阪本若葉子夫妻の子の唯一の男子であるが、萬斎は4人きょうだいの3番目であり、姉・姉・妹という女性に囲まれて育った。
出典
- “万作の会”. www.mansaku.co.jp. 2021年4月29日閲覧。
- “朝日賞 2001-2018年度”. 朝日新聞社. 2023年1月6日閲覧。
- “練馬区名誉区民の顕彰(平成20年11月5日)”. 練馬区. 2022年8月8日閲覧。
- “狂言師 野村万作さんが練馬文化センター名誉館長に就任”. 練馬区公式ホームページ. 練馬区. 2023年8月22日閲覧。
- “平成24年春の叙勲 旭日小綬章等受章者 東京都” (PDF). 内閣府. p. 3 (2012年4月29日). 2015年11月23日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年5月16日閲覧。
- “文化勲章、ノーベル賞2氏や仲代達矢さんら7人”. YOMIURI ONLINE (2015年10月30日). 2015年10月30日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年3月25日閲覧。
- “文化勲章に川淵三郎氏ら7人決まる、文化功労者は北大路欣也さんら20人に”. 朝日新聞. (2023年10月21日) 2023年10月21日閲覧。
- “万作の会と狂言”. 狂言まめ知識. 万作の会. 2023年8月22日閲覧。
- “万作の会とは 主要公演”. 万作の会. 2021年4月28日閲覧。
- “狂言DX”. NTT西日本. 2021年4月28日閲覧。
- “【平成28年10月11日】練馬区独立70周年プレイベント「みどりの風 練馬薪能」を初開催!~「みどりの風 区民コンサート」も同日開催~”. 練馬区. 2023年8月22日閲覧。
- “みどりの風 練馬薪能”. 練馬区. 2023年8月22日閲覧。
